ブッダは仏教徒ではなく、イエスはキリスト教徒ではないという話がある。
呉智英「つぎはぎ仏教入門」(ちくま書房)は、要するに現存するお経の多くは、原始仏典といわれるようなものを除いて、もともとのブッダの実像とはかなりかけ離れたもので、原・仏教と私たちの抱いている仏教とは実はだいぶ違うものであることを述べている。
つまり、お経にしろ、新約聖書にせよ、ブッダやイエスが死んでからかなりの時間が経過してから書かれ、編集されたものであるから、人物の実像とどこかズレが生じているということである。
それどころか、後の世の「編集」によって、実は似ても似つかないものになったかもしれないという「疑惑」も生じて来る。
新約聖書の編成過程が研究されてくるにつれて、イエスの原像と聖書のあいだの距離がしだいに明らかになってきたようである。(以下、高尾利数「キリスト教を知る辞典」東京堂出版を参照)
新約聖書の最初の三つの福音書は、「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」の順番であるが、実際に書かれた順序は「マルコ」が一番初めであったらしい。
使徒パウロは、ローマ帝国下でキリスト教を広めることに大きな貢献をした人物であるが、彼は生前のイエスに関心は持っていなかったのであり、彼にとっては、イエスが十字架の上で万人の罪を贖って死んだこと、そして3日目に復活したことに主に関心を寄せた。
パウロ的なキリスト教が主流派になっていったことに反対し、イエスの生前の言行こそが福音の中心であると考えた人々がいた。
彼らの抱いたイエスのイメージは、ガラリアの貧しい抑圧され疎外された民衆の解放のために、病気を癒し、悪霊を追放する奇跡を行って、支配者たちの体制に異議を申し立てる人物というものだった。
このイエスの原像を求める人々が中心となり、始めて福音書という文学形式でまとめられたものが「マルコ」福音書である。「マルコ」は、パウロのイエス理解に批判的な見方から書かれたものである。
パウロ的なキリスト教から見て、「マルコ」の存在は困惑させられるものであった。
そこでもっとパウロ的な視点からイエス伝をまとめようという動きが出てきた。そこでまず「マタイ」がユダヤ教に詳しいキリスト教徒によってまとめられた。
「マタイ」は「マルコ」を下敷きに80年ごろに書かれた。そして、キリスト教会こそがイスラエルの本当の継承者であり、イエスの言行はすべて旧約聖書の預言が成就したものだと言う主張が貫かれることになった。
「使徒言行録」にはパウロの手紙が多く取り入れられ、「マルコ」を「マタイ」と「ルカ」に挟み込むようにして新約聖書が編集された。「ルカ」は、キリスト教がヘレニズム世界に広がる現実を踏まえて、キリスト教をユダヤ教を超えた「普遍的」な福音として把握しようとして書かれた。
「マタイ」と「ルカ」で「マルコ」を挟み込むことで、「マルコ」の持つ現実に対する批判的な視点を隠蔽するという編集の意図が、新約聖書の福音書の並べ方から見えてくる。
つまり、イエスの原像は、我々が今日考えるいわゆるキリスト教とはちょっと違ったものであって、イエスは実はキリスト教徒ではなかったということすら言えるかもしれない。

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