最近、妻とランチバイキングなるシステムをとっているレストランへ良く出かけている。
よく行くといっても月に1回くらいの程度ではあるが、あまり外食をしない私達にしてみれば多い方だ。
ビュッフェレストランとも言うらしいそれらの店は、結構それなりに繁盛してるらしく、私達が出かけたお店はいずこも客が多く盛況であった。
店毎に味の良し悪しは当然あるが、概して食べ物の種類が多いことと食べ放題という点がこれらの店の大きな売りであることは分かる。
まさに飽食の時代を体現したスタイルだと思う。
さほど若くはない私ども夫婦が出かけるようになったのは、ただ食に卑しいからだけではない。(事実には違いないが・・・)
それは食糧危機が差し迫っているという否定しようもない事実を知ったからだ。
だから今のうちに食べまくるのか?という単純な話ならいいのだが、そうではない。
不安を煽るようで申し訳ないが、今の日本のあり方のままなら10年後、いや5年かもしれないが、
確実に食は変化する。
食糧危機というと、石油ショックのときのようにある日突然スーパーマーケットの店頭から食材が消えるイメージを抱かれるだろうが、
実際には少しづつ品目がなくなってゆき、気がついたら何もなくなっているという流れが想像される。
例えば代替エネルギーの原料となっている穀物類などはすでに供給が厳しくなってきている。
何かあればいくら金を積んでも売ってもらえなくなることもありうるのだ。
主食の米はほぼ自給できているようだが、平成9年の全食料の自給率が41%とされており年々自給率が低下していることからすでに30%そこそこまで低下しているのではないか。農水省の白書をそのまま鵜呑みにはできないので、もっと真剣に考えておいた方がよさそうだ。
先進国とされている国々は大概農産物の輸入国であるが、ドイツやイタリアなどが100億ドル前後なのに、日本は400億ドル近く購入している。輸出国と思っていたアメリカやロシアまでが100〜200億ドルの輸入国であることも驚かされる事実だ。アメリカですら主食の小麦の自給率は50%を切っている。
そういう事実をふまえて考えれば、ほとんどの先進国は第三世界の国々に食を依存しており、まさに綱渡り的な食料事情の上に今の飽食日本は立たされている。
金で買えるうちはよいが、政変や紛争で交易が途絶えたり、そもそも戦争を始めた国から食料が買えるだろうか?
兵士にとられ、作り手もいなくなれば、食料は生産されないし、こちらから買いに行くことすらできない。
一方で地球温暖化の急激な進行で、気象災害の多発による不作も考えておかなければならい。
温暖化で農地が増えるならばよいが、砂漠面積が拡大し、海水面が上昇し平野が減少するだけのことだ。
農地は年々世界規模で縮小しているが、人口は増加し続けている。
これらの要素をすべて計算式に当てはめて日本の食料供給に影響がいつ出るかをある農学部の先生が試算した。
他の先進国諸国の自給率も徐々に低下することから、穀類、野菜、魚肉類のいずれにも影響が出始める時期として答えは2022年前半と出たそうだ。この計算式には予測不可能な天変地異などは盛り込まれていないので、さらに早まる可能性もある。
その前に価格高騰が始まり、その後は食材が消えていく。
一国の中でも格差社会と言われているくらいだから我々貧民層はまっさきに食料を手に入れることができなくなるのだろう。
現在のベクトルで行けば、それ以降は飢餓の時代が来るのだ。
そこで話をランチバイキングのことに戻すと、今のうちにより多くのいろいろな品目を食べておき、
自給自足するときのための参考にしておこうという気持ちになったのだ。
気取って言うならば、食べたいものを探す旅を始めたということだ。
食料危機がこないことを祈るばかりだが、まず何かできることから手をつけなくてはなるまい。それが未来のある子を持つ親としてすべきことだ。
60%の輸入食料のうちの5%は食べずに捨てられているという事実もかなり気になることのひとつなのだが、いかに今が異常な時代であるかをよく認識しておいた方がよいと自分を戒めている。