うえー!インフォシークの無料ホームページサービスが終わってしまう!!
ってことはサイトをごっそり引っ越さねばならん。
めーんーどーくーさーいー
マジ泣きしちゃうよう。
どっかいいサーバあったら教えてください…
そして引っ越してもたまにサイトみてね。
あんま動きないけど。
あー。文学が絶滅したらひとの心はどうなるんだろうとか
割と大きめの心配してたらその前に自分のホームページの危機が訪れやがった。
ぶんがく云々というのは、
たとえば芥川龍之介とか、太宰治とか、三島由紀夫とか、
わたしの好みで言うと内田百けん・夢野久作・尾崎翠
それ級の文学者が、これからの日本に発生しうるのかって心配です。
個人としての感受性や洞察力がそのくらいすごいものをもっていて、
それを書きあらわす能力に恵まれていても、
必要とする人のところに届く仕組みが廃れてしまうのではないか、
書き手がゆったり考えてよいものを書く環境がないのではないか
とか思ってしまう。
出版不況と言われる中で、売れなくなって絶えていってしまうのは
きっと「純文学」なんでないの?と、ハタと思ったのだ。
だって今本屋って実用書とか自己啓発本とかビジネス書?とかの類が
めちゃくちゃ幅きかせてて、そこに人が割と群がっているもの。
そんな中でこころの苦しみや矛盾を緻密に書いた文学をあえて手に取る者は
少なくなってるのじゃあないか。
わたしは大学で、教養学部という「実用的じゃない、教養を身につけるところ」の
さらに「芸術論コース」という、世の中で最も金儲けに遠そうなことを考えるところにいてさらにさらにそこの落ちこぼれでありました。
だからかなー、ぼんやりとしてて世の中の主なカネ稼ぎのこと考えられないのは。
けどすぐれた目をもつ「文学者」にちゃんと金をやることが
ひとの心を救うっつーか保つと思うんだけど。
奥本大三郎先生が、金にならないからって文学部・人文学部がなくなったら、
日本人の未来はどうなる、やばいんでないの、みたいなことを書いてて、
わあそうかも!って思い始めた。
芸術論コースにいたスーパー美学者・西村せんせい(東大に引き抜かれた)ですら
「息子には文学部じゃなくて理学部か工学部に行けっつったんだよ!」
って言ってたくらいだもんな…
こころを豊かにするには、文学じゃなくって音楽でも芸術でもいいのかもしれないけど、
でもやっぱ、ちみちみとひとのこころをあばいて編みなおしてゆく、
重厚な文学というものがなくなったら
ひとのこころがひどく簡易なものになったように思われてしまうのではないかと
(一般化されすぎるというのか)
なんかおそろしい。
だって人間はほぼボキャブラリィの範囲の中でしか思考できないんだよ。
知ってる言葉の数が減れば減るほど、
考えられることは少なくなっていくんだよ!
複雑なものを複雑なものとして捉えることができなくなってくんだよ!
直感があっても表現形がなかったらないのと同じになってしまうではないか。
それがすべて言葉であるとは思わないが…
今までに書かれてきた素晴らしい文学作品を手軽に読める仕組みはもちろん、
新しいすぐれた書き手がきっちり売られる市場が確保されたい。
あと一部の人の嗜好品じゃなくて、
たとえば北関東の倉庫で働いてる中卒のあんちゃんとかも
ぱっと手を出せるような教育とか、土壌が欲しいと思う。
ねー川上弘美が町田康が車谷長吉が(偏ってるけど)死んだら、
その後誰かいんの?
たとえば今、わたしと同世代とかもっと若い人ですごいのいんの?
「恋空」とか「世界の中心で…」とかじゃなくって、文豪級の。
ってことが急に気になりだしたので、
綿矢りさとか読むべきなの?ってか、綿矢りさなの?
いや、全く文学野郎じゃないんですけどね、わたし。
読み物好きではあるけど。最近あんまり小説読まないし偏ってるし。
えーと。で、だから、「ニヒル牛マガジン」がんばる!!
「本にあかりを。出版に光を。その光はニヒル牛の電球から。」
これがニヒル牛マガジンのスローガンであります。