春だねー、送別会。
Hの送別会。2次会より参加す。H卒業し地元へ帰る。1年はあっという間だった。学校が超ハードスケジュールでそんなにしょっちゅうは会ってたわけじゃないけど、飲んで食って、バッティングセンターにも行った。寂しくなっちゃうなー。あの超まじめなボインがいなくなると。結局代打のごとく今年月一でくるFとは飲めず時舞だった。チームも終わっちゃったし残念無念。思えばHとの出会いは仕事でHのチームに教えに行った2000年だ(そうだ。それから終わりまでずっと御仕事させていただいたチームなので随分と長い御付き合いで、一体始まりがいつだったか私は思い出せなくなっていたのだ。)いいチームだった。はじめは60名くらいいたと思う。そのうち嫁に行く人、出産の人、御子達の参加等メンバーの変化、それに伴いブラスバンド導入したりかなり努力工夫してた。そうだ、「手話」を導入、ということも発案された。「ありがとう」「楽しい」「一緒に」ああ思い出した。最初の作品に入った手話の言葉。手話は最後まで一貫して踊りに入りつづけた。私も芝居っぽい事も随分やらせたしアフロの鬘もかぶせ最後の年はタンバリンマンにまでなっていただいた。そんなかなりの冒険によくぞ賛同し付き合ってくれたものだ。地元では賞までもらえるチームに成長。代表さんがまたよく考え、よく語る楽しい人で、メンバーもチーム思いの人ばかりでよくまとまってて年に2回の御仕事はかなり楽しいものだった。そんなチームも終わり、Fは私の踊りを踊りたいと今年遠距離参加してくれたとのこと。マジかい?御世辞でも嬉しいぞ。去るHにくれぐれもFのことはよろしくと頼まれる。まとまりのいいチームで終わったからといってよそに移るのは他にはいないんだそうだ。だからこそFを応援したいと言う。泣けるぜ〜。まかしとけー。と言っちゃったー。ちゃんと稽古見に行ってあげよーっと。いやー「別れ」の春。けれどそこから改めて「出会い」を振り返るとなんだか大切さがまして思えるのだった。
ちなみに「鍋」食べたいとリクエストしておいたこの会、味噌ちゃんこだったが、味が名古屋のインスタントラーメンの汁の味だった。

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