不況の原因は、バブル時代の過剰投資によって過剰な設備を抱え込んでいることだという話は、1990年代後半によく聞いた。
その伝で行けば、これから先たとえ景気回復で好況にてんじたところで、昔と生産構造が異なっているんだから、電力の消費がそんなに増えるはずがない。
そのなかで、過去の投資額を取り戻すだけの稼働をしていない原発を抱え込んでいる電力会社の都合が、原発再稼働に走らせていることは、だれもはっきり言わないけど、分っていることである。
経産省あたりの発言をよくよく聞いてみれば、40年を過ぎた原発は廃炉にするが、まだモトがとれていない原発はなんとか動かせないかと画策しているのだということはなんとなく透けて見える。
首相は、原子力規制委員会が世界一安全な基準をクリアした安全な原発は再稼働させるといっているが、規制委員会の田中委員長は基準をクリアしたことは確かだが、それが安全を担保したものではないと繰り返し言っている。
だいたい、日本の規制基準が世界一厳しいなどということはない。なぜなら、欧州の新しい原発にはある設備が日本の原発にはない。そもそも建設後20年以上の原発が多い日本の原発は、安全面でも古い。
鹿児島の川内原発などをみると、過去と違うのは原発の立地自治体である薩摩川内市の市長と鹿児島県知事は再稼働に前向きで、その周辺の自治体は一応に再稼働に疑問を呈している。
しかし市長も知事も、国が安全を保障してくれるようにしきりに促している。つまり自分の判断で受け入れた訳ではないという「逃げ道」を作ろうとしているように見える。
つまり、原子力規制委員長も首相も、あるいは県知事も市長も、なんとか最後のハンコを押したのは自分じゃないという逃げ道を作りつつ、再稼働に持ち込もうとしている。
よく反原発活動をしている人たちは、多くの人が東電の福島原発4号機があと少しで東日本が壊滅するほどの放射能漏れを起こす寸前だったことを知らされていないから、原発反対の運動が盛り上がらないのだと勘違いしている。
実は多くの人が、そのことをうすうす感じていたし、いまも感じているのである。だが、見たくないものは見ないし、その話はしたくない気分なのだ。だから反原発運動家が啓蒙的に知識を解こうとするのを、忌まわしく感じるのだ。
薩摩川内市民の多くも、原発がたとえ再稼働して大きな事故を幸いにも起こさなかったとしても、そんなに先がない話だということは知っている(というかうすうす感じている)のであろう。
良心的な人たちは、原発に代わる地場産業の提示がないから人々を説得できないかのようなことをいうが、実を言えばそんなオルタナティブがたとえあったとしても、たぶん腰が重いというのがホントのところだろう。
昨日と変わらないルーティンワークの世界に埋もれている東京のヤツらに、自分の日常を変えて欲しくない、もし危ない橋だとわかっても、あまりこれまでの生活は変えたくない、そういう気分が原発再稼働を受け入れる人々の根底にあるような・・・。

0