「ここが生きづらさだったんだな」
もう何年も前に気付いた事なのだけど、
例えば 何か 作品をしあげる姿勢として、私は最初に
「上手につくらなきゃ」
「恥ずかしくないように仕上げよう」
「人に負けないように・・・・」
という考え(気持ち)が先にあり、その気持が納得する結果が得られるように、一生懸命物事を行っていた・・・・こんな感じの生き方をずっとしていました。
これは、私の母そのものの生き方であり、母から求め続けられてきた事でもあるわけですが、
こういうのって 何をやっていても楽しくないし、ほんと本末転倒していますよね。
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「とても感動したの・・・だから 作りたくなった」
私の身近にいる人が 発した言葉なのですが、
この言葉の持つ意味が はじめて心に到達した時、すごくショックというか、納得というか、激震が心に走った事は 覚えています。
こういうのって、結果的にいい作品を生む事もあるだろうし、仮にそうでなくても、過程そのものが みんなやりがいのあるものになりますよね?
私は、子どもの時、
「趣味ってなんだろ・・・あれが好きかもしれない・・・・でも負けたらいやだから」
こんな事をよく考えた事があるのですが、
どんな事に対しても´勝ち負け´が入ってきてしまっているわけだから、本当の趣味に事態なりえないですよね。
音楽って結構好きだったのですが、他人から称賛してもらえる事を思い浮かべながらいつも練習していましたから、 その時は気付きませんでしたが、
「評価してもらえる・勝てる=趣味かも」
に (子どもの時から)ずっと、なってしまっていたって事だと思います。
今、自分が毎日母親をしている過程では、子どもを、絶対評価でもない 相対評価でもない目で なるべく見てあげたいなぁとは、 思っています。
だから、子どもが持って帰ってくる 通信簿の評価って あまり 私は興味がなかったりします・・・^^
唯一 楽しみなのは、先生が(通信簿に)書いてくださっている言葉かな?
大人になると 結果がすべてと 求められる場面が 多いけれど、
子どもの時に 大切なのは 殆どが 過程ですよね。
だけど、人生何が起こるか 分からないので、みんな 過程では ありますよね^^
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