日本の地方自治体の仕事は、いかに霞が関から予算をせしめてくるかがいまだに大きな部分を占めているということであり、中央政府も、財政危機が叫ばれていながら、いまだに自分たちが分配を決めるという権力を手放そうとしていない。
もう80年代から、地方自治体の首長は予算100万円分のために霞ヶ関や永田町に陳情にいくための交通費として2~30%を使っているみたいな話をよく聞いた。地方への予算配分が自民党の権力の源泉だったので、自民党は地方自治を進めるという話には不熱心だった。
ところが90年代後半になると経済成長は見込めない時代になり、いやでも財政再建が課題になる。こうなって初めて自民党政権は地方分権改革に乗り出す。
小泉政権になり、「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」のいわゆる三位一体改革がうたわれるようになった。
しかしながら、税財源の移譲といっても、そもそも税収が伸びなくなったから移譲してやるという話だし、そもそも過疎で人口も少なく、これといった産業もない地方では、国庫補助金の縮減のマイナスのほうが税財源の移譲によって得られるプラスをはるかに追い越していた。
その結果、地方政治はますます細る中央とのパイプにすがる体質が露わになり、ある程度税収が見込める大都市では、弱肉強食の自由放任経済イデオロギーを振りまく自称「改革派」首長や、豊富な財源を派手な人気取り施策に浪費する首都の知事のような人々が生まれるようになった。
地方の自治体で本当に安定財源を手に入れたいとすれば、まさに原子力発電所でも誘致する以外に方法がない。原発問題は、まさに長年の地方自治育成を怠ってきた戦後政治のツケなのかもしれない。

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