追憶 10 下宿屋での生活
(昭和31年頃)2年生〜3年生へ 弟4才の頃です
これは私の幼少期の体験と心情を書き綴ったものです
お時間のある時にでも読んで下されば嬉しいです
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今までのお話がすべて分かります
*小学校1年生で弟が1才の頃、父母と別れて祖父母や
叔父一家のお饅頭屋(明治屋)さんに預けられての生活です
(また新しい環境での暮らしが始まります)
追憶9の続きです
毎日明治屋でお手伝いをしながら学校へ行った
アロマ(犬)のために前歯の1本が半分に欠けた
痛みは相変わらずズキズキとしたがどうしょうも
なかった。
3年生になって暫くしてからおじいちゃんと
おばあちゃんがよくどこかに行くようになった
それからある日、ヨシツグおじちゃんの配達の車で
おばあちゃんとおじいちゃんと私とで出かけた
大きな家を建てていて、ほとんど出来上がっていた。
おばあちゃんは私にもう少ししたらここに
引っ越すんやでと言った
引っ越すのは、おじいちゃんとおばあちゃん、私と
ヨシ坊でした。明治屋のヨシツグおじちゃんが
トラックに荷物を積んで運んだ。
新しい家の前には道路を隔ててヒサコおばちゃん(父の妹)
一家が住んでいた
従弟のトオルちゃんの家でしたが初めてだった。
ここへ引っ越してまた新たな生活になったけど
今までとは違う忙しさになった。
おばあちゃんは下宿屋さんを始めたんです
2階建てで1階には部屋が五部屋と2階に二部屋。
わたしたちの部屋は別です
お饅頭屋の明治屋からバス停五つ分くらいの距離で
堺市三国ヶ丘です
でも私の小学校は転校せずに通うことになりました。
堺市の三国ヶ丘というところでの生活が始まった
おばあちゃんの下宿屋さんの部屋は全部満室になった
各部屋の前に顔を洗う水道が4っつあり、横に
トイレが一つ。
お風呂もあるけどガスで焚くので薪割りをしなくても
良くなった
下宿人のおにいさんたちは銭湯へ行く人もいるし
私たちの最後に入る人もいる。
台所とその横に食事部屋があり大きな長いテーブルが
あって全員の朝食と夕食をおばあちゃんが作る。
私の朝は今までよりも早く起きないといけなくなった
冬は火鉢を二つ準備するのに台所の横の勝手口を出て
炭を起こす、火がついたら食事をする部屋の火鉢と
おじいちゃんの広い部屋に運ぶ。
この部屋で4人が寝ている。
この部屋の横に広い縁側がありおばあちゃんは
たくさんの花を植えて楽しそうだった
私もそこから見えるユキヤナギや紫陽花がまだ
小さいけど可愛くてゲタを履いて歩いた
夏は蚊取り線香の匂いが漂っているところで
ヨシ坊とトオルちゃんとスイカを食べた。
朝食はパンの人はテーブルの上にあるトースターで
各自起きてきた順番に焼くので、おばあちゃんは
紅茶を入れ目玉焼きを作る。


ご飯の人はお味噌汁とおかずと漬物なので
私も運ぶのを手伝った。
私はパンだけを食べる、後で楽しみがあるからだ。
下宿人の人たちは半分が会社員で後は学生さんだった
みんな優しくて良い人ばかりだった。
食事が終わったら広い玄関の上の板間に座り
おばあちゃんに長い髪を三つ編みにしてもらう。

その横を下宿人のおにいさんたちが順番に私に
「行ってきまーす、とか行ってくるよー」とか
声をかける。
それからおじいちゃんは明治屋(お饅頭屋)へ
単車に乗って行く。
私はおばあちゃんがバス停まで送ってくれた
私はヨシ坊の手を引いて畑を通り田んぼを通り
野原を通り遠いバス停まで歩く。

バスが来るとおばあちゃんはバスガイドさんに
5円渡して「一条通りまで乗せてやってな」と言って
満員のバスの中に私のランドセルの背中を押して
乗せる、そして振り向いて泣くヨシ坊の手を
引いてまた帰って行く。
でも1週間ほどしてからは一人でバス停へ行くようになった
バス停の後ろは仁徳天皇陵があり深い木々の前には
お堀があり、バスを待ちながら石を投げたりした
でもある日ふと思った
「この投げた石はもうずっと池の底で暮らす事になるんやなぁ
かわいそうやからもうやめよう・・・」
(なぜ急にそんなことを思ったのか、今でもそれは覚えています)
「1条通り」で下りて横方向にバス停二つ分くらい歩いて
明治屋へ一度寄る
一条通りにはお店や会社が並んでいる、大きな広い野菜の卸売り
市場があり帽子に札を付けたオジサンたちの声が響き賑やかで
それを毎朝見るのも楽しみの一つだった
面白いのは「福助足袋」の会社があり福助さんの看板だった。


ヒロコおばちゃん、ヨシツグおじちゃんと
職人さんたちに「おはよう〜」と言って
ムネノリちゃんとヤスコちゃんにご飯を
食べさせるのを手伝う
ヒロコおばちゃんはまた赤ちゃんがお腹にいる
私も茶粥を食べる、これが楽しみで朝はパンにする♪
後片付けをしてから学校へ行く。
学校が終わるとまた明治屋へ寄ってムネノリちゃんと
ヤスコちゃんを連れて駄菓子屋に行きお小遣いに
貰った10円でアメとラムネを買い二人にラムネを
渡す、私はアメです、それからヨシ坊の分のラムネも
ポケットに入れた。
明治屋の店先の掃除をしてからバス停まで歩く。
バスは少ないのですぐ来ない時は歩いて帰るがずっと上り坂で
バス停二つ分を歩くのはしんどかった。
バス代はランドセルに入っているけどなるべく使わないようにした。
下宿屋の家まで歩く途中でいつも休憩するところがある
大きな釣り堀屋さんで、いつも何人かのおじさんやおじいさんが
座って釣り糸を垂れているその横に座ってしばらく見ている
おじさんは座っている私の頭を撫でて笑う・・・
それから原っぱを通り野花を見たり田んぼを見ながら帰る

下宿屋へ帰るとヨシ坊が私に抱きついて離れないので
ラムネを口に入れてやる。
夕食の準備を手伝っているとおにいさんたちが
順番に帰って来る。
私の分とヨシ坊の分はおじいちゃんの部屋に持って
行ってヨシ坊に食べさせながら自分も食べてると
おじいちゃんが帰って来る。
それからお風呂にヨシ坊と入る、ヨシ坊は3才です。
日曜日は明治屋のおじちゃんがムネノリちゃんを車で
朝連れて来るのでヨシ坊と仲良く遊ぶ。
向かいに住むトオルちゃんが遊ぼうと呼びに来て
くれるのでみんなで遊んだりする日々が
楽しみだった。
日本舞踊のお稽古は週に2度くらいヨシツグ
おじちゃんが車で連れて行ってくれたので
続けてました。
*下宿屋生活にもだんだん慣れて来てヨシ坊も大きく
なったので私がいなくてもあまり心配する事は
なくなりました
でも寝る時は私に抱きついて寝ます。
次はバラ園での短いけど楽しい思い出です
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