ゼミの発表を聞いていて思うことがある。
「だから何なのか?」わからない。
刑事政策のゼミに所属しているが、制度の説明と問題点を説明し、学者の意見を引用するだけである。だから、何なのか?わからない。中身がないから、質問もでない。議論も起こらない。坦々と過ぎていく時間。
発表班で、先生の所に行った時に、それが何故かわかった気がした。
「文献が見つかりません!」「いい文献はありませんか?」
そう、資料を探し、それをまとめて、レジュメにする。それを発表と思っているようである。自分の意見がないのである。
もちろん最低限の知識は必要である。説明は必要。でもそれは発表の半分(多くとも七合目)に過ぎない。
根本に戻ってラディカルに考えることも、具体的に社会のあり方を考えることもない。したがって表層的な発表となる気がする。
自分はほとんど文献を読まない。自分が調べたいこと、疑問に思っていること、発表したいことと合致する文献などない。甘えて、似か寄る文献に乗っかって、自分の意見が書けなくなるよりも、
自分の頭で考えるようにしている。

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