「1Q84」の中で深田保は、このように説明されている。彼は60年代、ある大学の教員で、気鋭の学者として知られていた。深田は毛沢東主義を信奉していて、一部の学生を組織し、先鋭的な部隊を学内に作り上げた。
彼の率いるセクトは結構な規模になり、大学側が要請して機動隊が導入されたとき、彼は立てこもっていた学生とともに逮捕された。
彼は大学を解雇された後、10人ばかりの学生を率いて「タカシマ塾」に入った。タカシマ塾はコミューンのような組織で、完全な共同生活を営み、農業で生計を立てていた。酪農にも力を入れ、規模は全国的で、私有財産は認めず、持ち物は共有だった。
深田の友人だった戎野に言わせれば、タカシマ塾は何も考えないロボットを作り出す組織で、ジョージ・オーエルの小説と同じ世界だという。ただそういう「脳死的な状況を進んで求める連中も、世間には少なからずいる」のであって、「ややこしいことは何も考えなくていいし、黙って上から言われたとおりにやっていれば」、食いはぐれなくていいという人間には、「確かにタカシマ塾はユートピア」なのであった。
ただ、自分の頭でものを考える深田がそんなところで満足はできるはずがない。だが戎野からみれば、「もちろん深田だって最初からそれくらいは承知していた。大学を追われ、頭でっかちの学生たちを引き連れて、ほかに行き場もなく、とりあえずの退避場所としてそこを選んだということ」なのであった。
戎野によれば、深田が求めていたのは、タカシマが持っている農業経営のノウハウだったのではないか、という。彼と元学生たちは二年ほどタカシマのなかで生活し、農業技術、流通の仕組み、共同生活の規則などの長所と短所を学び、深田は自分の一派を引き連れてタカシマを離れ、独立した。
深田のグループは、山梨県の山中に過疎の村を見つけ、そこに入り込む。村の役場の協力も取り付けて、税金の優遇も受ける。1974年に彼らの新生のコミューンは「さきがけ」という名前でよばれるようになった。
「さきがけ」は、タカシマの手法を改良し、農産物は完全な有機農法に切り替えた。都会の富裕層を対象にして食品の通信販売を始める。もともとメンバーの元学生たちは都会育ちだったので、都会人の嗜好がよく分かっていた。
彼らの名前が知られるにつれて、新しいメンバーになりたいという人も現れる。その中で、優秀な人物を選抜してメンバーに加える。当初、「さきがけ」はタカシマのように厳格な思想教育もおこなわず、私有財産も認め、報酬もある程度分配し、立ち去る自由も認めた。
だがやがて、「さきがけ」農場は二つの派に分かれるようになる。ひとつは武闘派で、深田がかつて組織した革命指向グループ。彼らは農業コミューンをあくまで革命の予備段階として捉えていた。
もひとつは穏健派で、反資本主義体制という点では武闘派と共通するが、政治とは距離を置き、自然の中での自給自足生活そのものが目的のグループで、彼らの方が多数派だった。
深田自身は、もうすでに1970年代の日本で革命の可能性は低いことを悟っていたが、彼がかつて時代の流れに乗って血湧き肉躍る話をして革命の神話をたきつけた若者たちの頭には、まだその神話が生き続けた。
やがて武闘派は、5キロくらい離れた別の廃村に移って、自分たちの革命の拠点を築くにいたる。分離の後も、二派は協力関係を築いていて、分派は「あけぼの」を名乗った。しかし、「あけぼの」は本栖湖近くの山中で警官隊と銃撃戦を起こして、以来当局は「さきがけ」も監視の対象にする。
その中で、「さきがけ」はしだいに閉鎖的になり、外の世界との接触が少なくなる。
深田の娘の「ふかえり」は、タカシマの生活は楽しかったと言うが、戎野にはタカシマはこう見える。
「小さな子供にとってはきっと楽しいところなんだろう。でも成長してある年齢になり、自我が生まれてくると、多くの子供たちにとってタカシマでの生活は生き地獄に近いものになってくる。自分の頭でものを考えようとする自然な欲求が、上からの力で押しつぶされていくわけだからな。それはいうなれば、脳味噌の纏足のようなものだ」。
タカシマ塾はヤマギシ会で、深田は新島淳良氏がモデルだという話もあるが、それはこの際どうでもいいことに思える。モデルといっても、せいぜいヒントを得たぐらいの所に思える。新島氏は、深田のような「経営」の才はなかっただろう。
村上春樹のこの小説の、もうひとりの主人公である青豆も、子供のころ親がキリスト教の分派で、輸血を認めない教義を持ち、聖書にかいてあることを字義通りに実践することを旨とした「証人会」の信者だったことで、他の子供と孤絶した生き方を強いられ、心に傷を負っている存在として描かれている。
川奈天吾の父は、宗教の信者でこそないが、父親から心の傷を受けている。日曜日もNHKの集金に回る父と一緒に歩かされる彼には、クラスメートのような楽しい週末が存在しなかった。
こうしてみると、村上春樹はこの小説で宗教を描きたかったというよりは、あるドグマにとらわれた親から圧迫を受けた子供の心の傷を描こうという傾向が強いように思われる。だが、心の傷は描かれてもこの作者は、それを人間の罪の自覚にまでは進めようとはしないようだ。
村上は、深田がなにか特別の資金源を持っていたように示唆しているが、ついにその正体は明かされない。その意味では、深田という人間の掘り下げが少し弱いような気もする。
深田はたしかに最初はデマゴーグ的なやり方で、若者たちを組織化したともいえるが、結局は自分の頭で考えられるはずの彼が、自分の頭では考えない自分の支持者に引きずりまわされる結末になる、という風に描いているように見える。
それは民衆を操作するつもりで国家主義イデオロギーを吹聴した政治指導者が、社会の最下層部の人々に広まった「原理主義」に復讐されるという「悲劇」を描いているとも言えるのかもしれない。でもそれは、あくまでも「インテリ」の悲劇だろう。
この小説は、組織と個人というテーマは描けているが、宗教は単なる素材として扱われているだけのように見えるのだが、どうだろうか?

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