あかがね街道市の大薬師如来立像、コロナ禍のドサクサの中、盗難される!  国内外からのトピックス

■群馬県みどり市大間々町のあかがね街道市協同組合所有の「あかがね薬師如来」は高さ8.8mで、一木(いちぼく)から作り出された純粋な木彫り像としては、日本で一番背が高い仏像として知られていました。この像は、円空彫りを今に伝える岐阜県丹生川村の円刀会の皆さんにより、1年余りの期間を掛けて彫り上げ、平成9年11月30日に、大間々町にあるあかがね街道・円空市のシンボルとして、「いこいの広場」の中央に設置され、平成9年11月30日に除幕式が行われ、以来、23年にわたり、優しく地域のかたがたに慈悲のまなざしを向けてきました。ところが令和2年11月26日に、突如として、仏像入居建物とともに、跡形もなく消え去ってしまったのです。一体なにが起きたと言うのでしょうか。この仏像を所有していた方からの驚くべきレポートを報告いたします。
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在りし日の大薬師如来立像。


 衝撃の事件が発生したのは、2020年(令和2年)11月26日(木)午後1時頃でした。場所は、群馬県みどり市大間町大間々401にある大間々ショピングプラザ内の潟Zキチュー・鰍ニりせん駐車場の一角です。

 仏像のオーナーのあかがね街道市協同組合によれば、被害金額は仏像だけでも8000万円以上で、この他、重さ60トンの土台に250万円、仏像を納めていた建物に300万円の費用を投じたとのことです。

 同組合では、事件発生12日後の令和2年12月8日に桐生警察署に被害届を提出しました。その後、同組合でも独自に調査した結果、同じ敷地内にある潟Zキチューの職員で、開発課に所属し、高崎市倉賀野町に在住するアオキと称する人物がこの事件に何らかのかたちで関与していたことが判明しました。

■地域の観光物産の活性化に連動し寄与するための一助として、また、大間々町の名物として、沢山の人から寄付を賜り平成9年11月30日に建立されたこの大薬師如来立像は、訪れる人への癒しのシンボル像として大切な存在でした。その仏像が、奇しくも建立から23年目の誕生日を迎える4日前に、盗難に遭ってしまいました。

 この仏像の彫刻者の一人は、円久師匠と呼ばれている久保田幸次氏です。同組合によれば、同氏について、平成20年に当時の群馬県の小寺弘之知事の紹介で、東京芸術大学学部長の池田政治教授(当時)に面談して聞いたところ、「平成の新円空仏師に称する」と評価されるほどの腕前です。詳細は記事末尾を参照ください。

 当時、久保田氏は、画家で元大蔵省官僚でもあった桜庭厚生氏に「素晴らしい彫刻だ」と称賛され、さらに2006から2008年に拉致問題を担当した中山恭子・参議院議員(当時)より「横田めぐみ様が、1日も早く帰国出来ますように」との思いを託され、心血を注いで彫った慈母観音像が、同組合理事長の森嶋善次郎氏からめぐみ様のご両親様へに贈呈されました。その他、久保田氏の作品は、数々の神社仏閣に奉納されております。

 盗難に遭った薬師如来像は、その様な立派な彫刻師の思いが込められて彫りあがった作品であり、沢山の方々の願いや想いが詰まった、大切な大切な大薬師如来立像でした。同組合では、「一日も早く見つかりますように」として、盗難に関する情報を求めています。

 被害届を受け取った桐生警察署においても、現在容疑者と目されているセキチュー職員やその関係先の捜査を開始していただいているものと思われます。

■同組合によれば、この大薬師如来立像の建立の経緯は次のとおりです。

@平成7年当時、群馬県商工会連合会指導部長の佐藤稔氏の指導のもとに岐阜県丹川村千光寺(円空仏)を訪れることになる。
Aその際、大間々町観光物産協会会長の木村功氏のご好意で大型バスを手配し、総勢52名で現地に研修に赴く。
B現地で、円空彫り継承者で構成される「円刀会」のメンバー6名を紹介され、これを機会に円刀会との交流が始まる。
C全国商工会連合会会長の近藤英一郎氏にも相談した結果、正式に彫刻依頼を行うことを決め、佐藤稔氏を通じて円刀会に伝える。
D当時の山同賢治・大間々町長(故人)が、数ある円空仏から薬師如来立像を選出する。
E平成8年より、彫刻作業を開始し、平成9年11月に建立する。
Fその後、この大薬師如来立像を訪れ称賛されたかたがたには、次の諸氏がいる。
・中央大学名誉教授 亀山三郎氏
・東京芸術大学教授 辻茂氏
・千葉大学大学院非常勤講師 堀内道夫氏
・駐日モンゴル人民共和国大使 ウランバヤリーン・ウルジーニャム氏
・駐日マリ共和国大使 ジャワラ・モハメット氏ほか
・その他多数

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モンゴル大使(最後列中央)を迎え大間々八木節会メンバーらと。近藤町長、黒保根村長、東村村長らも同席。

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平成7年2月、東京芸術大学正門前にて。

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円久師匠の数々の作品。

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マリ共和国大蔵大臣来訪。

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円久師匠(前列右端)。

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2010年渋川市伊香保町の水澤寺に薬師如来像を奉納する円久師匠。

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↑モンゴル議員団を迎える小寺知事と大間々町会議員達。↑

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2000年3月25日開催の沖縄サミット記念イベント。

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イベントを見守る大薬師如来立像。

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あかがね街道市のフリマの賑わいを見守る大薬師如来立像。

■以上のように、国内外の大勢の皆様方の思いが詰まった大切な大切な、大薬師如来立像です。同組合では、一日も早い事件の解決を切望しており、桐生警察署に対しても、早期の捜査進捗と犯人逮捕を連日要請しています。

 一本彫り木像として日本一の高さを誇り、23年間に亘り地域に愛され親しまれてきた大薬師如来立像。そもそも薬師如来とは、東方浄瑠璃光浄土の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれており、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされています。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来のなかでも現世のひとびとの信仰を集める対象として知られています。

 コロナ禍で人心や世相が荒む中で、薬師如来への帰依はますます重要性を増しています。その最中に発生した今回の言語道断の「罰当たり」な事件は、警察の捜査により全容の解明が注目されています。

【市民オンブズマン群馬みどり支部からの報告】

※参考情報1「あかがね円空像関連ブログ」
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■2016年5月7日:群馬B級スポット「円空茶屋の巨大円空彫薬師如来像」
http://www.b-gunma.com/enkuutyaya.php
■2014年3月28日:百科図鑑大仏訪問記【大仏巡礼】「あかがね薬師如来訪問」
http://kurosuke969696.web.fc2.com/2000-428ennkuubutu.htm
■2015年3月30日:クロスケ on Twitter“あかがね薬師如来”
https://twitter.com/96_suke/status/582351271975215104

※参考情報2「円空彫仏師・円久 久保田幸次氏 年譜」
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昭和06年(1931)1歳:群馬県前橋市富士見村に生まれる。円空仏の彫像をはじめる。
昭和45年(1970)39歳:前橋市で円空彫りの教室を開く。
昭和55年(1980)49歳:前橋市スズラン百貨店で円空彫像の個展を開く。
平成 元年(1989)58歳:北橘(ほっきつ)村八崎・観音堂に薬師三尊像を奉納。
平成03年(1991)60歳:前橋市青柳・天台宗龍蔵寺に薬師三尊像を奉納。
平成10年(1998)67歳:養
平成12年(2000)69歳:蚕農家の古銘木・大黒柱で阿弥陀仏を彫り奉納。
平成15年(2003)72歳:太田御嶽教営山嶽・心講元一心霊神像を彫る。
平成16年(2004)73歳:赤城清山カルチャーセンター玉体仏を彫る。
平成17年(2005)74歳:渋川市立図書館で木彫二人展を開く。
平成18年(2006)75歳:勢多郡富士見村・天台宗安楽寺に不動明王像を奉納。
平成19年(2007)76歳:渋川市榛東小学校に保存の桜古木で地蔵菩薩を彫り奉納。大薬師如来立像・修正完成する。みどり市あかがね街道・聖観音菩薩を彫る。
平成20年(2008年)77歳:渋川市威徳山・天台宗真光寺の涅槃用柚榛に秘仏を彫る。他に不動明王、思惟菩薩、慈恵大師など20体を奉納。
平成21年(2009)78歳:東京藝術大学にて美術学部長・池田政治教授と面談、自作の円空彫仏像の鑑定を受け「新円空彫」を称するに値する、との評価を得る(10月27日)。
平成22年(2010)79歳:渋川市伊香保町の水澤寺、薬師如来像奉納。
平成23年(2011)80歳:ご逝去。
平成24年(2012)81歳:横田めぐみ様らの一日も早いご帰国を願い遺族が慈母観音像を贈呈。
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※関連情報3「円空彫 薬師如来像由来」
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「あかがね薬師如来」は日本一背が高い木彫仏
 「あかがね街道・円空市]のシンボルとして「いこいの広場」の中央に優しく立つ円空彫・薬師如来像は、高さ八.八mで、一木(いちぼく)から造り出された純粋な木彫像としては日本で一番背の高い仏像です。
 円空彫とは円空が生み出した独創的な「舵(なた)ばつり」という大胆な鑿(のみ)跡・刃跡を残す彫技で、素朴ながら逞しい生命力を表現しています。
 この像は円空彫を現代に伝える岐阜県・丹生川村の円刀会の皆さんが一年余の歳月をかけて彫り上げました。雄渾(ゆうこん)でのびやかな彫痕が笑みを含んだ柔和な面差しを一層引き立てており、はやくも逸品との讃が高まっています。
 平成九年十一月三〇日に開眼式が行われました。
あかがね街道大間々宿は昔は銅と絹で賑わった
 銅山(あかがね)街道は、足尾銅山で産出された銅を江戸へ運ぶために江戸時代初期の慶安二年(1649)に開かれた道です。道筋は、渡良瀬川の右岸に沿って直線的に南へ下り、沢入(そうり)から花輪、大間々(桐原)、大原本町(薮塚本町)を経て平塚河岸(のちに尾島町亀岡河岸に変わる)に至り、河岸から船に積まれて利根川を下り江戸・浅草の銅蔵へと運ばれました。
 このような足尾産銅の積出路を銅山(あかがね)街道といい、道筋五カ所の宿場にはそれぞれ御用銅問屋・銅蔵が設けられました。
 大間々宿にはさらに絹市も立ち、三井、白木屋、松坂屋など江戸一流の呉服商が繁く往来し、この取引で宿場は一層賑わいました。
大間々宿で円空が薬師如来像(町重文)を刻み遺した
 円空は、江戸時代初期の寛永九年(1639)に美濃国(岐阜県)に生まれ、吉野の大峰山で天台真言密教を修行した修験僧です。生涯に十二万体の仏像を彫り上げることを誓い、北海道から近畿にいたる諸国を巡礼し、おぴただしい彫像を刻み遺しました。
 延宝八年(1680)頃、円空は関東にいたり、上毛の三霊山、妙義・榛名・赤城で修行を積んだのち、銅山街道を北上して日光に登りました。そのとき、妙義山で不動明王像(妙義神社)を、榛名山で阿弥陀如来像(水沢観音寺)を、赤城山で月光菩薩像(大間々町重文・成満院)など優れた仏像を刻み遺しました。
 大間々町 の藤生家から浅原禅桂寺に納められた薬師如来像(町重文)もその一つです。
現世の乾きすべてを満足させる薬師如来ご利益
 薬師如来は、お釈迦さまの化身で、十二大願という十二の現世御利益を授けます。
 薬師とは、いまでいう医師のことです。ですから「除病安楽」(どんな病気もすぐ治る)が第一番のご利益になりますが、ほかに、「諸根具足」(障害を持つ人の体が正常になる)、「苦悩解脱」(苦しみ悩みから解放される)という心身に関することから、「飽食安楽」(おいしいものが飽きるほど食べられる)、「美衣満足」(美しい衣服が着られる)などにいたるまで、それは現実的で具体的な御利益です。
 「あかがね薬師如来」は、大間々町及び周辺地域の人々にお釈迦さまの十二大願があまねくもたらされることを願い、フリーマーケット「円空市」の発足に当たって、繁栄と幸福のシンボルとして建てられました。
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※関連情報4「資料等」
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飛騨国袈裟山千光寺パンフレット ZIP ⇒ urpt.zip
円空仏彫刻のすすめ(円久会) ZIP ⇒ v.zip
1997年11月30日あかがね会合市円空市チラシと除幕式祝金リスト ZIP ⇒ 19971130xsgsv.zip
2000年3月25日あかがね街道市沖縄市チラシ ZIP ⇒ 20000325xsgsv.zip
2005年12月11日あかがね街道市フリマ広告チラシ ZIP ⇒ 20051211xsgtlv.zip
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