(以下、佐藤優氏の講演を聞いて、まとめノート。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14522/20141111/sato-masaru.htm)
現在の日本の最大の問題は、反知性主義。
反知性主義は、実証主義や客観性を否定し、自分の理解したいように世界を理解しようとしている。安倍政権のしていることはまさにそれだ。
キリスト教から見れば、近代以前、古代中世において神は天にいると考えられていた。しかし、ガリレオ、コペルニクス以降、それはもはや信じられなくなった。
19世紀の神学者シュライエルマッハーは、宗教とは直感と感情であり、後期になると絶対依存だと言い、直感や感情で主体を心に置き換え、心を通じて神に祈るようになった。
心の時代とは実はきわめて近代的な現象だ。しかし、自分の内面と身体の動きを、神と一体化してしまう危険がある。
ナショナリズムも心の中にある。それが実証されたのが第一次世界大戦だった。
理性を用いて科学技術を発展させ、理想的な社会を作り上げようとしたが、その結果起きたのが世界大戦だった。そこで自由主義神学が崩壊し、カール・バルトのように、やはり神は心の中ではなく、上にいるという考えが強まった。
宗教は単に心の問題ではなく、生活の全てである。われわれの仕事、勉強、生れてきたこと、今日ここにこうしていることも宗教の一環だ。
宗教の本質は、自分の力を他者のために使うことだ。こういう考え方を持っている人は、政治の世界もまた他人事ではない。世の中のことに対応して何かをしなければ、と考える。だからキリスト者は政治にも興味を持つ。
時代は暗い方向に向かっている。それは心の問題を公共圏に持ち込もうとしていることが最大の原因だ。安倍総理はまさにそれを進めようとしている。
彼には知性の言葉が通じない。知性や知識自体を憎んでいるからだ。政治的、言論的にそのような傾向を排除しなければいけない。
信仰は決断ではない。人間の決断など大きな力、危機の前にはぼろぼろになる。決断を元に信仰や神学を組み立てた20世紀の神学者F・ゴーガルデンはそこからナチス・ドイツのイデオロギーに取り込まれていった。
むしろ、信仰は伝染・伝播だろう。ペトロもパウロもイエス・キリストの生き方が伝染し、それにより生き方が変わった。キリスト者として、与えられたそれぞれの場でそれぞれの課題に向き合い生きることが大切だ。
在特会などのような排外主義者は必ず社会の一部に存在する。そこには言葉が通じないし、説得もできない。論理が通じないから。だからそれを封じ込めつつ、自らが排外主義に陥らないようにしなければならない。これは公共圏をどう築くかという問題になる。
たとえば本土にいて沖縄のために何ができるか。具体的に月4000円のお金を出せるなら沖縄の地元新聞を取って、沖縄の情報空間に触れることが大切だ。何が沖縄の人を怒らせているか、内在的論理について触れ理解しようとすることだ。
沖縄の怒りは本土の人には伝わっていないが大変なものとなっており、まずはそれがなにかを知ることから始めるべきだ。
大学や日本の教育の状況は相当悪い。大学の学費が上がり、親の経済力が子どもの教育、ひいてはキャリアに直結するような時代になりつつある。
知性や信仰には先生が必要で、厳しい教育を経て何十年もかけて知性や教養は身についていくものだ。現在検討が進められている道徳の教科化については、教科書を変えれば人間が変わる、という発想自体がおかしい。
それに対抗するには、学校の教師一人ひとりがキリスト教的な生き方、価値観を身をもって示すことで対応していくべきだ。

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