郵便不正事件の裁判で厚生労働省元局長の村木厚子さんが無罪になったことで、報道はどうしても村木・善玉対検察・悪玉論でこの話題を扱おうとした。
しかし、冷静に振り返ってみると、話はそう単純ではない。確かに検察に大きな問題があることはもちろんという前提での話である。
村木さん個人に関して言えば、事件当時、彼女の部下であった上村勉元係長の裁判はまだ続いている。
刑事事件としての村木さんの無罪は確かに確定した。しかし、上村氏が本当に障碍者団体用郵便割引制度適用のための証明書を偽造したのであるなら、村木さんには上司としての管理責任があるはずである。
確か、厚生労働省としても村木さんが復職してからこの件に関して処分を行ったという新聞記事が小さく出ていた記憶がる。しかし、報道はどうしても厚生労働省に出勤して花束を同僚から受け取る姿だけが強調される。
もし上村氏が本当に書類を偽造したのだとすれば、厚生労働省における印鑑の管理はどうなっていたのかが問題になる。
あるいは、厚生労働省の持つ許認可権を背景にしているのだとすれば、その許認可を決定する組織の仕組みが適切なのかどうかを問い直さねばならないだろう。
厚生労働省の官僚が、障碍者団体用郵便割引制度の適用を受けるために、その証明書と稟議書を偽造したという事実は、裁判では争われるまでもない事実として認定されているようである。
検察が、郵便割引制度を悪用して何億もの費用を浮かせている団体があり、その不正な申請を許可した官僚がいるとすれば、そこに政治家の口利きが介在していると筋読みするのは、間違ってはいなかった。
偽造した官僚を逮捕しても、はっきりした動機が分からない。しかし課長の名が、取り調べの中で出てきた。今度は課長を取り調べて、さらに局長に至ったが、実は筋読みした政治家の介在はなかったらしい。しかしながら、筋読みの間違いを訂正して後戻りすることができずに暴走した点に、検察の過失があったわけである。
検察には捜査、逮捕、起訴という「暴力装置」を持っている。特捜検察は、官僚や政治家も怖れる存在だったが、今回の事件で彼らの「暴力装置」も実はたいしたことがないという意識を彼らが持ったかもしれない。
村木さんが自らがやっていないことをやっていないと主張し、弁護士が彼女の人権を擁護するために働いたことは評価されるべきである。検察の取り調べの過程を可視化することも必要であろう。
しかしながら、村木さんの冤罪を利用して、これをクローズアップさせることで得をしたのは厚生労働省かもしれない。厚生労働省という利権に絡まりやすい許認可権をもっている組織の持つ問題点に手を突っ込まれることを、この組織は上手に回避したとも考えられるのである。

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