今日は、電話さんの調子が昨晩から悪くて、修理してもらってました。やっとインターネットが繋がって嬉しいです・・・
今日も過去の話を書きますー
今日の話は、今でも頻繁に何かの拍子に繰り返し繰り返し思い出す話です。
予備校の夏休みに、兄が下宿先から帰省していたので、兄と母と、私と三人で、外食する事になりました。
はっきり言って、兄と行く外食なんて恐怖以外の何ものでもなく、嫌で嫌でたまりませんでした。
しかも、私の不潔恐怖が加速して、
「ご飯を食べる=汚れる」
という図式ができあがっていた状態なので、食後の洗浄処理が家族に見つからずに出来るかどうかの恐怖も加わり、相当な緊張と恐怖のもとの外食だったのです。
私は当時兄に恐怖を感じて生活し続けているなんて微塵も見せずに生活していましたから、顔では外食を楽しんでいるように装っていました。
出かけるちょっと前、原因は忘れましたが、兄の母への怒りが爆発しました。
母に対しては、この時はそれ程激しい暴行を働かなかったのですが、
実家では、普段頻繁に使うお茶わんや、湯のみ等がはいった小さな
ケースがあったのです。
兄はそれを持ち上げ、振りかざすと、食卓に向って、思いっきり投げつけたのでした。
外に破片は飛び散りませんでしたが、ケースの中の物は粉々になりました。
母としては、すぐ片付けの処理したかったと思うのですが、兄がすぐ食事に行く事を要求し、そのまま外食先に行く事になったのです
そういった光景を私は目の前で見続けて生活している事もつらかったのですが、私が何より辛かったのは、兄がこういう事を繰り返す事による母の悲しみ、辛さの想像が何よりも辛かったのです。
私は、母が大好きでした。だから、私はいくら犠牲になってもいいから、母が幸せに過ごしていて欲しかったのです。
外食先で、表面上は普通を装い、会話もしていましたが、味なんで分かりませんでした。
しかも、兄に少しでも不快な思いをさせたら、また暴力に繋がるかもしれないと、私のペースで食べたかったのですが、兄の食べるスピードにあわせ、飲み込むように、ご飯を食べ続けました。
「これでは消化できないな」
心ではそんな事考えていました。
兄が帰りたい時間に食べ終わってないと、どんな恐ろしい時間がまた待っているか分からない・・・・その恐怖は相当なものでした。
食事中は、頭では、ケースの粉々にわれた食器が目に浮かび続けました。
「母は、帰るとすぐその処理をしなければならないのだな」
と思うと、母が可愛そうで、胸がつぶれそうなくらい苦しくなったのです。
私は、母が苦しむ事、悲しむことが 何より辛かったし、母を守りたかったのです。
この時の光景が、今でも、夫と娘との外食中や、ご飯の用意をしている瞬間などに、フッと思い浮かんでくることがあるのです。

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