テレビ、新聞だけで判断して時事的な話題を追いかけるのには慎重でありたいと思っている。
メディアとは媒介者という意味だが、つい報道されるニュースというものを「事実」と誤解する傾向にあるからだ。どんなに主観的思い込みを排しているように表現しても、所詮報道する側の思い込みは入り込む。
テレビのコメンテータでもないのだから、時事的な問題に瞬時に適切なコメントが下せる能力があるようなふりをすることもないだろう。だいたい、多くの人が熱くなっているような話題は避けたほうがいい。そういうことは、ある程度時間がたってからのほうが、真相が分かってくる。
光市母子殺害事件の遺族、本村さんが昨日の死刑判決を前にして、自分が被告に死刑を望むのはそれが今の日本の最高刑であるからであって、もし終身刑が最高刑ならばそれはそれで受け入れただろう、ということをおっしゃっていたのは印象的だ。
その上、自分がいったんメディアに顔をさらす覚悟を決めたからには、遺族としての生の感情のみをカメラの前でさらけだすのは不適切だった、とまでおっしゃっていたようだ。私は、初めて彼に同情の念が沸いてきた。
誰だって肉親を殺されれば、殺した相手を殺したいと思うのは不思議でない。だが、その感情のみに焦点を当てて、あたかもそれだけが「事実」であるかのように報道してきたメディアのやり方がよかったのかどうか、長い目でみてそれは決して遺族のためでもないことを本村氏は示してくれた。
もっとも、遺族にそこまでの慮りを強いるメディア「業者」たちっていったい何様なのかと思わないではない。日本に本当のプロのジャーナリズムはあるの?と思いたくなることも多い。遺族は遺族としての社会的「役割」を演じてくれればそれでいいのが、本来のあり方なのでしょうが。

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