2019/11/8  21:20

19秋・潜入調査記in沼津高専…アカハラ犯・雑賀洋平の「今」とその狙いを探る(1)  群馬高専アカハラ問題

■群馬高専で凄惨な被害を出した大規模アカハラ事件の犯人・雑賀洋平氏。当会による不断の追及調査活動のさなか、19年4月、突如として沼津高専に「人事交流」で逃げていきました。この沼津逃亡について新たに調査をしたところ、沼津高専現校長の藤本晶氏と雑賀氏が旧職場繋がりでコネがあった事実や、実際に藤本氏がパワハラ紛いのやり口で自校に雑賀氏をねじ込んだ経緯や、沼津での雑賀氏の業務実態が不明(後期担当科目なし)で年1千万円近くの人件費がドブ捨てになっている現状が明らかになりました。更に、この「異動」の決定経緯について当会が文書開示請求したところ、数々の極めて異例な待遇がなされていた事実関係が見えてきました。
○2019年10月3日:群馬高専アカハラ犯雑賀教授の沼津逃亡経緯情報を開示請求!高専機構本部にて受領した文書の中身は…
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11月2日、高専祭に大盛り上がりの沼津高専


 しかし、それでもこの雑賀氏の沼津逃亡には謎や不明点が多く、仮説が乱立するばかりでそれ以上の前進が見込めなかったため、当会では一度沼津に現地偵察に赴いてみることにしました。調べると、11/2(土)・3(日)にわたって沼津高専の高専祭があり、構内が一般開放されるようなので、この機会を利用することにしました。
※参考:沼津高専HP/高専祭(ログ) http://archive.is/9FrK4

■当日は朝6時53分高崎始発の上越新幹線Maxたにがわ472号に乗り、7時52分に東京駅に着きました。改札を出て東海道新幹線の乗り場に向かうと、チケット売り場にも長蛇の列で、改札口前には20mくらいの長さの入場する旅客のひとだかりが隙間なくひろがり、しばしボー然とさせられました。3連休の初日ということもあるでしょうが、家族連れや外国訪問客らも多く、さすがにJR東日本のドル箱路線です。

 しかたなく、改札口前のひとごみに飛び込みました。5分くらいかかってようやく改札口を抜け、ごったがえしているのぞみの発着ホームへの階段を横目にして、一番奥のこだま号の発着ホームに向かいました。自由席が多いのと、東京からこだまでも1時間足らずで沼津に着けるためです。

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 早めに列に並んだおかげで、午前8時26分発のこだま639号に乗ったときは空席が半分くらいでしたが、出発時には8割ほど埋まり、品川駅では座りきれない人が多数出ました。新横浜でもさらに多くの乗客が入り、通路もデッキも立錐の余地がなくなりました。しかし、小田原を過ぎ、熱海につくと一気に乗客が減り、ほとんど立っている人はいなくなりました。熱海から三島までは新丹奈トンネルを経由してわずか6分余りで到着です。

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↑まもなく三島駅。生憎、富士山頂には雲がかかっていた。↑
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三島駅ホーム。
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三島駅北口。
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無料シャトルバスで沼津高専に向かう。

 午前9時21分に三島駅に着き、北口で沼津高専の案内職員の誘導で9時半発の韮山交通からチャーターした無料シャトル小型バスで会場に向かいました。住宅街を抜け、川を渡り、畑風景が左側の車窓に見えるとまもなく、沼津高専の正門に着きました。バスを降りると、そこにはかつて半世紀前に筆者も体験した覚えがかすかに残る、あの文化祭特有の高揚した雰囲気が充満した光景が広がっていました。

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■もとより、学生の皆さんが作り上げた大事な祭典……高専祭の趣旨とは全く別のところで当会が騒ぎ立ててしまうことで、その美しい思い出に泥を塗るわけにはいきませんし、本意ではありません。したがって当会では、あくまで一参加者として高専祭の盛り上げに微力ながら寄与することを第一に意識しつつ、その範囲内でキャンパスの観察を行っていくことにしました。

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沼津高専のキャンパスマップ。同校HPより。雑賀氏の「教員室」がある電気電子工学科棟(E科棟)は6番

■電気電子工学科棟に入り、階段を上がると、3階廊下の突き当たりに雑賀洋平の割り当て部屋がありました。特定の学科に所属しない専攻科直属の扱いなので、本来は専攻科棟や管理・共通棟が妥当なはずですが、適当な空き部屋がこれしかなかったということでしょうか。

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電気電子工学科棟3階掲示配置図。
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雑賀室に続く廊下。

 雑賀教員室に近づいてみると、まず表札が目に入りました。驚いたことに、「電気電子工学科教員室 雑賀洋平」とそう書いてあります。単に部屋の区画が電子情報工学科棟内であるというだけの意味でそう記載してあるのでしょうか? それとも、藤本氏の圧力が奏功し、ついに雑賀氏を電気電子工学科に押し込むことに成功したのでしょうか?

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雑賀教員室の表札。

■更に驚くことに、窓のガラス越しに雑賀教員室の中を覗いてみると、まさに「もぬけの殻」という言葉そのものの状況でした。がらんどうのだだっ広い部屋に、空のスチール棚や埃をかぶったデスクが1つ2つ無造作に置かれているだけです。ここで研究活動に勤しんでいるとは到底思われません。

 デスクトップモニタが1台置かれているのは見えましたが、本や書類や身の回り品も見当たらず、教育・研究活動はおろか、沼津高専教員としての最低限の業務の拠点にここを使用している形跡すら見受けられません。

 ……雑賀氏は、税金と授業料から高給を貰いながら、同僚が教育や研究に励み学生が勉学に勤しむ日中、いったいどこで何をして時間を過ごしているのでしょうか?

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雑賀教員室内の様子。

■雑賀氏がここを使っている姿を見たことがあるかどうか、付近の学生に聞いてみようかと思いましたが、見回しても周辺には人の気配もなく、外から聞こえてくる高専祭の喧騒も相まって、よけいに「雑賀教員室」の閑散とした印象と寂寥感が増幅されました。

 ここで、昨年度分の沼津高専の校内配置図を確認してみると、「プロジェクト」と名の付いた、事実上用途のない倉庫同然の部屋であったことが確認できます。

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H30年分の教員室配置が反映された管理棟・共通棟・E科棟3階の配置図。沼津高専HPより。今年度分の配置図はHP未公開の模様

※参考:H30年度分の沼津高専配置図
http://www.numazu-ct.ac.jp/wp-content/uploads/03campuslife/14handbook/H31handbook.pdf(末尾)
ZIP ⇒ h30_numazukousen_haiichizu.zip

 この昨年度分の教員配置図を見る限り、共通棟や専攻科棟にも「プロジェクト」部屋は複数あるようです。しかも、一般的な教員室のサイズとみられるものがです。それにも関わらず、藤本校長はなぜ、学科に所属しない雑賀氏にわざわざE科棟のこのだだっ広いプロジェクト部屋をあてがったのでしょうか?

■湧き出し続ける疑問を抑えつつ、2階に降りて、今度は共通棟にある教養科の小林美学氏(現在東京高専に赴任中)の教員室を見に行きました。

 以前の記事でも大きな謎のひとつであると報告した、全国立高専の4千名近い教員の中で、雑賀氏以外に唯一、今年度に交流先指定のうえで「人事交流」により転任していった人物です。しかも、高専機構の交流希望受付締め切りがとっくに過ぎた後に藤本校長が書類を作成・提出し、機構もそれを何の問題もなく受領しているなど、「そこまでしてなぜ小林氏が東京高専に行かなければならないのか?」と思わざるを得ないほど不自然な経緯でした。タイミング的に雑賀の玉突きで異動を余儀なくされたように見えなくもないことも、疑問に拍車をかけていました。

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管理棟・共通棟・E科棟2階の配置図。出典同上。同フロアには校長室もあることがうかがえる

 小林氏の教員室のドアの前に立つと、名札はそのままに、「2020年3月まで、人事交流制度で東京高専にいます」との張り紙がなされていました。ガラス越しに部屋をのぞくと、部屋の主こそ不在であるものの、物は全部そのままに置かれているようでした。来年4月にここに戻ってくるのは確かなようです。

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小林美学氏の分析準備室名札。
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小林美学氏の準備室ドアの張り紙。
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同準備室内部の様子。
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同教員室の名札。
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同教員室内部の様子。

 当会では、最悪の場合、小林美学氏を追い出した部屋に雑賀洋平を入れているのではないか、という仮説まで立てていましたが、幸いそれは否定されることになりました。しかしそうなると、小林氏が急遽たった1年間の「人事交流」に出なければならなくなった理由がいよいよさっぱり分からなくなりました。

 小林氏に白羽の矢が立った理由は、専門が化学であることから、抜けた穴は他高専からの人事交流や非常勤講師に頼らずとも、物質工学科の教員で補填できることにあるのかもしれません。しかし肝心の、なぜそもそも「人事交流」しなければならないのかについては、依然として合理的な説明が見当たりません。謎は据え置きになりました。

■今度は、同フロア管理棟、廊下の突き当たりにある校長室を見に行きました。上記の配置図画像をご覧いただけばわかる通り、雑賀洋平の「教員室」から見ると、目の前の廊下をずっとまっすぐ行って階段を下りればすぐに校長室です。

 そうなると、わざわざE科棟のプロジェクト部屋を用意した理由は、甘えん坊な雑賀ちゃまのため、頼りになる藤本パパの目の届くところに「子供部屋」を設置したかったということでしょうか? もっとも、肝心の本人が部屋を使っていないので、そんな配慮があったとしてもまったく意味がなかったようです。

 冗談はさておいて、校長室の前に来ると、まずその広さが群馬高専の比ではないことに驚きました。ただ、写真の通り執務室というより高級な会議室といった風情なので、平常の校長執務は隣の校長研究室(上記配置図参照)で行っているものと考えられます。そして配置図をご覧いただいてもわかる通り、数部屋挟んで総務課庶務係があり、雑賀氏受け入れ拒否を学科長らが伝えた際の藤本晶の罵声が漏れ聞こえてきたというのもうなずけます。

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校長室内の様子。

■管理・共通・E科棟の建物を起点に、キャンパス内を少し散策してみることにしました。小林美学氏の教員室の直ぐ隣りに留学生の皆さんの部屋があり、それぞれのお国柄の展示がありました。

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留学生の部屋。
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タイ(奥側)とベトナム(手前)。
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モンゴル。
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インドネシア。
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スリランカ。世界遺産で有名なキャンディ付近出身で、3年生の彼女は来日後、東京で日本語を習った後、入学。卒業後は日本の自動車メーカーに就職希望という。↑
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クラブ活動は盛んだ。多種多様で充実している感がある。
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大道芸同好会のパフォーマンス。
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不審者注意の張り紙。
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沼津高専校歌碑。
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教育後援会事務局。一番北の図書館1階ロビーの一角にある。
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今年のノーベル化学賞吉野先生も9年前に講演で同校に来訪した。
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同校はなだらかな斜面に位置しており、学校正門から図書館に向かって緩やかな上りとなっている。学校の北方向には富士山がある。近隣には送電鉄塔がずいぶん多い。

 ふたたび展示物を見たりや出し物を体験しつつ中央通路を南下しました。

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■沼津高専内の調査は午前で切り上げ、正午過ぎのシャトルバスで同校を後にして、三島駅北口に戻りました。午後は別の場所を偵察してみようと考えていたからです。それは、沼津高専の教職員宿舎です。

 雑賀氏が今回の沼津逃亡にあたり、住宅手当を貰って民間物件に住んでいるのか、それとも教職員宿舎に住んでいるのかは不明です。しかし、関係者の言によれば、他県から一時的に務めに来ている人事交流の教員はだいたい宿舎に入居しているようです。建物は古いことが多いようですが、わずらわしさが付き纏う民間物件と比べ、賃料は安価で、敷金・礼金・仲介手数料が不要で、1年限定でも借りやすいなどメリットが大きいので、人気もさもありなんと感じます。

 とすれば、雑賀が教職員宿舎に住んでいる可能性は高いように思われます。ことによっては、雑賀氏の住居の確保についても藤本校長が部下の尻を叩いて奔走していた可能性も否定できません。

 話によれば、三島駅から北に1kmほど歩いたところにある「合同宿舎文教住宅」という団地が、市職員や税務署員などと合同で沼津高専の教職員の宿舎になっているとのことです。

 そこで、三島駅北口から足を運んで見に行きました。

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JR東海の総合研修センター。
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古い鉄道橋を記念に保存してある。
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同じ構内に新幹線操縦者のための研修所も併設。
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敷石までJR東海のシンボル。潤沢な資金力がここにもうかがえる。
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汗だくで、南側の団地入口に到着。
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団地内の案内掲示板。
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一番北の1号棟は老朽化で取り壊され駐車場になっている。
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階段部の共用スペースのメンテも、レトロな北側ほど行き届いていない。
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南ほどモダンなつくりとなっており、ベランダの干し物も賑やかだ。入居希望も多いはず。

 結局、雑賀がこの教職員宿舎に入居しているかどうか、確実な真相はわかりませんでした。とはいえ、沼津高専への人事交流者の大半がどのような住環境で暮らすことになるのか、そこに我々の税金がどう投入されているのかについては、実際に目で見て体感することができました。

■こうして沼津での現地調査を終えて、群馬に戻ることになりました。11月とは思えぬ暑さも手伝って、やや歩き疲れた足を引きずり、JR総合研修所の前を抜けて三島駅に戻るとタイミングよく午後1時56分のひかり466号に間に合い、東京経由午後4時すぎに高崎に戻りました。

 今回の沼津高専訪問により解決した疑問の傍らで、新たに噴出した謎の数々を抱えることになったため、当会では、現地調査の第2弾として、群馬高専にも足を踏み入れることにしました。

【続編】
19秋・潜入調査記in群馬高専…アカハラ犯・雑賀洋平の「今」とその狙いを探る(2)
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/3070.html

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告・この項続く】
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