■思い出■

今は無き 『松葉屋』さんでの ”はなしをきくかい”にも 
よく お供させて頂きました。

松葉屋さんは 客席が桟敷になっていて 雰囲気がとても良いのです。
そして 建物自体が情緒があって、女将さんも とっても素敵!!
いかにも料亭の女将さんという感じなのです。

楽屋は皆さん同じお部屋なので 真打の師匠さんと きみ榮師匠の
お話も間近でお聞き出来ましたし 前座さんのお仕事の様子も。。
前座さんは 下座のお師匠さんから 所作・太鼓(鳴り物)など 
色々教えて頂いてました。

また 必ずお食事(親子丼)を スタッフの分まで ご用意して
下さっていましたが 下座のお師匠さんが必ず 前座さんに 
半分差し上げていました。
本当にいいな〜〜と思いながら 拝見していました。

その当時の前座さんも 真打になられているんでしょうね!!
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■思い出・・・■

師匠が亡くなって・・・あの3年間の事が 本当に貴重な時間
だった・・と思うのです。
結婚・妊娠・出産も この間にあった出来事でしたが。。。

今日から 私が覚えているちょっとしたエピソードをご紹介します。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ある夏の日・・・
夫と泊りがけで 出かけていたのです。
たまたま 留守番電話を 外から聞けるのを 試してみた所 
師匠のお声・・~ヘ(´ー`*)
どうも 言い難そうな口調で 浅草演芸場に出演するので 
来てもらえないか・・というものでした。

これは エライコッチャ・・とばかり 出かけていた海から 
浅草へGO!!
何とか間に合って 三味線の支度をして ホッとしました。

夫も一緒でしたが こんな経験も初めてだったし 師匠をこんなに
身近に感じたのも 初めてではなかったかしら?
夫の事を 師匠は『お父さん』と呼ぶのです・・(笑)
夫は 自分の事じゃないと思い きょとん・・(*・o・)と
していましたね・・最初は。。

そして ご自宅までお送りして お手伝い終了しました。
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昭和63年から 3年間ほど続いた 師匠の付き人というか 
お世話係が 平成3年7月の夏で終りました。
しばらく 顔を見せなかった○○さんの復帰で 私のお仕事が
なくなってしまったのです。
それで しばらくは 様子を見ることにしました。

翌年1月に ○○さんが突然家元に。。。
(⌒▽⌒;) オッドロキー

そして 平成5年7月 いつものように お中元をお持ち
しながら 師匠のご機嫌伺いに行きました。
すると どういう訳かお稽古を事実上していない・・との事!

でも 9月からまた始めるのよ・・と お話していたので 私も
お手伝いがあればさせていただきたい旨を お伝えしました。

そして・・・何のお知らせも頂けなかったので ○○さんが
お手伝いをしていらっしゃるのか それとも お稽古そのものを
していないのか・・と思っていましたら 10月9日に
新聞の訃報欄で知りました。

私はたまたま その日に引越し真っ最中で お知らせを頂いた
のかもしれませんが 間が悪かったのですね!!

お通夜には 斉藤京子さんや 神田福丸お姉さんもいらして 
思い出話をしてくださいました。

実際には 子供もまだ小さかったですし ○○さん(家元)が
仕切っていらしたので 細かいことは お手伝いできません
でしたが ちょっと寂しい お別れでした。。
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■晩年の きみ榮師匠のお稽古風景■

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この写真は 磯節保存会でもお馴染みの福田佑子さんの
ご主人さまが撮ってくださいました。

これは多分最後の方のお仕事だったのでは・・と思います。
     ↓
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■きみ榮師匠の付き人・・・(美味しい体験C)■

この時は記録が無いですが 国立演芸場にきみ榮師匠が
ご出演の時に 三木助さんとのお写真をお願いしました。
三木助さんとは 友人の友人という事で 沢山お話もさせて
いただきました。

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