筒井康隆の本が、うちにたくさんあり、小学〜中学の時に手当たり次第読んでいた。ちょっとエロいとこも結構あるから、ドキドキしながら読んでいたわけだ。グロい描写についてはエロさより後ろめたさを感じずわくわくしていた。グロさを愉しみとして吸収しながら育ったということだ。
家族百景、七瀬ふたたび、エディプスの恋人と、七瀬シリーズは手に汗握って読んだ。
他、鬼がやたらめったら殺戮するのや頬っぺたに蟹みたいな甲羅ができてその内側においしい味噌が溜まるのや、背中に巨大なコガネムシみたいのを埋め込む話など、記憶というより感覚にしみついて離れないものがたくさんある。
しかしいつからか、筒井康隆って、ちょっと、ねえ。みたいに思うようになり、たくさんの筒井本は、一応父親からせしめたもののクローゼットの中に仕舞い込まれて取り出されることはなくなった。
川上弘美の書評に筒井康隆の『パプリカ』が載ってて、先日あるさんと本の話をしていた時にその書評を読んでまた読もうかと思って、と言ったら、「なんかもういいかなって思ってたけど新しいの読んでみたらやっぱり面白い」とあるさんが言い、じゃあ読むかな、読むならとりあえずやっぱりパプリカだな、と、クローゼットを覗いたらすぐそこにパプリカがあったので手に取った。
そうそう、表紙にポールデルヴォの絵を使っているのだ。これはポイント高えよ!
そして。
一気読み×2回。
わははは、見事にハマっちまった。
川上弘美の書評にも、ゆっくり噛んで食べなさいと言われても毎回ばりばりごはんをかきこんでしまう子供のように読んでしまうと書かれている。
パプリカと、パプリカを愛する男たちの描写が魅力的で、一回読んだらまた読みたくなる。川上弘美はこの物語をよくできた典型の物語としても読んでいる。確かにここに出てくる人物たちはわかりやすい。キャラが立ってる、と言ったらくだけすぎか。しかしその典型をそのまま飲み込んで読むのも快感だし、典型だなあ、と思いつつ、それゆえに疾走感が溢れている物語の流れに巻き込まれるのもよい。
あー面白かった、そして懐かしい感触があった。街に怪物が出現して好き勝手やるっていうの、筒井康隆多いよな。
でも昔と違う読み方も自分の中から出てきた。荒唐無稽、奇想天外なことが起きる。昔はそれにハラハラしているだけだった。でも今は、そうなった時にいかにエレガントに機知を働かせて戦うか、という人間の勇敢さ賢さの物語としても読めるようになった。
しかしなあ、わたし自身は目の前のめんどくさいせせこましい出来事に不本意に巻き込まれて、もう根を上げている。エレガントも機知もない、ひたすら鬱陶しい。自分の戦いじゃないからだけど。
巻き込まれるわたしが間抜けなのかね。