「若者と労働 『入社』の仕組みから解きほぐす」(濱口桂一郎 中公新書ラクレ)のあとがきに次のようなことが書かれています。
−−−−−−−−
「労働教育」という言葉は、現在ではほとんど死語になっていますが、かつては労働省の課の名称として存在したれっきとした行政分野でした。
終戦直後に占領軍の指令で始まり、労働省設置時には労政局に労働教育課が置かれ、労働者や使用者に対する労働法制や労使関係に関する教育活動が推進されたのです。ところがその後1950年代末には労働教育課が廃止され、労働教育は行政課題から次第に薄れていきます。
その最大の要因は、「見返り型滅私奉公」に特徴付けられるメンバーシップ型正社員雇用が確立するにつれて、目先の労働法違反について会社に文句をつけるなどという行動は愚かなことだという認識が一般化していったことではないかと思われます。
労働基準法にこう書いてあるなどと会社に文句を言う馬鹿な奴は真っ当な正社員になれません。
「労働基準法?上等だ。お前は一生面倒をみてもらいたくないということだな。一生面倒をみてもらいたいのなら、ぐたぐた言うな」
というのが暗黙の(時には明示の)社会的文法でした。つまり、労働法など下手に勉強しないこと、労働者の権利など下手に振り回さないことこそが、定年までの職業人生において利益を最大化するために必要だったわけです。(P275〜6)
−−−−−−−−−−−
あった、あったこういう時代。ワタクシが大学を出たての頃だ。まああのころは日本中がブラック企業でしたね。要するに、定年まで面倒見てやるから煮て食おうが焼いて食おうがこちらの勝手だぞ、ということでした。
ところが、「定年まで面倒みてやるから」がいつの間にか消えてなくなった。そしていま、「見返りなし滅私奉公」的働き方が強いられているってわけか。

0