『マルコム、死す』。
金曜未明からこの話題が飛び交っています。
そこで、
1978年にマルコムの家に行った数少ない(と思う)日本人、パディに思い出を語ってもらいましょう!
ーーマルコムに初めて会ったのはいつ?
PADDY いつが最初なのか覚えていないけど、1978年〜1979年にかけてRAPEDをやっていた時。2〜3回は会ってるはずだけど、一番よく覚えてるのはチェルシーにあったマルコムのフラットに行ったこと。
ーーどうして彼の家に行くことに?
PADDY 仕事の話でRAPEDのメンバー全員とマネジャーのアランとで行ったの。マルコムが仕切るパンク・イベントがあって、RAPEDも出ないかとか、そんんな感じ。映画『The Great Rock 'n' Roll Swindle』への出演オファーもあったみたい。企画の内容や条件とかをマルコムとアランが2時間くらい話してたんだけど、話がまとまらなくて。最後はケンカになって、皆で帰っちゃった(笑)。
ーーじゃあ、そこでケンカにならなければRAPEDが『The Great Rock 'n' Roll Swindle』に出ていたかも?
PADDY んー、どうかな。彼はRAPEDに興味を持ってたと思うけど、元々うちのギタリストのフェビアンって、セックス・ピストルズのオーディション受けてマルコムとケンカしたでしょう? うちらとは相性が悪いのかもね。ピストルズのメンバーとは、全員個人的に仲良かったんだけど。
ーー1978年当時のマルコムの家ってどんな感じ?
PADDY 高級住宅街にある立派なフラットで、内装も豪華で重々しい感じ。とにかくリッチな家だった。同じ頃、ジョニー(ジョニー・ロットン)なんかすっごく汚い部屋に住んでたから、マルコムはお金あるんだな〜って思ったよ。
ーーパディから見たマルコムは、どんな人だった?
PADDY (きっぱりと)変な人! ヘンタイ。もちろん頭は切れるよ。すごく鋭い。でも何もしてなくても、そこにいるだけで「普通じゃない!」って思わせる独特の雰囲気を持ってた。とにかく、変わった人。
ーー訃報を聞いてどんなことを思った?
PADDY ああ、あの頃の人がまた一人いなくなったんだなぁ、って思ったけど……、マルコムはずっと死なないような気もしてた。彼がピストルズを仕掛けなかったら、僕がロンドンに行ってもパンク・シーン自体なかったかもしれないね。
ある意味、パディの人生を変えた人。R.I.P.
