昨日は9月11日であったのになんだか2001年の事件のことに言及するメディアは少なかったように思う。
しかしながら、日本の政界で今重要な問題である安保法案がそもそも9.11からアフガニスタン、イラクへと続く戦争の継続の中で出てきたものであることは間違いない。簡単に言えば、アメリカが無用な介入を中東・イスラム世界に行ったために、イラクは混乱してイスラム国という鬼子を生み出し、シリアからの難民がヨーロッパに押し寄せる原因ともなった。
その中で経済的にダメージを受けたアメリカの軍事的な力を補うために、日本の自衛隊と米軍の主従関係を強化しようというのが安保法案の本質であろう。
しかしながら、安保法案に賛成する側がどうして9.11を原点とする問題だということに言及しないかといえば、彼らの関心が中国の脅威への対応にあるからだろう。
政府のいうところの「安全保障環境の激変」とは、つまり中国の脅威が増しているということと言い換えることができるのであろう。
もちろん中国の脅威への対応をもしいうなら、それは集団的自衛権が行使できるようにすることではなく、個別的自衛権の問題である。もともと中国は、日米安保条約に基づく協力関係にあることは織り込み済みのはなしであるから、いまさら日米関係の強化を言ったところで、中国に対する抑止効果にはならない。
日本の一部の人々は恐中病にかかっている。戦後の30年ぐらいの間、中国は今と違って一国共産主義の国として経済的にも貧しかった。そのころ日本は中国との関係にあまり煩わされることがなく、自国の経済成長にのみ力を注いでいればよかった幸福な時代が続いた。
しかしながら、1990年以降日本が経済的に停滞するなかで、中国が市場経済化して高度経済成長を遂げた。そのなかで、日本はそれまで戦争責任を明確に意識してこなかったので、大国化した中国が復讐してくるのではないかというあまりいわれのない妄想を日本の社会の一部が育んできた。
中国はこのまえの東京オリンピックが開かれた1964年に初めての核実験をおこなったが、実は軍事的な脅威という点では、あの頃のほうが日本に対する脅威は大きかった。日中間は国交もなく、中国は国内経済が貧しく、無茶な軍事的冒険をしても国際的に失うものはすくなかった。
今の中国は、世界経済の中での関係に組み込まれた存在であり、軍事的な冒険にもし成功したとしても、はるかに失うものが大きい。そのことを冷静に見つめて外交関係を持つことが最大の抑止力であると説いても、恐中病患者にはなかなか響かない点がやっかいではある。

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