昨年暮れ29日にやっていたTV番組で
「天空のヒマラヤ部族決死の密着取材150日
天空にたたずむ12の部族」
こういう番組がありました、ご覧になった方も
おられるでしょうね
これを見て生きるということを改めて考えました
ヒマラヤの世界一高い標高3000m〜5000mに
住む12の部族の集落を取材したものです
氷と雪に閉ざされた秘境の地です
山と崖と少しの平地に住む部族の生活の密着取材です
酸素濃度50%〜60%気温5℃〜7℃の低い
環境の中でのヒマラヤ地方に広く分布している
12の部族がいます
もちろん電気も何もない自給自足の生活です。
(ネットより画像お借りしました)
1部族少ない住民で20人多い部族で200人ほど。
12部族を標高3000mのところから順番に登り
5000m地域まで150日かかるほどの広い
チベット山脈です。
まだ高い奥地にも部族が住むのか?と思う連続でした
部族全員が夏と言われる時期には大麦、蕎麦を総出で
育て刈ります
夜明けから日没までの厳しい農作業です
標高があるので日光に近く顔は赤く焼けています
もちろん子供たちも手伝います
学校もありますが、行けるのは選ばれた数人だけで
後は農作業の手伝い、子守り、ヤク(動物)や馬の
世話をします。
主食は大麦や蕎麦を粉にしたもので、そこにヤクの
ミルクを搾り、かけて香辛料などで食べます
それが主食でもあります
ミルクで作ったチーズをかけるのがご馳走です。
年に数回集まり、たった一つの娯楽ともいえるのは
部族に伝わるダンスを踊り、神に祈ります
チベット仏教なのでお祈りは毎日長くかかります
子供たちも何一つ不満も言わずいつも笑顔です
選ばれた学校へ行ける子供たちは精一杯勉強します
三か国語の読み書きを覚え、算数、理科もあります
子供たちの夢はほとんどが医者になりたいそうです
医者は村に二人くらいなんです。
最初の住民は600年前〜700年前に遡るそうで
どうしてそんなところに住んだのか?・・・
なぜそこまで登らなければならなかったのか?・・・
不思議な気持ちで見ていました
取材班とともに馬に荷物を乗せて運ぶ途中の細い
崖で馬が足を踏み外し転落しました
もう助けようがありません、空にはハゲワシが
飛び回り獲物を待っています
案内のシェルパーが泣きました、長年共に生きた
友を失った悲しみにくれていました
人間も動物も命を失う悲しみは同じなんですね・・・
いや、生活にかかせない動物はそれ以上かも。
住民も命が尽きると身体を切り分けて崖に置きます
彼らにとって鳥葬は最も高貴な尊い弔い方だそうです。
ハゲワシでさえ高山に共に生きる仲間ととらえて
いるのでしょうね。
お金を必要としない生活だから欲というものがなく
争いもなく、みんなが笑顔です。
大麦や蕎麦の手入れで足腰も腕も痛いと言いながらも
みんなが同じだからと笑っているだけでした
痛みも辛さも分かち合いということですね
こういう生活を見ながら欲がない毎日とはなんと
心穏やかで平穏なのかと思いました。
ヒマラヤの山々の風景を見てとても不思議な
心境になりました
私達は欲だらけの生活をしています
感謝とは言いながら不足不満が多いです
生まれたところが違うのだから比較するのは
違うかもしれませんが、それなりに見習う事が
たくさんある事に気付かされた番組でした。
人は生まれる所を選べませんから、今ここに存在
することを受け入れながら暮らさないといけません。
この「受け入れる」という事のなんと難しい事か・・・
とくに加齢が進むほど頑固になりますしね
日常生活での悲喜こもごもはすべて何か自分にとって
意味があるのではないか?と思うようになりました
でも命に関わる事はやはり受け入れられませんよね・・・
夫婦も自分で選んだ人生を共に生きる相手です
喜びは分かち合えますが、辛苦はついつい相手の
せいにもしてしまいます
喜び生きるために努力はし続けなければいけません
不足は口にしますし態度にも出してしまいます
神仏に手を合わせても、感謝の前にお願いごとを
口にしてしまいますよね。
部族の方々が神仏に手を合わせ感謝だけをする姿を
見て、ほんとうの信仰心とはこういうものだと
強く実感しました。
彼ら、彼女らの純真そのものの生き方を見ていて
今ここに自分が生きていることをまず、受け入れる
ところからやり直そう、と思いました
(きっと思うだけかもねぇ)
私達の生活には便利な物が溢れています
使うなとは言いませんが、なければ工夫するような
生活であってもいいですよね
今は100均には便利なものがたくさん並んでいます
部族の方々や「ポツンと一軒家」のご高齢の方々も
基本はなんでも自分で工夫して生活しています。
身体を動かし、頭も動かし、助けてくれる仲間にも
感謝しながら日々を送られています。
最近は加齢のせいだとは思うのですが、愛犬が一昨年
亡くなってからどんな生物の命さえも愛おしく
感じるようになりました。
愛おしい気持ちで接するとベランダに来るスズメや
アリンコさえも私がそばにいても逃げません
ゴキブリは好きになれませんが、出会った瞬間ゴキは
息を殺してジッとしている姿を見るとかわいそうに
なってしまいます
好きでゴキちゃんに生まれたわけじゃないのにねぇ、、、
やっかいなのは高齢になった人間のほうです。
昨日は夫に少し強く言ってしまいました
術後の体調が悪いのは分かりますが、何をしても
文句ばかりですのでね、、、
「私は介護ヘルパーじゃないんよ
ヘルパーさんでも一日で来なくなるわ!」
透析日になると夫は
「きょうは行きたくないんやけどどうしたらええねん」
透析鬱だとは分かっていますが、毎回この調子で
グズグズ言うので
「嫌やったらやめてみたら?身体が苦しく辛くなって
きたら結局行かんとあかんねんよ」
「オマエは冷たいなぁ、看護師さんは優しいでぇー」
「そしたらずっと入院でもしときぃな!」
キツイ言葉だと思いますが他に言葉もないですしね〜
すべてを受け入れるのには私はまだまだですよねぇ。
あぁ・・・・素直に受け入れる生活のなんと難しい事か、、、
これ以上わがままだったら受け入れるなんて
神様のようなことはやめます(^--^#)ムム
でも神様は優しいようで非情ですね・・・
いきなり試練を与えることもありますからね〜
「さぁ、これを乗り越えてみろ!」とか言われてる
ような感じですもんね。
今回も近くにあるお寺の除夜の鐘の音がベランダへ
出ても聞こえませんでした
除夜の鐘の音がうるさい??
煩悩を捨てる意味のある鐘の音をうるさいなんて
なんということでしょう!・・・なんて年の初めから
腹を立ててしまいそれも煩悩ですよねぇ(^^;)
お正月に来た次男が言いました
「お母さん、何事も前向きに考えんとあかんでぇ
不足に思ってたらマイナスのオーラが自分を
包んでますます運が悪くなるんやからなぁ・・・」
「へぇ〜〇君はなんか自己啓発本でも読んでるんか?
ええこと言うなぁー」
次男は昔からこういうプラス思考なんです
一時期私と一緒に信心していた時期がありましたので
その影響もあると思います。
この日は長男家族も来ていたので長男からいろいろと
子供たちの相談を受けましたし、愚痴も聞きました
長男も私にしか愚痴も言えないので親としては
聞いてやりますが、次男にはそれがあまり私に
とって良くないと言います・・・
次男は一人暮らしだから気楽でしょうが、長男は
仕事しながら子育てをしていますから、毎日悩みが
出てきますよね・・・
そう言いながらも次男も人間ドックの結果やらで
私に心配なことを報告します
親は子供のすべてを受け入れる器にならないとねぇ・・。
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