僕にくれ、千の口づけを
それから百、それからまた千、また次の百
それから続けてまた千、そして百
リュビアの砂の数ほど多く、
恋を眺める星ほど多く、
もうどれほどしたのかも分からなくなるほど、
僕にくれ、千のくちづけを
これはローマの詩人、カトゥルルスの「レスビアの歌」
の中の一節だ。
分かりやすく間を省略しているが、
とてもロマンチックなこの詩が好きだ。
リズム感のある数遊びのような歌。
こんな可愛い寝顔にならいくらでもチューしたい

明日からは実家で飯炊きだから、
今日は特別にのんびりとしていた。
録画していたTVドラマを観、
そしてふとこの分厚い詩集を引っ張り出した。
ローマの詩人はともかく神話の神を、
どやどやと登場させては意味を持たせる。
それをいちいち読むのが面倒だ。
どれもみな同じ意味を持つからみんな同じになってしまう。
けれども、それが無い詩は面白い。
昔のローマの人間がどんなだかが見えるのだ。
まったく馬鹿正直で楽しい人種だ。
不埒で、強欲で、恥知らず。
オウィディウスの「やり手ババアの教え」という詩。
魔法の枝を持ち、
アエアエアの呪文を知っている
恋する女の毒が何をなし得るかよく知っている
彼女は言う、
昨日、あんたが金持ち男に好かれたのを知っている
あんたが金持ちになれば私も貧乏ではなくなるだろう
金持ちはあんたに何を与えようかと考えている
恥じらいは見せかけならば、役に立つ
しかし本当ならば邪魔になる
美貌も男を迎えなければ鍛えられずに老いてゆく
一人や二人では十分な効果は得られない
網を張ってる間は、逃げられないように控えめに
お金を要求しなさい、
捕まえたら、あんたのやり方で苦しめなさい
愛している振りをするのは役に立つ
そうしてこの恋を無料にしないように気をつけなさい
しばしば夜を拒みなさい、時には頭痛を偽りなさい
やがて迎えてやりなさい
耐える習慣が身につかないように
あんたの玄関が懇願には閉まり、
お土産を持って来たら開くようにしなさい
舌の助けで心を隠せ、
甘い蜜の下には多くの毒が隠れている
このやり手ばばあと言うのはローマ詩人が好んで使う登場人物だ。
というか、やり手ばばあと言うのが普通に居たのかもしれない。
今で言うところのポン引きだろう。
若い女に金持ち男をあてがい、貢がせて、
そこから手数料をもらうのだと思う。
アエアエアの呪文、もよく出てくる。
調べてみると、
「豚になれ!」
という呪文らしい。
他にも詩人たちは金持ちからふんだくる詩を多く書いている。
女性が金持ち男の愛人になるのが嫉妬の種なのだ。
けれども、美貌の男にもこのやり手ばばあは登場し、
やはり男好きの旦那にあてがい、
恋の手ほどきをするようだ。
とかくこの頃のローマ人は、
恋には贈り物をするのが当然のように語っている。
それを否定しても、自分も結局は贈り物をするようだ。
金で恋を買う時代だったのだのだろうか?
その伝統は今も続いているようだけれども。
援助交際は古代からの伝統なのかもしれない。
ローマの詩人はそれを格式高く、
ロマンチックに歌っている。

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