きのこや粘菌の写真を撮っている写真家の伊沢正名さんの公演を聴いた。
伊沢さんはここ25年くらい、うんこをトイレに流さず、野糞だけをしてるらしい。
人間が自然に帰せるものはうんこだけだ、うんこのことをもっと考えるべきだ、という信念をもって。
詳細は割愛するかつ、賛同するか否かはおいといて、
すっごく刺激的でおもしろかった!
熊楠のような大規模な怪人だと思いました。
とても気さくそうな、やさしそうな方でした。
人間は、ほんとおかしな生き物だな。
文明というのは、生態系を破壊し、そこから逸脱していくことで発達してきたんだ。
おもしろい。
おもしろいけど、もう破滅するしかないのかもしれないけどね。
うんこや病気や死は、「ケガレ」として忌まれてきた。
そのやり方にはいろいろあって興味深いし、その歴史を否定するのも変だとも思う。
けど、「ケガレ」は忌まれるのと同時に、
畏怖するべきものとして神聖でもあったのだ。
つまり、遠ざけるべきものではあったけれど、ないものにするべきものではなかった。
しかし反・うんこ、反・病気、反・死な風潮は高まり、
ないもの・見えないものになろうとしている。
おっかねいですね。
うんこに関して言えば、子供って大好きじゃん、「うんこ」。
あの、「うんこ」と口にしただけでテンションが上がる感じ、
あれを維持していけばとりあえずは大丈夫だと思う。うんこの存在は隠されない。
伊沢さんのうんこへの接し方は、「自然本位の考え方」に基づいたものであると同時に、子供、ひいては多分みんなが好きな「うんこ」へのあの感じを
たっぷり含んだものであるような気がする。そこがよかった。
しかし偉そうに語ったところで、
わたしは潔癖症ぎみだし、健康でいたいし(長生きに執着はないが)、
大切な人が死ぬのやなんですよね…
人間の都合で生きまくっている。おおお。どうしたらいいんだ。
うんこはトイレにするよ…
あーねみ。
あ、で、 講演の開始時間が5分くらい遅れたら
「日本人はもっとパンクチュアルにならなきゃいかんよ」とか
ほざいて騒ぎまくってみんなをやな気分にさせた偉そうなオヤジがいて、
5分遅れることと、それを騒ぎ立てて人の気分を害するのと、
どっちが恥ずかしいことなんだよ、って言いたかった。
あの場にいた人は全員、いい気分で公演を聴く権利(権利、という言い方はなんかやなんだけど他に言葉がみつからない)があった。
誰もやったことのないことをやっている方の話を聞かせてもらうんだから、
もっと謙虚になったらどうなんだよ、自分は客だと思って偉くなっちゃってんだろ、
自分より上の立場の人との会合だとしたらそういう口きいたのかよ、
とむかついた。
しかも「日本人はもっとパンクチュアルに」って、
どこのアメリカかぶれだよ。
あのねー、世界中の誰だって、「男は」とか「女は」とか「〜人は」なんて、
言える権限ないんですよ。
「わたしはこう思う」とか、「わたしの会った〜人はこうだ」という言い方しか
できないはずなんだよ。
「日本人は〜でなければいかん」なんて言い方で、
自分の正当性を大声で通そうとするなんて、本当に恥ずかしい奴。
と、カッカときた(普段自分がそういう言い方をしてるかもしれないことは棚に上げる)。
あのおやじは重要な取引に遅刻して失脚すればいい(呪い)。
えーと。タイトルの「うんこが出たい」は、
武田百合子の『犬が星見た―ロシア旅行』で、
夫・泰淳がしょんぼりしながら呟くことばです。
やっぱり泰淳はかわいそうで、かわいらしい。