思い起こせば、アタシが20代初めの頃なりたかった職業はジャーナリストだった。
しかしながら、新聞社も雑誌社も、試験がメチャメチャ難しくて、まず最初の筆記試験で振り落とされることは確実に思われた。だから、なるならフリージャーナリストという気持ちだったのだが、そのためには社会経験が必要だ、まずどんな仕事でも自分の経験として蓄積することが大切だと思ってその後の人生を生きてきた。
もしも22歳の時、順調にどこかの新聞社かなにかに入社できたとして、50代になったとしたら、どうだったろうと想像してみる。現在のマスコミの状況を見てみると、たぶんアタシなどは新聞社社員ではあり得ても、果たしてジャーナリストたり得ていただろうか。
例えば最近の川崎市の中学生いじめ殺人事件の新聞報道を見ると、アタシの見た範囲ではどの新聞も殺した側と思われる少年グループの責任逃れめいた話と、学校側や教育委員会の事態を把握できていなかった「無能」ぶりについてのオハナシばかり出てくる。あとは、警察からの情報・・・
被害者の少年が転校して川崎市の中学に入ってきた経緯は書かれていても、この間のご家族の苦悩について取材ができている記事は見当たらない。日経新聞の今日の夕刊に、被害者家族の代理人である弁護士を通じた祖父の談話が出ていたが、そこからいろいろ想像はできるが、どうも各社とも切り込みが足りないように思う。
でもまあ、もし自分が記者だったらどうだろうか。やはり、そんなたいしたものは書けない気もする。
アタシが生きてきた30年で世の中が大きく変わったと思う点は、一般人の過剰なまでの「個人情報保護」意識の高まりである。個人情報保護は大切だが、法律が要請している以上に人々は個人の周辺に壁を築くようになった。
昔なら、近隣の人々に手当たり次第聞き込みをして関係者にたどり着くという取材手法がなりたったのだろうが、今ではたぶん、話を聞いて回っても何も出てこないことが多いのだろうなあと思わせるマスコミの事件報道の現状だね。

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