「アイツとコイツの間には深くて暗い川がある???」
感想
「(沖縄での)戦争体験を経て、母親は戦後、キリスト教の洗礼を受けた。それと同時に反戦平和の強い信念をもつ熱心な社会党支持者になった。しかし、ソ連や中国は大嫌いで、それから日本共産党も大嫌いであった。母には十四歳年上の社会党員の兄がいて、兵庫県尼崎市で当初、市会議員、その後、県会議員をつとめていた。今になって振り返ってみると、私がマルクス主義に強い関心を持ったにもかかわらず、日本民主青年同盟や日本共産党に引き寄せられず、講座派よりも労農派に惹きつけられた背景には、共産党アレルギーを持った母親と伯父からの刷り込みがあったと思う。私の中学生、高校時代に母は近所の町医者で医療事務を手伝っていた。」(「私のマルクス」佐藤優(文春文庫))
よく同じ憲法9条護憲なんだからどうして社会民主党と共産党は一緒にやらないのかと素朴に言う人がいるが、ワタクシは別にどちらの党にも所属したことはないけれど、まあ一緒にやるなんてとてもムリということは、なんとなく分かる。
それは、佐藤さんのお母さんのような、古くからの末端の支持者どうしが、そもそもお互いが大嫌いであることが多いことを、ワタクシのようなものも感じるからである。
しかし、ワタクシの年齢から考えれば、ソ連や中国が嫌いならば、むしろ日本共産党に近づくんじゃないかという感じがするのだが、佐藤さんのお母さんは、ソ連や中国が大嫌いだから日本共産党が嫌いなのである。
1970年代、ワタクシの中学、高校生時代は、日本共産党は自主独立路線だと称していた。実際、ソ連共産党とも、中国共産党とも関係が断絶していた。そして、社会党の最左派の社会主義協会がソ連寄りであることは周知の通りであった。
だから、「アレ?ソ連や中国が嫌いなら、日本共産党じゃないの?」とワタクシは不思議に思ったが、もちろん両党の戦後史が少しわかればまた話は別ということになる。
つまり、戦争直後に共産党の幹部が獄中から解放され、合法政党として活動を始めた占領下では、日本共産党は明らかにソ連の影響を受けていた。だから佐藤さんのお母さんは、日本共産党が大嫌いで、社会党のほうに親近感を持ったのに違いない。
共産党が朝鮮戦争がはじまり、レッドパージで幹部が地下に潜って分裂状態になり、一部が武装闘争を始めたのは、明らかに毛沢東の影響があったのであろうが、その後、宮本顕治サンの体制が固まって60年代になると、ソ連とまず断絶状態になり、文化大革命が始まると、中国とも関係が切れた。
社会党の左派は、山川均氏などが社会主義協会を作った時代は、むしろソ連とも中国とも一線を画したマルクス主義を標榜していたが、向坂逸郎氏が主導権を取る60年代から70年代にはすっかりソ連派に変貌していた。
もっとも、そういう政治論戦の違いだけが両者の支持者や一般党員の違いに結びつくものでもなさそうである。
アメリカ占領時代には、国鉄や電産といった労組は共産党の影響力が強かったが、その後は共産党はどちらかと言えば労働組合の世界では主導権は取れなかった。
60年代以降の共産党はどちらかと言えば、弁護士だの医者だのといったインテリ階層が多く、そこにいまだ充分に社会進出できない高学歴の若い女性や主婦が多い政党だという印象で、社会党は左右両派ともに男性中心・労組出身者で固まっていた。
言っていることはそれほど違わなくても、お互いに気が合わないということは結構大きいのであろう、などと傍観者たるワタクシは思っていたものであった。
まあ、どちらもおっしゃっていることの80%ぐらいはワタクシなんぞは賛成するところ多いのであるが、正直言ってどちらにもあまり深くかかわりたくない。もはや共産党も社民党も、お年寄り政党で、いろいろ過去のしがらみ、しきたりが煩そうな感じが強いからである。

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