2015/3/30  23:48

安倍首相が手本とする経済優先・国民管理国家シンガポールの立役者リー・クアン・ユー死去と同国の光と影  国内外からのトピックス


■3月23日未明にシンガポールの元首相であるリー・クアン・ユー(中国名:李光耀)が死去するというニュースが世界を駆け巡りました。91歳でした。シンガポールは、2014年10月のIMF発表資料によれば、「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング」で、8位(355,182USドル)であり、アジアでトップの国です。因みに、アジアの国ではブルネイが22位(39,658ドル)、そして日本は24位(38,467ドル)です。
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3月29日午後、シンガポール国立大学の講堂で行われたリー・クアン・ユー元首相の国葬に出席した安倍首相。目を閉じている姿が中継画面で世界に報じられ、居眠りしていたのではないか、と話題になっている。


 太平洋戦争の開戦直後、1942年2月7日に日本軍による攻撃が始まり、シンガポールのイギリス極東軍は同2月15日に無条件降伏をした後、日本陸軍による軍政が敷かれ、配線までシンガポールは昭南島と呼ばれていました。筆者の先代も開戦直後に訓練航海で現地を訪問したことがあり、当時の話を良くしていました。

 筆者がシンガポールのことを最初に記憶したのは、1963年にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、マレーシア連邦を結成した当時のニュースでした。米国の国旗をまねて、シンガポールを含めて14州から構成される意味の14本の赤と白の横方向のストライプと、イスラム教を象徴する月と星が左上に配置された国旗が、大きく掲載された子ども新聞のカラー写真をよく覚えています。

 共にマレー人、華人(福建省など中国南部から移民した華僑)、インド人から構成される多民族国家でしたが、マレーシア中央政府はマレー人優遇政策を採ろうとする一方で、イギリス植民地時代に移入した華人とマレー人の平等政策をとるシンガポール人民行動党の間で政策の違いが表面化し、マレー系と中国系住民との衝突から人種暴動に発展したため、1965年8月9日にシンガポールはマレーシア連邦から分離独立し、都市国家の道を歩み始めたのでした。

■筆者が最初にシンガポールを訪れたのは、1975年の夏でした。その後、10回以上訪れていますが、この40年間にシンガポールは大きく変貌しました。

 資源も人口も国土面積も少ないシンガポールを率いてきたリー・クアン・ユーは一つの信念を持っていました。それは「必要とされる国」になることです。

 リー・クアン・ユーは独立前のシンガポール自治州の首相時代から、外資誘致による工業化と、自由貿易政策による物流のハブ化を掲げて、各種の施策を推し進めました。特に、日本とヨーロッパの中間地点である地理的条件を利用して、空と海の交通の要衝になることを目指しました。

■航空業界で言えば、島国であるシンガポールの国土の1割を占めるチャンギ国際空港は、いまでは国際ハブ空港のパイオニアとして著名です。

 シンガポール島の最東端のチャンギに民間空港を建設することが決まったのが、筆者が初めてシンガポールを訪問した1975年でした。第1期工事は1981年に完成し、初年は年間約810万人の旅客利用数でしたが、その後大規模な埋立て工事により拡張され、現在では年間約5300万人に拡大しました。

 ところが、近年ドバイ国際空港の追い上げが激しく、2014年1月の月間利用者数は、とうとうドバイがシンガポールを抜いて世界1位になりました。シンガポールでは、現在巻き返しのために更なる戦略を計画し、実行しようとしています。

■一方、海事業界では我が国との関係において、より深い経緯をみることがあります。リー・クアン・ユーは、工業化の一環として、独立前には日本の造船会社を誘致し、1963年に政府合弁のジュロン造船所としてスタートしました。その後、シンガポールはシンガポールをアジアの船舶修繕と海洋構造物の中核として育成しました。

 貿易立国としては、旧宗主国である英国の自由貿易政策に則って自由貿易港として発展する方向性をとり、港湾整備を進めました。同時に、海運優遇政策を打ち出して海運業の拠点としての発展を促しました。

 シンガポール港は1980年には既に世界第6位のコンテナ取扱高を記録していましたが、その後、1980年代後半から世界に先がけて港湾業務のITインフラ化 を進め、利便性の高い港づくりに力を入れてきました。その結果、1990年から2009年まで、香港と並んで、世界トップの座を維持してきました。2010年以降は上海が第1位となっていますが、依然として僅差で第2位をキープしています。

■リー・クアン・ユーが力を入れ、シンガポール発展の礎のひとつになったのが、教育制度の充実でした。かつては、華人系は中国語(北京語と福建語)、マレー系はマレーシア語、インド系はヒンズー語又はタミール語しか話せなった国民の多くが、今や共通語として英語を操っています。

 国際都市国家に必須の条件は、単純ですが、英語社会であるかどうかです。英語社会であれば、人材採用を含めた意思疎通が円滑だからです。もっとも、シンガポールで一般使われている英語は訛りが強く、シンガポール独特の英語、即ち「シングリッシュ」と呼ばれているほどです。

 また、アクセスの良さも国際都市国家の絶対条件です。前述のように、リー・クアン・ユーは空港、港湾の分野でハブ化戦略を進めてきました。とくにチャンギ国際空港によりアジアの玄関口として交通インフラが発達しています。このため、関係者が集まりやすく、たくさんの国際会議が開催される中心地になり得たのです。

■旧宗主国の英国のロンドンも英語社会と交通の利便性などを梃子にして、存在感を示してきましたが、シンガポールはロンドンにない特色を2つ備えています。一つは徹底した規制緩和による外資誘致です。もうひとつが、汚職が無く、精度の透明性がきわめて高いことです。

 シンガポールでは会社設立が非常に簡単で、政府の役人には汚職がなく、ビジネスに対する理解度が非常に高いのです。進出した外資系会社が何か不具合を指摘すると、直ちに改善へと動いてくれるのです。聞く耳を持ち、柔軟で迅速な政府の対応は、日本では想像もつかないほどです。

 シンガポールの法人税率は17%と主要国では最も低水準となっており、このことも更に外資の進出を促してきましたが、その他にも、政治の安定、治安の安全、極端な政策変更リスクのない安心感という要素も重要な役割を果たしてきました。

■こうして、世界中から産業と企業が集積し、リー・クアン・ユーは、自分の描いた理想の国家の形がほぼ出来上がったのを見届けて旅立ったわけですが、勿論、負の側面も見逃してはなりません。

 その筆頭は、言論統制です。経済分野では規制の撤廃を進めてきましたが、報道や表現の自由については逆に規制を徹底させてきました。言論の自由度でいえば、シンガポールは世界でも最悪のグループにランクされています。

 これも、政府主導で高成長を維持するための便法ということなのかもしれませんが、政府への批判を封じることで、独裁国家と紙一重だという見方もされています。現に、リー・クアン・ユーの葬儀でそれが国民から大きな批判を招いていないのは、政府が経済政策で結果を出していることを国内外で協調しており、国民の不満を言論統制で巧みにコントロールして抑えているためだと考えられます。

 もちろん、経済分野のグローバル化で、言論の自由度の重要性に気付き始めたのか、最近、シンガポールで政府批判勢力が勢いを増しているのは、経済発展だけでなく様々な自由をも国民が求めるようになってきたことの表われとも言うことができます。

■今回、リー・クアン・ユーの葬儀に参加するため5時間の現地滞在で日本から往復した安倍首相は、「シンガポールを手本として日本の経済政策を革新していきたい」という話をこれまでにもシンガポール政府の要人らにしてきています。

 確かに、「特定秘密保護法」に見られるように、情報を操作することで、自らの政策の実現を強引に進めやすくする手法は、シンガポールに学んだ可能性があります。

 また、TPPや農協改革に見られるように、国政選挙で圧倒的な議席を獲得した自民党を率いる安倍首相としては「支持基盤という意味では農業は重要だが、農業分野の市場開放に強硬に反対している人の絶対数は少ない」と考えており、海外投資家へのアピールとして、農業分野の開放を戦略的に目指していることも、シンガポールを意識していると考えられなくもありません。

 また、冒頭で指摘したアジアトップの一人当たりGDPについて、実際には、格差が著しく、所得の二層化が進んでいるため、数字だけ見て同国の国民全員が豊かであるという判断をするのは間違いです。

■安倍首相は、日本国内では、保守的な現状維持派を装っていますが、海外では構造改革派としての顔を表に打ち出しており、ちゃっかりと2つ顔を使い分けてきました。この背景には、構造改革に突き進み挫折した前回、2006年の第一次安倍内閣の教訓が影響していると見られます。

 しかし、安中市の2.6倍の面積に、群馬県の2.7倍の人口が住むシンガポールと、面積で514倍、人口で23.4倍の我が国とは規模が異なり過ぎます。シンガポールを手本にするのであれば、汚職の絶滅など、行政システムの透明化を優先的に図るべきです。

 一方、シンガポールは日本が抱える急激な高齢化と少子化については、以前から注目してきており、非常に詳しく分析をして、対策を進めてきました。この問題に手をこまねいてきた我が国の二の舞は演じないようにするためです。

■かつて、1990年代にシンガポールを訪れると、1970年代に見られた低層の住宅はほとんど姿を消して、高層アパート群に代わっていました。現在は更に人口密度が高くなり、さらに高層化が進んでいます。このため、公団住宅の価格は非常に高く、新婚夫婦にとって、マイホームを手に入れるのは至難の業で、当面はどちらかの親夫婦と同居しなければならず、政府は新婚夫婦のためにわざわざ短期型宿泊施設を整備しているほどです。チャンギ空港から市内に向かう道路の脇に、そうしたロッジ風の施設立ち並んでいるのを見て現地の人に聞いたら、その理由を教えてもらったことが有りました。

 インフラも完備し、治安の良さや暮らし易さは、一度シンガポールに住むと、日本に帰りたくなくなるとも言われています。これは、うわべだけを見れば確かにそうなのですが、シンガポールの政治体制や国民の監視体制の実態を見れば、前述のとおりの言論統制や国民総背番号制を実践しており、政府を批判するとすぐに目を付けられ、裁判もかなりいい加減だと言われています。

 このように安倍首相が目指す国家のイメージは、シンガポールのような管理国家を手本にしているのかもしれません。シンガポールでは男子国民には兵役義務を課しており、海軍力は、韓国よりも上で、アジアでは日本に次ぐと言われています。

■シンガポールでは、人口の4分の3を占める華人の大半は、かつて中国本土から移民として流れて来た華僑の子孫たちなので、中国語と福建語の両方をしゃべります。そのため、同じ福建語が通じる台湾との交流はさかんですが、今や経済大国となった中国との関係も極めて深くなっています。にもかかわらず、台湾とも中国大陸とも上手に付き合っているのは、そのようにしないと国が生き残れないことを熟知しているからです。

 リー・クラン・ユーの息子が首相の座を引き継いで、世襲を可能にしているのも、こうした言論統制や管理社会より可能になっていると考えられます。「明るい北朝鮮」とも言われるシンガポールが、今後どのような発展を示すのかどうか、一番関心をもっているのはほかならぬ我が国の首相かもしれません。

【ひらく会情報部】
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