この事を決定づける出来事がおこりました。
私は、市バスで遠い私立の幼稚園に通っていました。
父に毎日、バス停まで送ってもらっていました。信号のない横断歩道を渡った時の事です。突然後方から軽自動車が飛び出てきて、私は車にひかれました。
けがの程度は、割合軽く、痛いながらもすぐ立ち上がる事ができました。
でも頭の中は、とっさに
「失敗してしまった。恥かしい(母に対して)、隠さなければいけない、素知らぬ顔で幼稚園に行かなければいけない」
こんな思いが駆け巡っていました。私は、バス亭まで足をひきずりながら歩いて行き、バスに乗ろうと準備を初めていました。
でも父が目撃していた事で、病院に無事連れて行ってもらうことが出来たのです。
もし轢き逃げか何かにあっていたら、私は、そのまま隠し通して、病院に行くことも出来なかったと思います。
大きくなってから、もし本当に隠し通せていたら恐ろしい事だったと、無事にその時病院にいけた事を何度も安堵したものです。悪い事は、絶対言ってはいけないそんな思いだったのです。そして恥かしいと感じたのです。
この恥かしいという感覚は、すでにこんな感じで現れていて、私を今後ずっと苦しめ続ける事になるのです。

2