ワガクニにおいては、立憲的価値の共有による市民社会の層が薄い。
メディア産業に働くジャーナリストにおいても、たとえばある会社が権力からの圧力を受けたときに、社を超えて圧力を受けたジャーナリストを守ろうという気風がない。
それは、他社のジャーナリストが受けた弾圧が、明日は我が身かも知れないという共感が乏しいからである。
市民社会が権力からの砦になり得るのは、まさにこの共感を共有しているかどうかである。
あれは他社のことだから、あれはちょっと内容が悪かったとか、どっちもどっちだいう人ごとで済ます気持ちが強ければ、そこには共感は存在しない。
現在の政権においては、ますますメディア間の分割統治が進んでいるようで、メディアどうしの足の引っ張り合いが目立つ。そのせいで、政権に都合の悪い情報は流れなくなりつつある。

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