義母が亡くなり 週末は何かと大変でした。
私、実は表面は冷静を装っていましたが、お骨拾いの時 ものすごい衝撃を受けてたんです。
なんとなんと、私って この歳になるまで お骨拾いって した事がなかったんですよね。
前日まで 形のあった 穏やかな顔で眠っていた人が 骨と灰になっているんです。
頭では 分かっていたつもりでしたが、 もう体の中は
「えーえーえーえーえー嘘だぁ 嫌だぁ 」
そんな感じでした。。。
娘も お箸をつかって拾っていましたが、 娘は未だ
´死´ということが よく分かっていない様子。
小さな体で どんな事を感じたのかな? いつもとあまり 変わらない様子の娘に、
何か大切なことが残ってくれてるといいなぁと 思います。
ところで・・・
お葬式に限らないのだけど、 こういった席では、なんか決まった挨拶とか 言い回しが ありますよね?
私って そういうのって ずっと苦手なのですが、今回あらためて、´嫌だなぁ´
そんな感覚を 実は内心覚えてしまいました。
自分の心が ちゃんとともなっている時に これらはを使う時は、 そうも思わないのだけど、なんか 義理だったり 形式的だったりした時(自分の心がない時には)
なんか 嘘っぽいというんだろうか・・・嘘ならそんな言葉はいらないなぁ・・・と思う私がどこかに いて、
偽善者だなぁとも感じるし、 そんな嘘の言葉を並べている自分は恥ずかしい?そんな
事を思ったりします。
ずっと前に
´今日はいい天気ですね´
そんな 会話も私は苦手と 確かこのブログで書いた覚えがあるのですが、全然次元は違うのだけど 感覚的には 同じ感じかな???
´こんにちは´と 同じくらいの ニュアンスだとは思うのだけど、 (深く考えすぎですよね) ´天気´には 心がない気がして???? 私自身は 滅多に使う事はないです。
みんな使っているし、世の中はそういうものだとも思うし、何度か使っていると慣れてもくるものでもあるのですが、でも 嫌な事には変わりないです。
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「どうしたなんだろ? みんなと違うかも?」
私はずっと これらについて考えていたのですが、
ひょっとしたら 生まれ育った家庭での受けとり続けた言葉の影響かなぁ そんな気はします。
言葉の表面上の意味や 世間的な目から見たら
「温かい、常識的な言葉 振る舞い」
そんなものは いっぱい受けとった気がするのだけど、
なんかその言葉や振る舞いの裏にあったものは、まったく正反対のものだった(心がともなっていなかった)・・・
一番身近にいる人の こういった振る舞いの繰り返しが このような感覚を産んでいったのかな? そんな気はします。違うかな?
(本格的に気付いたのは 大人になってからですが、今振り返って見た時、子供の時から、ちょっとなぁ と思える 実際生活での体験はいっぱいです)
まゆまゆのカウンセリングルーム/相談室
強迫性障害克服体験記 書いています。読んでください
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