最近の人は――と言ふよりも、その手の「わからない人」は、どんどんどんどん増えてゐるやうな氣がする。殊に、ウェブで氣樂に物を言へるやうになつて以來、「わからない人」が大聲で「わからない事を言つてゐる人間」を激しく罵る事が目立つやうになつてゐるやうな氣がする。
しかも「わからない人」は、「わからない」のは自分が惡いのでなく相手が惡いのだと思ひ込む傾向がある。この種の人は、思ひ込みが猛烈だから、「わからない事を言ふ奴は成敗せねばならない!」とか本氣になり易く、手段を選ばない。自分の正義を心から信ずる爲に、どれ程惡辣なやり方でも許されると心から信じてしまふ。彼らは「わからない事を言ふ人間」の活動を執拗に妨碍して粘着と化す傾向がある。
旧闇黒日記より一部転載
「わからない事」にも、質という物がある。
「わかる」価値もない「わからない事」というものも、この世には厳然と存在するのである。
野嵜氏の「言論」とやらは、まさにそれに該当する。
つうか、野嵜氏の「言論」というのは、誰でも分かることをわざわざ分かり難く書いているにすぎない。

0