2013/8/23  9:44

「凡事徹底」の正しさを証明した前橋育英高校野球部でそれを実践した地元安中二中出身の一塁手  国内外からのトピックス

■全国3957校が参加した第95回全国高校野球選手権記念大会に初出場で全国制覇を成し遂げた前橋育英高校の快挙のニュースに沸く我らが群馬県ですが、決勝戦までレギュラーとして活躍した県内出身者で構成される選手のひとりに安中市出身者の楠裕貴・一塁手がいます。
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8月24日朝の安中市役所。懸垂幕は以前からある「八重の桜」のみ。楠選手の栄誉をたたえるメッセージはまだ掲げられていない。


 楠選手の活躍ぶりは末尾に掲げますが、群馬県勢としては1999年の桐生第一以来14年ぶり2度目、初出場での優勝は1991年の大阪桐蔭(大阪)以来22年ぶりとなり、我らが群馬県のイメージアップに大きく貢献しました。
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前橋育英高校の甲子園全国制覇を称える上毛新聞号外が8月22日の決勝戦の夕方さっそく発行された。

 さっそく群馬県庁はもとより、前橋育英高校のある前橋市庁舎は外壁に大きな懸垂幕を掲げて、その功績を称えており、住民らがそのまえで記念撮影をしています。さらに、新治中出身の田村・外野手の活躍を祝ってみなかみ町も役場に大きな懸垂幕を掲げました。また、準決勝戦には大澤知事が、決勝戦には前橋市の山本市長と、沼田市立利根中出身の高橋(知)・二塁手と高橋(成)・投手を輩出した沼田市の星野市長が甲子園のスタンドで応援していました。

 前橋育英高校の優勝メンバーに安中市立第二中出身者がいることから、安中市役所でも地元出身選手を褒め称える準備をなにかしているのか、或いはする予定があるのかどうか、さっそく市役所に確認しましたが、秘書課担当者によれば、市長ら幹部がどう考えているのかわからないとして、現時点では懸垂幕や表彰の具体的な準備はしていないようです。おそらくこういうことには如才のない岡田市長のことですから、さっそく何らかの対策をとるものと思われます。

【ひらく会情報部】

※安中二中出身の楠選手に関する報道記事等
**********産経新聞2013.8.19 02:10
前橋育英・楠裕貴一塁手(3年)
 ■「次は絶対一本打ちたい」
 6点リードの九回裏、1死一塁の場面。併殺を狙った遊撃手・土谷からの送球がミットに収まった。優勝候補の一角を破る快挙を成し遂げた瞬間だった。「自分たちの野球ができた。素直にうれしい」と試合後、大粒の汗をぬぐった。
 小学2年のとき、兄、智貴さん(21)の影響で野球を始めた。野球をする兄への憧れが強く、前橋育英に進学、同じユニホームに袖を通した。激しいレギュラー争いもあったが、モットーの「人一倍の努力」の言葉通り、毎日300回の素振りをこなした。今春、ようやくその努力が実を結び、監督から背番号3を託された。
 打撃不振もあって、先発メンバーに選ばれなかった横浜戦では、八回裏に途中出場するまで仲間のサポート役に徹した。スタンドから声援を送っていた智貴さんは「感謝の気持ちを忘れず、チームのために自分の役割を果たしてほしい」と弟の姿を見守った。
 県予選では驚異の打率6割をたたき出したが、甲子園ではまだ快音を響かせていない。
 「自分だけ置いていかれるわけにはいかない。次は絶対一本打ちたい」。表情を引き締め、活躍を誓った。(広池慶一)

**********2013年8月22日読売新聞
巧者・前橋育英 さあ決勝だ…甲子園
 夏の全国高校野球大会第13日の21日、前橋育英は準決勝第1試合で日大山形(山形)に勝利し、初の決勝進出を果たした。長短打に犠打を織り交ぜる巧みな攻撃で4点を奪い、エース高橋光成(こうな)の好投と内野陣の堅守で相手の追撃を抑えた。県勢の決勝進出は1999年に桐生第一が優勝して以来、14年ぶり。決勝戦は22日正午開始の予定。
◆準決勝、犠打絡め着々加点
 前橋育英は初回、先頭の工藤陽平が出塁すると、続く高橋知也の安打などで一死二、三塁とし、荒井海斗の犠飛で先制。二回には田村駿人が三塁打を放ち、楠裕貴の適時打で追加点を奪った。その後も、盗塁や犠打を絡めて攻め、相手を突き放した。エース高橋光は104球を投げ抜き完投。
 荒井直樹監督は「初回の併殺がいい流れを呼び込んだ。『攻撃的守備』を表現してくれた。高橋光はうまく緩急を使い分けて要所を締めた」とたたえた。
◆進化するエース・高橋光が完投
 外野スタンドのかなたから白い入道雲が伸びる。今大会のスターをのぞき見に来たかのようだ。大会5回目のマウンドに立ったエース高橋光成の投球は、この日もさらなる進化を見せた。
 2点リードの三回、先頭打者の強烈な打球が高橋光を襲う。球が左足に当たり、軌道が変わる。すかさず二塁手の高橋知也がカバーに入り、一塁に投げてアウトを取った。「あいつが頑張っている。しっかり捕ってやらないと」と、小学生からの幼なじみをもり立てた。
 その後、2安打を浴びて二死一、二塁のピンチに。打席に4番の奥村展征(のぶゆき)が入った。「キーになる打者。三振で勢いを封じたい」。力がこもった。
 この日、「一番自信がある」直球が狙われていた。2ストライクと追い込んだ後の4球目、捕手の小川駿輝が送ったサインはフォーク。「ボール球の直球にタイミングを合わせてきた。ほぼ同じ速さと軌道のフォークなら空振りが取れる」とにらんだ。
 高橋光がうなずく。1メートル88の長身が投じた球は、打者の手前でストンと落ち、バットが空を切った。一発逆転の場面で主砲を抑え、この日も自責点0で完投した。
 「甲子園に来る前は要所で抑えられなかった光成が、今は決めるところでしっかり決めてくれる」と小川。あと1試合。進化を続ける2年生エースは、決勝でどんな成長を遂げるのだろうか。(百瀬翔一郎)

**********東京新聞2013年8月23日
<夏の甲子園>ミラクル育英 県勢14年ぶり2度目の栄冠
 「守り勝つ野球」で群馬に2度目の栄冠−。第95回全国高校野球選手権大会は二十二日、前橋育英が決勝戦で延岡学園(宮崎)に4−3で逆転勝ちし、初出場で全国制覇を成し遂げた。県勢の優勝は一九九九年の桐生第一以来14年ぶり。スタンドには「やった」「ありがとう」の歓声が響き、歓喜の涙があふれた。 (美細津仁志、伊藤弘喜、杉原麻央)
 1点リードの九回裏。死球と安打で無死一、二塁のピンチを迎えた。「こうな、こうな」。一塁側アルプス席は、初回からマウンドを守る高橋光成(こうな)投手(二年)の名を呼ぶ声援に包まれ、一球ごとに緊張が走る。
 「三振を取ってやる」。2死の後の高橋投手の134球目。思い切り腕を振って投じた。133キロのフォークボールに打者のバットは空を切った。
 優勝の瞬間、ナインがマウンドに駆け寄る。スタンドを埋めた生徒たちは涙ぐみ抱き合って喜んだ。
 4万3000人の観客が見守った最後の戦い。序盤は苦しい展開だった。生徒たちは黄色いメガホンを握り締めた。堅守で三回まで相手を無安打に抑えたが、四回、内野の送球ミスが絡み一挙に3点を失う。ナインのモットーは「雑草心」。踏まれても立ち上がる。
 五回、先頭の田村駿人(はやと)選手(三年)。「出塁だけを考えていた」。打球は左翼席へ。自身、今大会2本目の本塁打で、流れを一気に引き寄せた。敵失も誘い、小川駿輝(しゅんき)選手(三年)の右前適時打ですぐに同点。父の修弘(のぶひろ)さん(41)は「初回の満塁で打てなかったので、ほっとした」。
 3−3で迎えた七回。三塁打の土谷恵介選手(三年)を荒井海斗(かいと)主将(三年)が適時打でかえした1点が決勝点となった。「守備のミスを取り返せて良かった」と荒井主将。同じクラスの嶋田和季さん(18)は「さすが、海斗」とスタンドで喜んだ。
 連日、高橋投手を見守った母尋美(ひろみ)さん(40)は「抑えてくれると信じていた。ゆっくり休んでほしい」とねぎらった。
◆監督・主将談話 
 荒井直樹監督 最高の気持ち。いつも通りの守備ができて満足している。自分たちの積み重ねが表現できて優勝できた。点を取られた後の粘り強さや我慢強さを出せた。自分たちのやってきた野球に間違いはなかった。
 荒井海斗主将 母が寮母として苦労しているのを小さいころから見てきた。これ以上の親孝行はない。なかなか打てなかったのは4番として苦しかったが、その分、チームメートに声を掛け、もり立てた。
◆選手ひとこと(丸数字は学年)
 高橋光成選手(2) 決勝の雰囲気は違った。守備で先輩に助けられた。優勝の実感はない。
 小川駿輝選手(3) 最後に思った通りに三振を取れて、すごく気持ち良かった。
 楠裕貴選手(3) まさか本当に優勝できるとは。このチームで勝てて最高です。
 高橋知也選手(3) (土谷)恵介と目指した「日本一の二遊間」がかなってうれしい。
 土谷恵介選手(3) 実感はないがうれしい。(攻守の活躍は)気持ちがプレーに出た。
 田村駿人選手(3) 苦しいときもあったが、仲間や両親の支えでここまで頑張れた。
 工藤陽平選手(2) 先輩に支えられた。次は自分が引っ張り、また甲子園に戻ってくる。
 板垣文哉選手(3) 選手を大事にしてくれた荒井監督を「日本一」にできてうれしい。
 喜多川省吾選手(2) 強豪校と試合ができ、強くなれた。連覇して先輩に恩返ししたい。
 井古田大輔選手(3) 伝令でチームを笑顔にできた。このチームで野球ができ良かった。
 竹内良太選手(3) チームワークが良くみんなでつかんだ優勝。最高のチームになった。
 富田恭輔選手(3) とにかくうれしい。支えてくれた両親や兄にありがとうと言いたい。
 内田祥司選手(3) 3年間きついことも多かったが、チームワークの良さで優勝できた。
 板橋達弥選手(3) 常総学院戦で追い付いたように、諦めなかったのでいい結果が出た。
 小野拓真選手(3) 仲間と支え合ってここまでこられた。最高の形で終われてよかった。
 若松徹也選手(3) 横浜に勝っていけるかなと思った。来年も絶対に頑張ってほしい。
 須川良紀選手(3) 冬の練習や、けがをしてつらいこともあったが優勝できてうれしい。

**********Number Web 2013/08/22 19:20
http://number.bunshun.jp/articles/-/655311
〜甲子園の嵐〜
優勝を呼んだ前橋育英の「凡事徹底」。誰でもできること、誰よりもつづけること。
中村計=文
 前橋育英(群馬)の監督、荒井直樹は常に「平熱」の人だ。
「監督のすごいと思うところは?」という質問に対し、一塁手の楠裕貴は、真っ先に「怒らないところ」と答えた。
「野球以外のことでは厳しく注意されることはありますけど、声を荒げたりすることもない。1カ月間、ほとんど誰も注意を受けないこともある」
 延岡学園(宮崎)との決勝戦で、4回裏に3点先制されたときも、5回表にすかさず同点に追いついたときも、ベンチ前に立つ荒井が喜怒哀楽を表現することはほとんどなかった。
「ここまできてドタバタしてもしょうがないので。ガツガツやってもいいことないじゃないですか」
 指揮官も、選手も、強さの理由を尋ねても「特別なことは何もしていない」と繰り返した。逆説的だが、強いて言えば、それが「特別」だった。
 荒井の座右の銘は「凡事徹底」。今年のチームとこれまでのチームはどこが違うかと問うと、こう答えた。
「毎朝、散歩しながら15分間ゴミ拾いをしているんですけど、今年はそういうこともきちんとできるチーム。本物というのは、そういう平凡なことも、きちんと積み重ねることができるチームのことだと思うんです」
■「インコースの打ち方を覚えるよりも、まずはトイレをきれいにしろ」
 指導の礎としたのは、日大藤沢(神奈川)を卒業し、1983年に就職したいすゞ自動車での経験だ。
「インコースの打ち方を覚えるよりも、まずはトイレをきれいにしろ、靴をきれいにそろえろ、というチームだった」
 入社当時、チームは低迷期で大学生相手にも負けてしまうほどだった。入社7年目に都市対抗の本戦に出場したときは、実に18年振りだった。
 ただ、そんな気風が荒井の性に合ってもいた。
「社会人で13年間やらせてもらったけど、常に『クビ候補』の選手だった。ピッチャーを失格になり、外野手もダメで、内野手になって、ようやく少しずつ試合に出させてもらえるようになった。すぐにできるタイプじゃないんです。そういうセンスがないんだと思う。じっくり、じっくり、なら何とかなるんですけど」
 そして荒井の退社後、2002年にいすゞ自動車は全国制覇を成し遂げた。時間はかかるが「凡事徹底」はあらゆるところに生きることを確信した。
■強いと思ったことはない。でも、どこよりも我慢強い。
 いすゞ自動車が優勝した年は、荒井が前橋育英の監督に就任した年でもある。いすゞ自動車は優勝を花道に休部が決まっていた。そこで荒井は「いすゞ自動車の意志を継ぎたい」と前橋育英のユニフォームをいすゞ自動車とまったく同じデザインのものに変更した。
「ラインの太さも、帽子のマークの角度が5ミリぐらい上がっているのも、そっくりなんです」
 そんな荒井の思いが反映したのだろう、前橋育英も、時間はかかったが当たり前のことを辛抱強く継続できるチームに成長した。
「強いと思ったことは一度もないんです。相手をねじ伏せるような力があるわけじゃない。でも、どこよりも我慢強い。そういうチームになったとは思います」
 それを象徴していたのが準々決勝の常総学院(茨城)戦だった。
 0−2と2点リードされ、9回2死走者なしまで追い込まれた。しかし、そこから同点に追いつき、延長戦でサヨナラ勝ちを収めた。
 決勝戦も4−3と1点リードで迎えた最終回、無死一、二塁のピンチを招いたが踏ん張った。
「バックネット裏の人たちまで向こう(延岡学園)を応援してましたからね。これはピッチャーも大変だろうなと思いながら見てましたけど」
「たとえ負けても自分のやり方を変えることはなかったと思います」
 前橋育英の監督就任から11年間、周囲の人間に「甘い」と言われながらも自分のスタイルを貫いた。
「僕の中で当然と思えることをやってきただけ。怒ることが指導ではない。勝ったことでそれを証明できたと思う。でも、それをあえて言うつもりもないし、たとえ負けていても自分のやり方を変えるということはなかったと思います」
 荒井はあくまで穏やかな口調でそう語った。
 誰にでもできるようなことを誰にもできないくらい長い時間、積み上げた。それが荒井の指導者としての最高の才能であり、前橋育英の強さだった。
**********

※甲子園での戦績データ
<決勝戦試合経過>
【1回】▽表(前橋育英)工藤二ゴロ。高橋知四球、土谷中前打、荒井右前打で1死満塁。
小川捕ゴロで併殺
▽裏(延岡学園)守備から代わった渡会遊ゴロ、松元一ゴロ、坂元右飛で三者凡退
(前橋育英0−0延岡学園)
【2回】▽表 板垣中飛、高橋光遊ゴロ、田村遊ゴロで三者凡退に
▽裏 岩重三振、浜田遊直、田中遊ゴロで三者凡退
(前橋育英0−0延岡学園)
【3回】▽表 楠が二塁内野安打で出塁しボークで二進。工藤右飛、高橋知三振。土谷の右前打で2死一、三塁。荒井は投ゴロで二者残塁に
▽裏 蒲田が死球で出塁し柳瀬、横瀬が犠打を試みるもともに二塁封殺。渡会一ゴロ
(前橋育英0−0延岡学園)
【4回】▽表 小川三振。板垣左前打、高橋光三振で2死一塁。田村の打席で板垣が二盗失敗
▽裏 松元遊ゴロ。坂元、岩重が連続安打で1死一、二塁。浜田三飛、田中四球で2死満塁。蒲田の三塁内野安打と悪送球で2点を先制。柳瀬四球で2死満塁。横瀬の右前打で3点目、二走は本塁で刺殺
(前橋育英0−3延岡学園)
【5回】▽表 田村の本塁打でl点。楠が敵失で出塁。工藤も敵失を誘い無死一、三塁。2番手井手に継投。高橋知がスクイズを決め2点目。土谷四球で1死一、二塁。荒井は中飛。小川の右前打で同点。3番手奈須がマウンドヘ。板垣四球で2死満塁。高橋光は三ゴロで勝ち越せず
▽裏 渡会一ゴロ、松元投ゴロで2死。坂元が中前打で出塁したが岩重三振
(前橋育英3−3延岡学園)
【6回】▽表 田村投ゴロ、楠三振で2死。工藤が二塁打で出塁。高機知の打球を遊撃手が失策するも三塁憤死
▽裏 浜田投ゴロ、田中左飛、薄田ニゴロで三者凡退
(前橋育英3−3延岡学園)
【7回】▽表 土谷の右翼線を破る三塁打と荒井の左前打で勝ち越し。荒井の二盗失敗、小川の三振で2死。板垣四球、暴投で2死二塁。高橋光四球。田村のニゴロで二塁封殺
▽裏 柳瀬二ゴロ、奈須、渡会の連続三振で三者凡退
(前橋育英4−3延岡学園)
【8回】▽表 楠右飛、工藤二ゴロ、高橋知右邪飛で三者凡退に
▽裏 松元遊飛。坂元四球で出塁するも岩重の遊ゴロで併殺
(前橋育英4−3延岡学園)
【9回】▽表 土谷四球、荒井左飛で1死一塁。一走土谷が二盗し、捕手の暴投で三進。小川投ゴロ。板垣四球、高橋光の遊ゴロで二塁封殺に
▽裏 浜田死球、田中中前打で無死一、二塁。野崎左飛、柳瀬捕邪飛、奈須三振でゲームセット
(前橋育英4−3延岡学園)

<最近10年間の決勝成績>
     優 勝       準優勝
2004年 駒大苫小牧13 − 10 済   美
2005年 駒大苫小牧 5 − 3 京都外大西
2006年 早   実 1 − 1 駒大苫小牧
2007年 佐 賀 北 5 − 4 広   陵
2008年 大 阪 桐 蔭 17 − 0 常葉学園菊川
2009年 中京大中京 10 − 9 日 本 文 理
2010年 興   南 13 − 1 東海大相模
2011年 日 大 三 11 − 1 光 星 学 院
2012年 大 阪 桐 蔭 3 − 0 光 星 学 院
2013年 前 橋 育 英 4 − 3 延 岡 学 園
※ 2006年は延長15回引き分け再試合

<決勝戦各選手成績>
【前橋育英】      打得安点振球犠盗失 打率
G 工 藤A 下 仁 田 511000000:.385
C 高橋知B 沼田利根 300111100:.267
E 土 谷B 藤岡小野 313002010:.333
D 荒 井B 前 橋 東 502100001:.208
A 小 川B 館林多々良501120000:.364
H 板 垣B 前橋木瀬 201003000:.235
@ 高橋光A 沼田利根 400011000:.238
F 田 村Bみなかみ新治411100000:.286
B  楠 B 安中二中 411010000:.125
   計        35410457111:.274
【延岡】        打得安点振球犠盗失 打率
C 梶 原B      000000000:.211
5 渡 会A      400010000:.000
E 松 元B      400000000:.333
G 坂 元B      312001000:.353
H 岩 重B      411020000:.286
F 浜 田B      300001000:.421
B 田 中B      311001001:.400
D4薄 田A      201101001:.167
H 野 崎@      100000000:.000
A 柳 瀬B      300001001:.353
@ 横 瀬B      201100001:.333
1 井 手A      000000000:.500
1 奈 須B      200020000:.167
   計        3136255004:.278

投 手 回   打 投  安振球失責  防御率
高橋光 9   36 134 65532  0.36
-----------------------------------------------------------
横 瀬 4-0/3 19  72 63131  1.64
井 手 0-2/3 4  16 10100  1.29
奈 須 4-1/3 20  90 32511  1.00
▽三塁打 土谷
▽二塁打 工藤

<優勝までの軌跡>
▽1回戦
岩国商(山口)
  000 000 000 − 0
  000 100 000 − 1
前橋育英
▽2回戦
前橋育英
  000 010 000 − 1
  000 000 000 − 0
樟南(鹿児島)
▽3回戦
前橋育英
  200 201 200 − 7
  010 000 000 − 1
横浜(神奈川)
▽準々決勝
常総学院(茨城)
  020 000 000 0 − 2
  000 000 002 1x − 3(延長10回)
前橋育英
▽準決勝
日大山形
  000 001 000 − 1
  111 000 10× − 4
前橋育英
▽決勝
前橋育英
  000 030 100 − 4
  000 300 000 − 3
延岡学園(宮崎)
(前)高橋光−小川 (延)横瀬、井手、奈須−柳瀬
▽本塁打 田村2同@(横瀬)

<夏の甲子園大会の初出場優勝>
     優勝   スコア  準優勝
1916年 慶応普通 6−2 市 岡 中
1917年※愛知一中 1−0 関西学院中
1919年 神戸一中 7−4 長野師範
1923年 甲 陽 中 5−2 和歌山中
1931年 中 京 商 4−0 嘉義農林
1936年 岐 阜 商 9−1 平 安 中
1949年 湘  南 5−3 岐  阜
1955年 四 日 市 4−1 坂 出 商
1965年 三 池 工 2−0 銚 子 商
1968年 興  国 1−0 静 岡 商
1971年 桐蔭学園 1−0 磐  城
1976年 桜 美 林 4−3 P L 学園
1991年 大阪桐蔭 13−8 沖縄水産
2013年 前橋育英 4−3 延岡学園
(注)第1回大会を除く、※は敗者復活戦からの優勝

【平成25年9月10日追記】

 8月22日の前橋育英高校の甲子園全国制覇の偉業から18日ぶりにようやく安中市が、地元出身選手らに祝辞を贈りました。例によって、岡田市長の提灯記者の取材によるものです。

**********東京新聞2013年9月10日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20130910/CK2013091002000163.html
安中市出身3選手 夏の甲子園V報告 市長「歴史に残る」
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優勝報告に訪れた選手たち。左から若松、楠、大竹選手=安中市で
 夏の全国高校野球選手権大会を初出場で制した前橋育英高校野球部員で安中市出身の三選手が九日、市役所を訪れ、岡田義弘市長に優勝報告した。
 三人はいずれも三年生で、一塁手の楠(くすのき)裕貴選手、外野手の若松徹也選手、外野手の大竹厚汰選手兼記録員。出迎えた岡田市長は「おめでとう。群馬の歴史に残る」と歓待。「厳しい練習によく耐えた」と話し掛けると、三人は「監督についていって正解だった」と答えていた。岡田市長は秋の国体出場にも触れ、「最上の活躍を」と激励。選手たちは「チーム状態も良い。全力で悔いなく戦いたい」と意欲を見せていた。 (樋口聡)
**********

 ところがこの日、奇しくも群馬県の秋季大会の初戦(2回戦)で、前橋育英高校は、太田工に3−4で敗れてしまい、来春の選抜大会出場の可能性が絶望となりました。無理もありません。つい前々日の9月8日まで台湾で、18Uのワールドカップで米国と決勝戦を争っていた日本代表に選ばれていた高橋光成投手(2年)は、前日9日に台湾から帰国したばかりだったからです。高橋党首は2点を追う4回から登板しましたが、5回を投げて5安打1失点でした。
 しかし、高橋投手は、「疲れはあったけど言い訳にしたくない。夏に向けて、しっかり冬に走り込みます」と試合後、しっかりと力強く来季への意欲を示したのでした。
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