高崎の街をほっつき歩きながら、ずっと巨人ゆえにデカイの「たてもの」を聴いていた。同じリズムの中でも叩くところと叩かないところが一回転ごとに変わったり、思わぬところに起伏がちりばめられていたり、奇数な感じと偶数な感じ(うまく言えないのだが)が気持ちよくかっこよく入りみだれていたりするドラムと、どちらかと言えばドラムに近い働きをするギターを体の中に響かせながら歩いていると、歩いている街の構成が、わたしが一歩踏み出すのと同時にどんどん組み変わっていくような、これから行く場所がたった今角の向こうで生成しているような、なんともいえないワクワクした心地になった。雪がいろんな形状で路上に残っているのも、その豊かな興奮と感覚上で連動していた。
巨人での和田さんのドラムを聴いていると、数学のことを考える。ぜんぜんわからないからね、数学はわたしにとって「想像するしかない光」みたいなものなのだ。ひとつの法則を体現する、次の瞬間にそれを否定するような法則にのっとる、その連続がもっとでっかい渦みたいなものを産み出す、そういうことを考える。 それを肉体から繰り出すことのかっこよさったらない。もしかしたら今まで気づかなかっただけで他のドラマーもそういうものなのかも知れないが、わたしは和田さんに惹かれて初めてそれに気がついた。これくらい「うお!?おー、おおお、おおおお!!!!(驚きの雄叫びです)」ってならないと、わたしはひとのことよく見えないのかもしれない。
手ノ内嫁蔵はまたぜんぜんべつの驚きと興奮に満ちていて、わたしはいまとってもたのしい。ありがたい。