「恋愛!ステキだわ」女子大生はすっかり感激。「お二人の年齢も恋愛結婚であることもわたしたちのこれからに大いに影響するワ」。ああすっきりしたと胸をなでおろすものや「聖心女子大にゆけばよかった」と大笑する愛嬌組。「まだ義宮がいらっしゃるから望みはあるワ」となだめるものとさまざま。
これは松下圭一の「大衆天皇制」(1959年発表「戦後政治の歴史と思想」ちくま学芸文庫に再録)に引用されている熊本日日新聞1959年11月28日朝刊に載った、当時の皇太子(現天皇)結婚のニュースを聞いた女子大生の反応を伝える記事の一節である。
あらためてこの松下圭一の文章を読み返すと、松下が明らかにこの女子大生の反応を痛快に感じていることが分かる。返す刀で松下が皮肉る人々は、まず第一に「戦前の天皇神格意識を持っている」人々であり、そういう人がこういう女子大生の反応を耳にすれば、「ヘソをかんで憤死しかねまい」という。
松下は、雑誌「明星」が「正田美智子さん写真立」と名付けたプリンセス・カレンダーを付録につけ、さらに正田美智子さんに似た女性探しという懸賞募集も行っている、などということをこれでもか、これでもかと紹介する。いうまでもなく、「こんなこと戦前なら不敬罪だ」と眉をひそめる老人たちへのイヤガラセめいた気分がうかがえる。
大宅壮一などの戦後ジャーナリズムの寵児といえるような人も、婦人公論にこんな記事を書いたそうだ。熊本の婦人たちの反応は、「皇太子妃はきまった。粉屋の娘では写真を額に入れておがめないし、将来皇太子とおそろいでこられたときに頭をさげる気にもならないなどというものがおおい」というようなものだったという。
松下は、頭では時代が変わったことを充分に分かっていながら、体がついていかない大宅の世代をやはり皮肉っているようである。
一方で松下はこうも書く。「戦中派村上兵衛は『読書新聞』12月8日号で、このような状況を皇太子妃ブームへの『全面降伏』とよんだ。だが『新しい粉黛をよそおったもろもろの旧きものを公然と前面に押し出した』というとき、村上兵衛は誤っていたように思われる。」「しかし、この皇太子ブームは、村上兵衛のいうような意味で『もろもろの旧きもの』が『新しい粉黛』によって復活したのではなく、むしろ『新しい粉黛』によって『もろもろの旧きもの』が打撃をうけたのではなかったろうか。『恋』の『平民』皇太子妃ブームは、いわば新憲法を前提としてのみブームとなりえたのである。それは新憲法ブームという方がふさわしくはなかろうか。」
松下は古い神格化された天皇意識にいまだ囚われている農村社会型旧世代も、頭では戦後の民主化を理解しつつも、体がついていかないインテリも、戦前・天皇・軍国主義にアレルギーと聞くだけでアレルギーを起こす戦中派世代のいずれにも批判的であり、問題や矛盾ははらみつつも、憲法感覚が体の動きにまで染みつき、定着した社会現象としての皇太子妃ブームを分析している。
「新憲法のもとでどのような形でご婚約がむすばれるかに国民の期待のひとつがあったと思う。ところが皇太子自身のお考えでしかも恋愛という形で一国民から婚約者を選ばれたことは新憲法にふさわしく喜びにたえない」。
これは社会党の鈴木茂三郎委員長の談話だそうである。そういえば今の天皇は、即位のときに「国民とともに憲法を守り・・・」という挨拶をして改憲派を激怒させた実績があったことを思い出した。
しかしながら、今にして思えば冒頭の女子大生のコメントには、「恋愛結婚、専業主婦、明るい家庭生活」という希望に満ちた未来をあまりにも無邪気に信じている様がうかがわれて、感慨深いものがある。専業主婦の生活が、実は「企業戦士の銃後の妻」でしかなかったことをあとあと思い知らされた当時の女子大生たちは今、どういう意見をもっているのか?
そしていまどきの女子大生は、現在の皇太子妃が精神を病んでまで結婚生活を継続しなければならない状況を目の当たりにしながら、たとえジョークにせよ自分が皇族と結婚したいと思うかどうか?
松下圭一はこう彼の論文を結んでいる。
「かつて絶対天皇制を真面目に受け入れた『忠勇無双』の日本の大衆が最大の被害者であったように、大衆天皇制の最大の被害者が大衆自身となるかもしれない日が来ないとは、誰が云えるだろうか。」

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