ワタクシは高校生の頃新聞部に属していたがそれは別に深い理由があったわけではない。ホントは本を読むのが好きだから文芸部か演劇部でもよかったのだが、モノを書く勉強をするのは新聞部がよいような気がしたし文芸部じゃ、学校自体が理系の学生が多いところで、ブンガクなどというとちょっと恥ずかしいような気がした。思えばワタクシの人生はどこかいちばん好きなことをちょっと避けて何かを選択する傾向があったようであり、今になってなぜいちばんすきなことを選択しなかったのかと思ったりしている。
それに大学の進学に際しても文学部日本文学科を第二志望にして、第一志望を政治経済学部政治学科にしたのも同じような理由だったようだ。もっともこれは、当時の日本文学科が主として文学研究を主にしている学科で、今のようにクリエイティブ・ライティングを主とした学科じゃなかったから、適切でないとも言えないかもしれない。
しかしながら、当時の高校の新聞部は学校側の「御用新聞」的なものであって、そんな自由な雰囲気はなかった。ワタクシの年代の少し前の人々なら、高校や大学の新聞部はさまざまな政治的党派の最前線みたいな位置づけで、学生運動に深くコミットしている部員が多かったわけだが、我が高校の新聞部はクラブ活動のなかで自治的な要素の少ない、学校の直属基幹的な位置づけだった。たぶん、学生運動華やかなりし時代を経て「自治会」的な位置づけを除いた学校直属クラブに編成替えをしたのだと後々なんとなく理解した。
だからワタクシの書いた新聞記事も、今となっては、教師の検閲をいかにかいくぐって、レトリックを使って学校側のやり方を皮肉るいささか晦渋な表現に苦慮したような文章が多くなってしまった。
若い頃は、もっとのびのびと自分の思うことを分かりやすく表現するような文章をたくさん書きたかったという気持ちが、今では強くしている。

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