2015/2/6  23:22

日本人人質殺害事件と安倍首相のイスラエルなど中東訪問強行から見えてくる我が国の今後の行方  国内外からのトピックス

■昨年後半から続いた「イスラム国」に纏わる一連の事件は、日本人人質2名殺害という悲惨な結果に終わりました。この間、日本政府はどのような対応を行って来たのか、について、当然、詳しい検証が行われなければなりませんが、早くも安倍首相は、人質解放に向けた一連の交渉の経緯について、平成26年12月10日に施行されたばかりの特定秘密保護法を引き合いに出して、「秘密保護法に抵触するから」として口を閉ざしています。したがって、マスコミがきちんと情報を収集し、関係者から取材し、真相を明らかにしなければなりませんが、大手新聞社を見る限り、そうした動きはあまり見えてきません。
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1月18日に、イスラエルのテルアビブでベンヤミン・ネタニヤフ首相と会談を行った安倍首相。


 今回の一連の出来事を、時系列的に並べてみました。

<平成26年>
6月20日
 イスラム教スンニ派の過激派組織「イラク・レバント・イスラム国(ISIL)」がイスラム国家建国を宣言。名称を「イスラム国」(IS)に改名。

7月28日
 湯川氏がシリア入り。その後、イスラム戦線等反体制派連合部隊と行動を共にしていた。

8月8日
 米軍がイラク北部クルド人自治区でISへの空爆を開始。

8月14日
 湯川氏がISに拘束される。湯川氏は反体制派連合部隊がアレッポ北方の村でISと交戦後、行方不明になっていたが、その後ISが拘束した湯川氏の尋問映像をネットで公開。湯川氏をスパイ容疑で裁判にかけたいとする現地司令官の意向あり(後日談)。

8月19日
 ISが米国人記者とみられる男性の殺害映像をインターネットで公開。殺害役の男は米軍による空爆を批判、別の米国人記者とみられる男性を人質に攻撃中止を迫った。

9月2日
 ISが別の米国人記者とみられる男性の殺害映像をネットで公開。記者はシリアで内戦に苦しむ一般市民を取材していた。母親はビデオでISのバグダディ指導者に「本人に責任のないことで処刑するのはやめてほしい」と助命嘆願をしていた。米報道官が現地時間2日、動画を確認したことを発表。

9月13日
 ISが英国人の人道支援活動家の男性の殺害映像をネットで公開。男性はシリア北部で避難民の支援活動をしていた。英国のキャメロン首相は「どんなに時間がかかろうと(犯人を)追い詰め、裁きにかける」と演説。

10月3日
 ISが英国人ボランティアの男性の殺害映像をネットで公開。キャメロン英首相は「テロリストがいかに野蛮かということを示している」と強く非難。

9〜10月
 日本政府が後藤氏に対して3回に亘り渡航中止を要請した(後日談)

10月23日
 後藤氏のツイッターはこの日で更新が止まった。

10月25日
 後藤氏が妻の元を離れ、シリア北部のマレアに到着後、「これからイスラム国の支配地域に入ろうと思う。全ての責任は自分にある」と語る映像を撮影。支配地域に入った後、消息が途絶えた。目的は「湯川さんを捜しにいく」と周囲に語っていた。

11月1日頃
 政府関係者によると、後藤氏からトルコに住む知人のシリア人男性に「ガイドに裏切られ、武装グループに拉致された」と連絡があった。数日後、IS関係者を名乗る人物が、後藤氏の家族にメールで約20億円の支払いを要求してきたという。

11月14日
 国連の調査委員会がISを戦争犯罪と「人道に対する罪」で批判する報告書を発表。ISが支配するシリア北東部からの避難民への聞き取り調査でまとめ。捕虜や市民の殺害などで国際人道法の重大な違反と大規模な戦争犯罪をしていると批判。

11月16日
 ISが米国の人道支援活動家の男性を殺害したとする映像をネットで公開。男性は陸軍兵士としてイラクに派遣され、退役後に人道支援活動家としてシリア北部で支援物資を輸送していた。ISによる人質殺害は欧米人では5人目。

12月2日
 過激派組織ISから後藤氏の妻へ初めてメールが届き、後藤氏が拘束されていることが家族に明らかとなる。

12月20-23日
 フランス各地で無差別襲撃事件発生。

12月24日
 ヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ中尉が、シリア北部で実施された空爆作戦に参加した際、乗機が墜落し、ISに拘束された。

<平成27年>
1月3日
 ヨルダン軍パイロットが焼き殺される(後日判明)。

1月7日
 フランスのパリにあるシャルリー・エブド紙襲撃テロ事件発生。

1月8日
 フランスのモンルーシュで女性警察官が撃たれて死亡。

1月9日
 パリ郊外の印刷会社とスーパーで人質・立てこもり事件発生。特殊部隊が強行突入し、それぞれ容疑者を射殺。

1月17日
 安倍首相が中東歴訪中にエジプトを訪問し演説で、中東での人道支援やインフラ整備などの非軍事分野で総額25億ドル(約2900億円)の支援を表明。ISの脅威にさらされているイラク、シリア、トルコ、レバノンの難民支援などに総額2億ドル支援を表明。

1月18日
 安倍首相がイスラエルを訪問し、ネタニヤフ首相との会談及び経済セミナー開催。

1月19日
 安倍首相が引き続きネタニヤフ首相と会談し、夕食会に招待される。

1月20日
 安倍首相がイスラエルで内外記者会見。ISが後藤氏と湯川氏を拘束し、殺害すると脅迫しつつ、支援表明額と同額の身代金2億ドルを要求する動画を公開。安倍首相は中東訪問を途中で切り上げて帰国。同行の中山泰秀・外務副大臣がアンマンの現地対策本部に向かった。

1月22日
 イスラミックセンタージャパンがISへの抗議声明を発表。「日本人の人質を殺すことについて、いかなる弁解の余地もなく、正当性もない」「人質の殺害は、コーランの教えにも反する」として、即時無条件の解放を要求。

1月23日
 後藤氏の母の石堂順子氏(78)が日本外国特派員協会で貴社会見。「健二はイスラム国の敵ではない。命を救ってください」と訴えた。

1月24日
 ISが湯川氏殺害写真画像を後藤氏に持たせた動画を公開。後藤氏本人とみられる音声で、身代金の要求を撤回し、「ヨルダンの連続爆破テロの女性死刑囚、サジダ・アル・リシャウィ容疑者を釈放するよう、ヨルダン政府に求める」よう要求を変更。ヨルダン政府は、「イスラム国に拘束されているヨルダン軍パイロットを解放するなら、リシャウィ死刑囚を釈放する」と表明。

1月25日
 安倍首相が声明を発表。「言語道断の許しがたい暴挙であり、強い憤りを覚えます。断固として非難します」と言明。ISが運営するラジオ局アルバヤンが番組で湯川さん殺害を伝える。ニュース番組のトップで日本人人質事件を報道。アルバヤンはISの実効支配下にあるイラク北部モスルを拠点とし、実効支配地周辺で聴取できる。

1月27日
 ISが、後藤氏が映った新たな映像声明をネットで公開。映像は午後11時頃公開。後藤氏が昨年12月にISに拘束されたヨルダン軍パイロットの写真を手にしている画像を背景に、後藤氏を名乗る男性が「私には24時間しか残されていない」と述べ、改めてサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求めた。

1月29日
 ISが日没までにリシャウィ死刑囚の返還を求める声明をネットで公開。ISが、後藤氏との身柄交換の相手に指定するサジダ・リシャウィ死刑囚(ヨルダンで収監中)を29日日没(現地時間)までにトルコとIS支配地域との境界に連れてくるよう要求する声明をインターネットサイトで公開。後藤氏の妻が英国のジャーナリスト支援団体を通じて声明を公表。「彼の解放を確実にし、ヨルダン人パイロットの命を守るには、あと数時間しか残されていません」と訴えた。

2月1日
 ISが後藤氏を殺害したとする新たな動画を公開。ISが午前5時ごろ、後藤さんとみられる男性が殺害される光景を映した新たな映像をインターネット上で公開。動画は「日本政府へのメッセージ」との表題。男性を殺害した男は「日本にとっての悪夢が始まる」と述べた。安倍首相が首相官邸で記者団に対し、「誠に痛恨の極みだ」「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する。日本がテロに屈することは決してない」と犯行グループを強く非難。後藤氏の母親が報道陣に対し「今はただ、悲しみで涙するのみ」とのコメントを発表。

2月4日
 ISがヨルダン軍パイロットを焼き殺したとする映像をネットで公開。映像は4日未明(現地時間3日夜)、インターネット上で公開。ヨルダン国営放送は「殺害」は1月3日だったと報じた。ヨルダン政府が4日昼(現地時間同日早朝)、リシャウィ死刑囚ら2人の死刑を執行した。

■平成26年6月20日に過激派組織「イラク・レバント・イスラム国(ISIL)」がイスラム国家(IS)建国を宣言し、名称を「イスラム国」(IS)に改名してから現在までの約7か月間の経緯を列挙してみました。

 こうしてみると、日本人人質2名が殺された原因は、明らかに今年1月中旬に行われた安倍首相の中東訪問で、ISへの日本政府としての敵対姿勢を明言したことが、誘因となったことが分かります。

 しかも、安倍首相は、遅くとも11月初めには、日本人2名がISに拘束されていたことを知っていたわけですから、エジプトやイスラエルを訪問時に、高らかにISに対する対決姿勢をぶちあげれば、拘束された日本人2名の安否に当然影響を与えることは承知の上で、そうした演説を行ったことになります。

 しかも、この時期にイスラエルを訪問すること自体、通常の外交常識では有り得ません。これまで、イスラエルを訪問した歴代の我が国首脳は、2006年7月の小泉純一郎首相のみで、今回の安倍晋三首相が2度目です。タイミング的には、せいぜい大臣クラスに留めておくべきだったと思われます。

■当然、そのような事情は分かっていたはずで、にもかかわらず、安倍首相自ら経済ミッションを引き連れながら、中東諸国でも相対的に親イスラエルの立場をとるエジプト、ヨルダンを訪れたことは、確信に基づくものだったに違いありません。

 だから、日本人殺害後も、安倍首相は「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わさせるために、国際社会と連携していく」「脅しに屈すればテロの効果があったことになる」「中東歴訪で訪れた国々に連帯を示すのは当然で、日本は非軍事的支援を行ってきた」「イスラム国の過激主義と闘うアラブの国を支援することが極めて重要」とし、イスラム国を「いたずらに刺激するのは避けないといけないが、テロリストに過度に気配りする必要はない」と述べ、イスラム国を中心とした過激派組織との対決姿勢をさらに打ち出したのだと思われます。

 こうして、今後も日本人や日本企業がターゲットにされて攻撃される可能性が高まったわけですが、おそらく安倍首相の狙いはそこにあったのでしょう。なぜなら、集団的自衛権や、自衛隊の国際貢献という観点からは、むしろ世論喚起には都合がよいからです。

■筆者は1998年8月から2000年4月まで、20カ月にわたり、サウジアラビアに滞在したことがあります。イスラム教を国教とする中東の国々のなかでも、サウジアラビアは、メッカとメジナという聖地があるだけに、戒律がもっとも厳しい国として知られています。

 当時、サウジアラビアでは、週末、運動しようと半ズボンをはいて道路わきを歩いていると、車で通りがかった宗教警察(ムタワ)につかまり、自宅まで強制的に連れ帰らされて、長ズボンを履くのを確認するまで自宅から立ち去らない、という事態がしょっちゅう起きていました。

 また、国内線の飛行機やバスに乗ると、女性は専用の座席にグループで座り、全身黒装束でじっとしている様子をいつも見ることが出来ます。筆者が宿泊していた家の前に小中高一貫の女子学校がありましたが、いつもスクールバスで黒ずくめの一団が通学していました。しかし。バスのステップから降りるときには、ジーンズの裾やスニーカーを履いている様子が見えました。外見は黒一色でも、女性は流行に敏感でした。

 当時、日本からサウジアラビアのジェッダに行くには、マニラからサウジ・エアのノンストップ便をよく利用しました。ビジネスクラスのラウンジでは、周りを見回すと、日本人も欧米人も、そしてサウジ人さえも、浴びるようにアルコール飲料のグラスをあおっています。なにしろ、次にいつアルコールにありつけるかわからないので、皆、黙々と、グラスに注いでいます。

 サウジ・エアのフライトアテンダントは、フィリピン人もしくはレバノン人の若い女性たちですが、皆、スカーフで髪を覆い、ズボン姿です。もちろん、機内ではアルコールのサービスはありませんから、もっぱら、デーツとよばれるナツメヤシの砂糖漬けを苦いアラビアコーヒーで流し込み、目的地までひたすら眠る乗客が多いのです。

 飛行機がサウジアラビア領空に入ったというアナウンスが機内に流れると、それまで歓談していた女性らは入れ替わり立ち代わり、席をはずし、戻ってくると黒ずくめの衣装をまとっています。

 サウジアラビアの入国は苦難の連続です。旅客の人数に対して、入国管理官の数が少なすぎるのです。入国手続きには長蛇の列ができ、通過するまでに2時間なら早い方で、6時間かかったこともあります。食事時は最悪で、管理官が昼食なのかコーヒータイムなのかわかりませんが、ブースを開けたまま1時間近くも戻ってこないこともあります。

 入国カードには、「宗教」という欄があり、日本人は「仏教」と書けばよいのですが、中には、「自分はとくに特定の宗教を持たないから」として未記入のまま係官に提出すると、ただちに突き返され、記入するまで入れてもらえません。サウジアラビアの人たちにとって、「宗教」とは必ず信奉すべき対象なのです。

 ようやく入国手続きが終わると、次にさらに難関が待っています。荷物検査です。とくに、食べ物と雑誌類がきびしくチェックされます。食べ物はアルコールと豚肉が御法度ですから、念入りに調べられます。かつて、紙パック入りの日本酒を持ち込めたという逸話もありますが、現在は絶対に無理です。整髪料もうるさく調べられます。アルコールが入っているからです。アル中の人が、サウジアラビアでどうしても酒が飲み宅で、整髪料を飲んだというエピソードもあるくらいです。

 豚肉もきびしく調べられます。レトルト食品や、加工食品などで、すこしでも豚肉が入っていると没収されます。漢字で書いてあればわかるまい、と思いきや、サウジ人の係官は、食品の包装に書かれた成分表を見て、漢字の「豚」や「猪」の字をパターン認識しているのではないか、と思うくらいです。当時、語り草になっているのは、エースコック製インスタントラーメンを持ち込んだ人が、ラーメンを全部没収されたうえに、罰金も取られたことです。エースコックの登録商標を見れば、サウジ人の係官は目をつぶるわけにはいかないのです。

 さて、サウジアラビアでは、車の助手席が特等席です。テレビのニュースを見ても、国王が公用車から降りるシーンはすべて助手席からです。産油国ですからガソリンなどの価格は安くのは当然と言えば当然で、当時は1リットル30円でした。ところが、しばらくして急に40円になりました。現在はいくらかわかりませんが、日本のガソリンは半分が税金と言われているので、今でも日本に比べれば相当割安感があるはずです。

 また、サウジアラビアでは、道路が広く、砂漠では延々とまっすぐな道が続くため、皆スピードを出します。そして、追い越し車線では、前にのろのろした車がいると、後ろにピタッとくっつき、煽られます。時速140キロの速度で走っていても、さらに速く走りたい輩は、パッシングライトをチカチカさせて、後ろに1mも離れずに付いてくるため、恐怖を覚えます。サウジ人の運転マナーは決してほめられたものではありません。だから、交通事故も相対的に多く発生します。

 この他、サウジアラビアでの暮らしを今、思い出してみるといろいろなことが頭をよぎります。書き始めるとキリがないため、イスラム教の総本山のサウジアラビアに関する情報は別途ご紹介したいと思います。

【ひらく会情報部】
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