2009/12/11  23:56

秘密のヴェールに包まれていた閉鎖都市ウラジオストク・・・現在の実態(その5)  国内外からのトピックス

■1917年10月のロシア革命後も、極東に位置していたウラジオストクは1922年まで、赤軍=ソ連政権が進出して来ませんでした。この空白期間に、アトランタ条約で、イギリスとアメリカ軍が当地に入りました。日本も、現地で発生した商社員殺人事件を理由に、軍隊を派遣し、当地のみならず、シベリアのかなり奥地まで進駐しました。これがシベリア出兵とよばれるものです。

 白軍と赤軍による内戦が続いていた1920〜1922年の間、極東共和国の支配下にあったウラジオストクには、各地から白系ロシア人が押し寄せたため、市の人口は、9万7千人から41万人までに増加しました。しかし、1922年10月25日に、最後の外国軍部隊が撤収したため、ウラジオストクは赤軍の支配下に入りました。市の人口は、あっという間に10万8千人にまで減少しました。

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ロシア革命で勃発した国民戦争で赤軍が勝利したのを記念する革命広場。両側のモニュメントは、パルチザンの貢献を示す銅像。
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