民画のなかには「文房図」とよばれる種類の屏風絵がある。
『書架文房図屏風』(十八世紀岡山、倉敷民芸館)は文人の部屋の理想の書架を描いたものである。文房図は、文人の学問をする人の周りにある書籍、紙、墨、硯、筆などから、時計、扇子、花瓶、水注などまでが飾られ、文人の知的な生活スタイルを表現して儒教の学問崇拝の世界観を表したものである。
文房図は、男児の部屋や初級学校にあたる書堂に飾られた。画面の特徴として、あたかも画面の向こうからこちらが見られているように見える逆遠近法の技法が用いられている。
絵の方から鑑賞者を眺めるように感じるのは、絵の中の後方の対象物である書棚や書籍などが大きいサイズになり、絵の前方にあるものは小さく扱われる。
注目すべきは、絵の主人公は人間ではなく、学問という抽象的な存在そのものであるという点である。
もしも学問にいそしむ書斎の主が、個性を主張して自意識過剰に絵の中にしゃしゃり出てきていたら、今の時代の我々から見てこの絵の魅力はなかったものと思われる。
民画は朝鮮王朝後半に描かれたが、実際には本格的に制作されたのは十九世紀のみならず、二十世紀初頭であったという。
民画という言葉は、朝鮮半島が日本の植民地下にあった時代に、朝鮮美術の独自の美を紹介した柳宗悦が『工芸』一九三七年二月号に発表した「工芸的絵画」という論文で用いてから知られるようになった。
しかしながら、柳宗悦の民芸運動が近代批判の側面を持つものであるから、近代的な概念である「作品」と「作者」の個性の発展が重視される「芸術」の概念から従来構成されてきた美術史の中に、民画は位置づけにくいものがあったと思われる。
韓国においても「美術史学会で本格的に民画に関心を寄せ始めたのは、一九九〇年代中頃である」という。(洪善杓(翻訳 石附啓子)「朝鮮民画の新しい理解 宮廷画と民画はどのように捉えられてきたか」 『別冊太陽 韓国・朝鮮の絵画』p109 平凡社 2008年11月)
これは、文化多元主義や脱近代主義の動きが国際的に影響を強くしたからである。
宮廷画やそれ以前の仏画などの主流派の美術と、民画はどう関係してきたのか、あるいは朝鮮半島に限らず、日本や中国、あるいはベトナムなども含む近代国家主義を超えた東アジア全体における民衆絵画の発展が総合的に研究される必要がある。

0