「「小林秀雄とベルクソン 『感想』を読む」について」
読書
小林秀雄には「感想」というベルグソン論があるが、結局未完に終わった作品で、著者の意向により全集や作品集には収録しないことになっている。しかしながら、新潮社の小林秀雄全集には別巻として2冊にわたり参考資料扱いで読むことができる。
「感想」は確かに小林秀雄が中途で投げ出さざるを得なかった作品ではあるが、これが実は彼の思想と創造力の重要な源泉があるということを指摘したのは、山崎行太郎「小林秀雄とベルグソン」(彩流社)である。
小林は戦前のマルクス主義文芸全盛の時代に、マルクス主義や共産主義運動の影響を免れた視点で文芸批評を確立したが、その思想的な基盤はベルグソンの哲学の徹底的な研究にあった。
ベルグソンは最初の著書「時間と自由」から、自然科学の理論を詳しく分析しており、物理学がニュートン以来の力学的な自然観から、アインシュタインの相対性理論に結実する電磁波や光を基盤とする量子力学の時代へとパラダイムチェンジしたことを把握していた。いいかえれば、物の力学から場の力学への革命である。
小林は、ベルグソンを詳しく学びつつ、それを表には出さないであくまでも裏側からの視座として保持しつつ、自分の表側の文芸批評やその他芸術批評に結実させた。さらにベルグソンに刺激を受けて最新の物理学の動向にも関心を寄せていたと、山崎の著書は語っている。
そういえば、レーニンの「唯物論と経験批判論」でレーニンはマッハの哲学を批判していた。そのためかどうか、マッハという物理学者が実はアインシュタインの理論にも大きな影響を与えていたことに注目してこなかったのが、日本のマルクス研究の実態だった。
まあ昔から、マルクス主義の唯物史観は物理学で言えば力学的な世界観の上に立ったものであり、現代の量子力学の時代には適さないという批判はときどき耳にしていた。
ベルグソンは前から少しは読んではいたが、レーニンの「唯物論と経験批判論」とマッハの読み比べまでする必要があるんだろうか?

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