週末は遅いクリスマスにしましたのでロゼのワインを飲みスペアリブを喰いました。
割礼のワンマンに行った。
わたしは割礼が好きだなあ。好きになってから今までずっと、大好きです。
最近わけあって音楽についてよく考えるのだけど、とにかく業界っぽい物言いが嫌いだ。そんな言葉が音楽のちからを語れるはずはない。ギャグにしかならないよ。
割礼はいつもせかいの秘密に触れている。日常で見ているのとは違う次元の景色があることを感じさせてくれる。その不思議な感じを言語化していって、たどり着いた、言葉にできないところに漂っている青白いひかりこそ彼らの核心であり、それを感じることは一種の宗教的な体験めいている。
エクスタシーという言葉の元々の意味は外に出る、というような事だとどっかで読んだ。今ここから、どこか別の「外」へ。多分各宗教の提唱する「悟り」もそういう意味を含んでいると思う。だけど、静寂と禁欲の修行などによってではなく、うつくしい轟音となまめかしい歌とで「外」への扉をひらく者もいる、そのことに、なんというか人間のいい意味での野蛮さみたいなものを感じて泣きそうになった。
こういう体験や感慨を、偉そうなだけで何も真髄を語らない言葉は、またそれらを使いこなして気持ちよくなっているやつらは、どのように捉えたり切り捨てたりしているんだろう。
それにしても宍戸さんは魅力的だ。あの目がっ…!伏せたまつげがっ…!そして見たことないほどしゃべっていた(ふたこと)ので思わずのけぞってびっくりしてしまった。
あー…、タイトルの「ドグラマグラ君」は、ゲストの詩人?にわたしがつけたあだ名です。同行者は「寺山」ってつけてた。とにかくそういうあれだったわけです。キッツかったわ!キツいのは置いとくとして、「ゆれつづける」の歌詞を朗読したのは許せない。きいぃいいぃ!
