お仲間にすら支持されない、経済記者氏の道徳的経済論(笑)。
なんで支持されないのかお気づきでないようだから(お仲間の場合は別の理由がありそうだが)、私が教えてやる。
それは自分自身の問題を無視してるからだ。
経済記者氏が属してる新聞業界は、経済記者氏が信奉する市場原理主義の理念に反する(利権化した)規制に守られた(松原信者が痛罵してたはずの)日本的な業界である。
市場原理主義を吹聴するんであれば、当然自身が属する新聞業界についても批判があってしかるべきなのに、絶対に批判をしない。
結局は自分自身を棚に上げて、他人に向かって厳しさを強要しているに過ぎないのである。
つまり「自分抜きの経済論」。
まー、これは経済論に限らず、ネット上で「旧字旧かなの正当性」を主張し、国語改革論者や国語問題に疎い「知的怠惰」な日本人を痛罵しておきながら、私生活の場では平然と新字新かなを平然と使用し、そのこと全く疑問に思わない「旧字旧かな趣味者」にも言えることである。
「自分」の願望、嗜好、価値観などを、「思想」や「哲学」の言葉に照してはっきり自覚していったとしても、照らし合わせても気づかなかった「自分」、気づきたくなかった「自分」という現実を、ないことにしたまま「思想」を構築してしまうと、思わぬところから突っこまれ、あっけない破綻をきたしかねない。
(浅羽通明『教養論ノート』 より引用)

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