カドリー・トイズはキーボードを加えて、さらにドラマチック/シアトリカルなステージでファン層を拡大。ミュージック・マシーンやマーキーでヘッドラインをつとめ、ライシアムやエレクトリック・ボ−ルルームなどの大会場にも登場。気鋭のニューウェイヴ・バンドとして知られるようになる。また、日本人ドラマー、パディの存在により日本の音楽関係者にも注目され、テイチクと契約。1979年秋に日本先行でファースト・シングル『Madman』(邦題/狂った抱擁)、ファースト・アルバム『Guillotine Theatre』(邦題/倒錯のギロチン・シアター)リリース。
『Madman』はマーク・ボランとデヴィッド・ボウイが1977年に共作した曲。当時、ボランとボウイが共同で若手バンドをプロデュースする話があり、そのための楽曲だったらしい。ボランの事故死によってお蔵入りした幻の曲だったが、ボウイの許可を得てカドリー・トイズのデビュー盤となる。イギリスでは1980年6月にファースト・シングル『Madman』、1980年12月セカンド・シングル『Astral Joe』リリース。『Guillotine Theatre』英国盤は、日本盤とはミックスを変え、曲をいくつか差し換えたものが1981年にリリースされた。
1980年〜81年にかけてショーン以外のオリジナル・メンバーは脱退。後期のカドリ−・トイズは、覆面レスラーのケンドー・ナガサキやボウイの元妻アンジーがマネージャーとして関わったが、やがて活動を停止。ショーンは1982年に限定ユニット(?)のGOATで6曲入り12インチ・シングルを制作したが、その後ロンドンを離れる。
1990年代、イギリスではネオ・グラムの動きが生まれる。そこにはカドリ−・トイズをリスペクトするバンドが多く、スウェードのファースト・アルバムにも『Guillotine Theatre』の影響が感じられる。2001年、カドリ−・トイズの残した音源からベスト盤『The Best of Cuddly Toys』がリリースされ、若い世代にも知られるようになる。このCDには1979年にBBCのスタジオで収録した『Madman』のプロモ映像も含まれており、オリジナル・メンバーの演奏シーンを見ることができる。
ショーンは1996年、脳腫瘍のため37才で世を去る。フェビアンはジャズ・ギターに転向、トニーはフォトグラファーとして活動している。