朝鮮王朝は、李成桂が高麗から禅譲を受けて開いた王朝の名前で、李氏朝鮮と言われたこともあった。
朝鮮王朝は、1392年に建国し、1910年に日韓併合によって滅びるまで518年続いた。
高麗時代の美術は、仏画と青磁に代表される。とりわけ、高麗仏画は彩色鮮やかで知られている。
朝鮮王朝は、儒教の素養を持った官僚としての士大夫が動かした社会であり、儒教文化を土台にした、心清く物欲に潔い質素な味わいの書画が美しいものとされた。
朝鮮王朝の絵画は、二つのグループが担っていた。
一つは朝廷において、図画署の専門画員といわれる人々であり、王室や朝廷の儀礼の図譜を作る仕事に携わっていた。
第二のグループは、儒教的な教養を背景にした士大夫たちの文人画である。文人は、質素を美徳とし、品性を磨く修養を目的として、水墨画を中心に多数の作品が残されている。
画員による絵画も、士大夫たちの文人画も、どちらも儒教の教義に影響を受けている。
しかしながら、人々の心は必ずしも教義通りでは安心の境地に至らず、身近なまじないやお札に頼ったりする。
朝鮮王朝後期になると、人の悩み多き生活に根ざした願望を表現した絵画が制作された。
このような絵画は、近代になって「民画」と呼ばれるようになり、無名・無款で作者が不詳であるのが普通である。
民画は、単に民衆的なものだけでなく、貴人の家の屏風類も含まれている。「民画」はどのような点が現代から見て評価されているのだろうか。

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