はっきり言って、アタシはどう見ても優秀な学生ではなかったから、奨学金なんて無縁だった。しかし、こんな言い方をすると年がバレるということなのかもしれない。
アタシなんぞは、つまり、奨学金というのは、成績優秀だけど親に資力がない学生が受け取る、返さなくてもいいお金がもらえることを想像しているからだ。
もちろん、アタシの同年代でも某私立の大学院に通うのに、低利の奨学金を借りていた人がいた。
しかしその人は、大学院を修了しても正規雇用の道はなく、借金踏み倒ししていたと本人の口から聞いた。
独立行政法人改革で生まれた日本学生支援機構なんかでは、確か今までの緩い取り立て方針を変えて、奨学金の回収を債権回収機構が代行できるようにしたと聞いた。
アタシは昔、20代のころ、ある大学の大学院の入試要項を取り寄せたことがあるが、結局止めた。そのとき入試要項と一緒に奨学金の申し込み用紙も一緒に入っていたことを思いだした。
その後のアタシの人生を考えれば、たとえ月に2〜3万だって長期に返済していくなんて重荷だったろう。
その後、30代でニュージーランドの大学院に2年通ったときは、幸いにも自前のカネで授業料はまかなえた。
アタシなんぞは、大学院の勉強は結局高等なる「遊び」だと思っているから、いくら低利でも借金までして勉強しようなんて思わない。というか思えない。
しかしながら、昨今のように大学進学率が上がって、しかも高卒で正規雇用なんてとても狭き門になりつつある時代だと、否応なく大卒の資格ぐらいないといけないということになって、ローンを組んでも進学する人が増えているという。
昨今の奨学金は、つまり低利の学資ローンにほかならないのでありましょう。その辺の言葉の使い分けをちゃんとして欲しいものだ。少しでも返済義務があるおカネは、学資ローンというべきだ。
雑誌「クーリエ・ジャポン」(10年3月号)の堤未果さんへのインタビューによれば、アメリカで一般的な学資ローンの怖いところは、破産法が適応されないところだという。
そうなると、9か月続けて滞納すると、「不良債権」として他の金融機関に転売され、職場や自宅に取立人が押し掛けてくる。
そして、「ホームレスになっても、刑務所に行っても、死んでも、借金から逃げられない」のだそうである。
住宅ローンなら例のサブプライムローンでも、ノンリコースローン、つまりもし借金が返せなければ家を差し押さえられて、それで終りだったはずだ。
つまり、社会に出るときから、一生「債務奴隷」になるリスクがあるということである。
日本では、かつて「社畜」なんていう言葉が流行した。サラリーマンはなぜ社畜化するのかというと、会社を辞めると住宅ローンが返せなくなり、家も失うから、上司の言う事はすべて「ごもっとも」になってしまうからだった。
ところが非正規雇用が増え、そもそも住宅ローンはおろか、クレジットカードも作れない人が増えている。そうなれば、昔は考えられなかった「内部告発」も増えた。
社畜は少なくなったが、債務奴隷は増えたということなのだろうか?日本でホームレスが増え、しかも若年化しているのは、ホームレスになって名前や素姓を隠せば、そこが債務から逃れられる道であるからなんだろう。
「無縁社会」だの、「所在不明高齢者」問題は、最近すっかり新聞も熱が冷めたように紙面にあらわれなくなったけれど、たぶん取材したらかなりの部分は、借金が返せなくなって蒸発したというケースだったということなのかもしれない。

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