土曜日に「ゆめ風基金」の催しがあって、新宿のカタログハウスにいった。
会場で森達也さんの「A3」(集英社インターナショナル刊)を購入。著者がいたのでサインしてもらった。
講談社ノンフィクション賞を受賞した本だけど、オウム真理教の麻原を擁護しているなどという抗議が出版社に寄せられたりしているという。
しかし、読んでみれば別に麻原を擁護しているなんてところはどこにもない。
おそらく、おそらく読まないで批判している人が多いのだろうと思う。
著者が言っていることは、麻原が裁判中に明らかに心神喪失状態になったなかで裁判を続行させたのは、適正な公判手続きとは言い難いということである。
そして、一審で結審して死刑が確定したという推移も、この本を読んでみれば明らかに異常な成り行きだと言わざるを得ない。
著者は、サリン事件について、麻原の犯行という側面よりは周辺の幹部たちの暴走ではないのかという疑問を持っているみたいだが、それについては確かに意見が分かれるかもしれない。
だが、たとえ著者の見立てが間違っていたとしても、この本が賞に値しないというものではあるまいとワタクシは思った。
印象に残った部分は、まだ20代の麻原が熊本から上京したのち、千葉の船橋で鍼灸院を開業した時に通っていたすし店の主人の証言と、その後、怪しげな漢方薬を販売した件で薬事法違反で警視庁に逮捕されたときの刑事の人の証言の章である。
麻原サンが急に金回りが良くなっていくあたり、いかにもバブル前夜のあの時代の雰囲気が伺われる。ワタクシの周辺にもそういう人がずいぶんいた。
バブルの渦中にいるとき、人はそれをバブルとは決して思っていない。カイシャを経営している人たちの中に、思いのほか事業が急展開し始めて、自分が「経営の天才」だなどと有頂天になった人も多かった。
麻原とオウム真理教の「暴走」も、あの時代の日本経済の土台の上に生まれたものであるに違いない。
麻原教祖を取り巻く若くて「優秀」な幹部たちが、教祖の意味ありげなワンフレーズを忖度して組織が暴走し始め、素直で性格が良くおとなしい一般信者はそれに翻弄されるという構図は、あちこちの日本のカイシャでも見られる風景だと思われる。
あのバブルの時代に多少なりとも踊ってしまった今の40代以上の人々にとって、麻原は見たくない「あのころの自分」の醜い姿の集大成を感じさせるのかもしれない。
だから、裁判の「適正手続き」なんぞをふっとばしても、早く「消去」したい、すなわち彼を早く死刑にしたい世論が強いのかもしれない。

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