「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」(前泊博盛編著 創元社)によれば、日米地位協定は日本国憲法の上位にあるということらしい。この本を読んで、ワタクシは「なんだ、そうだったのか」という思いがした。
2004年8月13日の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で、事故現場を米軍がすぐに立ち入り禁止にして、警察も国土交通省の役人も入れなかったことに多くの人が怒りをあらわにしました。
もっとも、その日、それを伝えるNHKの7時のニュースは、巨人軍の渡辺オーナーの辞任とか、谷亮子・金メダルなどについで4番目の扱いだったそうです。(つまり、本土ではその程度の重要度だということです。)
しかしながら、著者は次のように言います。もしも東京大学にオスプレーが墜落したら、沖縄国際大学で起きたのと同じように、東大のすべての入り口は封鎖され、警視庁の人も、国土交通省の人も立ち入り禁止になる。
本土の人間は、知らず知らずのうちに、「まあそんなこともあるだろうけど、沖縄だから仕方ないよね」と思っているわけです。
でも、実は沖縄のみならず、日本のすべての領土内で、米軍はどんなこともできる権利が保障されているというのが現実なのです。本土の人間たちは、まあそんなことも知らずにのんきなことを言っているに過ぎないということでしょう。
憲法が大切だといういう人は多いですが、実のところ、ワタクシは長い間、なぜ憲法はかくも軽んじられているのか不思議に思ってきました。
憲法9条があるにもかかわらず、自衛隊が事実上の軍隊として存在しているということで、現実とのかい離があるからだという人もいますが、ほんとにそうだろうかと疑いの念を抱いてきました。確かにそういうこともあるかもしれませんが、たとえば自民党の憲法草案に「軍事裁判所」を新しく創設したいというようなことが書いてあります。
これはつまり、戦前の軍法会議みたいなものですが、たしかにこれがないと、たとえば自衛隊が正当防衛とは思われないことで人を殺傷したら、一般の裁判所で裁かれる可能性があるということです。
だからこそ、自衛隊を「国防軍」にしたいと思っている自民党は、軍法会議の再建が必須と思っているわけです。逆にいえば、まだ「軍法会議」がない自衛隊は、やはり「普通の国」の軍隊とは違った存在だともいえましょう。
これはつまり、憲法9条はそれなりの力があるということでもあります。
ではほかに、憲法が軽んじられているように感じる理由はあるでしょうか。たとえば、こういうことはあります。生活保護を申請したのに断られた人が、食べるものがなく餓死したとします。こうなると、国を憲法違反で訴えられるかどうか。
おそらくできません。まず、被害者が餓死してしまったら、だれかが身代わりに国を訴えることになるわけですが、そうなると直接の被害者ではないから、原告適格がないということで却下されるとか、あるいは国を訴えるには、直接に憲法の条文によるのではなく、憲法の条文を実現するために定められた法律に違反することが必要だということになるでしょう。
さらにいえば、法律は国会で作られるにしても、細かい実施方法は政令、省令、行政規則などで決まってきます。これらは、広く言えば憲法の枠内で決められているといえるのでしょうが、実は行政担当者の恣意的な裁量が入り込む余地が十分にあります。
要するに、憲法の条文から見るとずいぶんかけ離れた現実が、憲法の範囲内として処理されている現実があります。このようなことが積み重なって、憲法は軽んじられているという感じをワタクシなどは持ってきたわけです。
しかしながら、この本を読んでさらに驚いたこと。それはこの国には憲法を超えて、超憲法的な「日米地位協定」というものがあり、それによっていかようにも日本国内で振る舞える存在があったのだという事実を露骨に見せつけられたということです。
昔、「工場の門の前で憲法は立ちすくむ」というような名前の本がありましたけど、どうもこの国には「憲法番外地」があちこちにあるということのようです。

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