2015/5/18  22:44

安中市土地開発公社巨額横領事件(タゴ51億事件)発覚20年…あと87年残る群銀への和解金支払いを止めよう  土地開発公社51億円横領事件

■20年前の今日、1995年5月18日(木)、安中市役所の西庁舎2階東側にあった都市計画課(当時)が兼務していた安中市土地開発公社で、史上空前の巨額横領事件が発覚しました。筆者の目線から、この20年間を振り返ってみたいと思います。
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茂木市長から送られてきたタゴ51億事件にかかる刑事記録の開示請求に対する2015年4月1日付不存在通知書が入った封筒。


 「市役所内でなにやら不穏な動きがある。どうやら10数億円近く行方不明になったらしい」という情報が洩れてきたのは5月30日(火)でした。金額はその後じわじわと増え続け、6月3日(土)に初めて新聞報道された時には、すでに40億円を超えると、一部の市役所職員の間で囁かれていました。しかし、マスコミは、既に横領の実行犯だった元職員が5月31日に懲戒免職になっていたにもかかわらず、まだ使途不明金は数億円程度と報じていました。
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/472.html#readmore

 当会が、この前代未聞の巨額横領事件の犯行額が50億円を超えることを知ったのは、6月5日ごろでした。しかし、一般市民は、この時点では数億円規模の詐欺事件で、被害者は群馬銀行だけだと信じ込まされていたのでした。
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■事件の真相を明らかにしようと有志が集い、その流れは日に日に大きくなりました。そして、1995年6月10日に「市政をただす緊急市民の会」が開かれ、同6月14日に対策会議で活動方針が決まり、同6月17日にはじめて「市政をただす安中市民の会」が正式に発足しました。当時の様子は、当会の次のブログを参照ください。
http://pink.ap.teacup.com/applet/ogawaken/msgcate7/archive

 その後、警察の捜査情報も入らなくなり、頼りは市民から寄せられる情報でした。それらの情報は、警察にも通報するとともに、「市政をただす安中市民の会」でも情報を分析し、活動の参考にしました。当時は市内各所で説明会を開催し、事件の背景や内容を分かりやすく市民の皆さんに伝えることを目指しました。

 しかし、時間の経過とともに、事件の幕引きに向けた動きが活発化していきました。市民団体に対しても、役所は次第に以前と同じように尊大な対応をとるようになりました。

■次にやってきたヤマは、横領事件に関係する約37億円も含め、公社が群銀から借り入れている約48億円の利息の返済期限が1995年9月30日に到来することでした。群銀から半期分(4月1日〜9月末日)利息合計9366万4664円の支払を求められていたからでした

 同9月20日午後9時40分から群銀本店で群銀側(土金頭取、吉田副頭取ら)と市側(小川市長、助役、総務部長)でトップ会談が行われ、群銀は「(37億円は)タゴではなく公社に正規に貸したもので今後筋を通して解決したい」と述べました。小川勝寿市長は「9月22日の群銀からの利息明細案内を見て公社理事会に諮って結論を出す」と言っていましたが、結局、打開策を見いだせないまま、同10月11日に、市議会に辞表を提出し、同13日の臨時議会で辞任を表明したのでした。

 それを受けて、急遽、市長選挙が公示され、筆者を含め4名の候補が出馬をしました。筆者は造船会社に勤務しておりましたが、市民団体のメンバー全員から市長候補に推挙されたため、3日間ほど熟考を重ねた挙句、辞表をしたためて、会社に提出しました。

 ところが、会社の直属幹部はたまたま、米国駐在から帰任したばかりで、「選挙出馬なら公民権行使だから、辞職する必要は無いはず」として、人事部に確認したところ、日本でも労働基準法で公民権の行使がちゃんと認められていることが分かりました。

 しかし、背水の陣で選挙に臨まないと、市民の共感は得られないとして、筆者は辞表提出にこだわり続けました。一方、直属幹部は、「とにかく君の辞表は預かりとしておく」とこれまた頑なに態度を変えませんでした。

 そして迎えた11月12日の選挙公示日から1週間。筆者は初めての選挙活動に戸惑いながらも、市民の多くが事件の真相解明を望むことを痛感しながら、市内各地を遊説に回りました。

 同11月19日に投開票が行われ、県議から急遽鞍替えした中島博範候補が市長に当選しました。筆者は、残念ながら2000票余りの差を付けられて次点に終わったのでした。

 タゴ51億事件の捜査を幕引きするタイミングを計っていた警察は、この選挙結果を見て、まもなく筆者の自宅を訪れて、元職員の単独犯行ということで、本事件の捜査を打ち切る旨報告がありました。

■筆者は、選挙に落選後、1週間ほど呆然と過ごしましたが、直属の上司は選挙結果を知って、「待っているぞ」と声をかけてくれました。やはり家族を養うためには職を離れたままではいられません。筆者は再び勤務を始めることにしました。

 一方で筆者は1996年1月に「市政をただす安中市民の会」を発展的に改組し「市政をひらく安中市民の会」を立ち上げ、引き続きこの事件の真相究明と責任所在を明確化すべく活動を続けました。しかし、タゴ事件の追及を執拗に続けていたからでしょう。自民党群馬県連は、勤務先の社長室に「小川を何とかしろ」と圧力をかけ続けたのです。

 そのため、筆者は1998年1月から3月にかけてアフリカのウガンダに出張中、突然、4月1日から別の部署に転勤を命じられ、急遽帰国し、その後半年間、岡山県の事業所でプラントについて学んだあと、同年8月から、サウジアラビアの紅海側にある工業都市ヤンブーの海水淡水化プラント工事の現地要員として少なくとも5年間の予定で派遣されたのでした。

 半年に一度、2週間の休暇が取れるだけで、後は灼熱の砂漠で、金曜日以外はフィリピン人、インド人、スーダン人らを相手に工事の監督をしていました。しかし、毎月、市民の会の会報は欠かさず発行していました。原稿を現地から送り、妻がそれをとりまとめ、会員有志の協力を得て、毎月300人近い会員に郵送していました。

■そしてあっというまに4年が経過し、1999年11月に再び市長選挙の時期が迫りました。たまたま、現地のプラントが完成して7日間の連続試運転を行う時期が11月初めに来ました。筆者は、既に7か月間休暇をとっていませんでしたが、現場の運転責任者として、なんとしてもこの連続試運転を乗り切ろうと決心しました。7日間、トラブルなく運転できれば、晴れて完成の承認が客先からもられるのです。

 その7日間は本当に必死の思いでした。今でも、無事に7日間運転できたのは、奇跡だと思っています。4日目にタンクのレベル調整に不具合が出ました。しかし深夜だったので電気技師を直ぐ呼ぶことができません。朝まで徹夜で手動でレベル調整を続けて、事なきを得ました。

 無事に7日間連続運転を終えたのは、何と公示日の3日前でした。たまたま本社から出張してきていた上司は、筆者の帰国目的が選挙出馬であることを知っており、「休暇をとりたい」とする筆者の説明に耳を貸そうとせず、「絶対に帰国してはならん」と妨害をしました。

 しかし、一緒に苦労を共にした同僚の協力で、すぐに切符を手配でき、上司の制止を振り切って、フィリピン人の運転で、320キロ離れたジェッダ国際空港まで駆けつけて、シンガポール航空に飛び乗り、翌金曜日に成田に到着し、深夜自宅に戻りました。既に会員の皆さんが、選挙の準備を整えてくれており、直ちに1週間の選挙戦に突入できました。

 この時は、現職との一騎打ちでしたが、初回以上に有権者市民の反応は手ごたえを感じましたが、なぜか得票は伸びず、およそ6:4で再び落選しました。

 2週間の休暇を終え、サウジアラビアに戻ると、現地で待っていたのは「5年以上、プラントの保証技師として滞在するように」という会社の指示でした。ところが翌2000年4月に、突然スペインへの転勤命令が出ました。5月の連休明けにマドリッドに赴任せよ、というのです。

 その理由は、赴任先で判明しました。現地にある子会社のコンテナクレーン会社の経理部長だった男が17億円を横領したので、スペイン語の分かる日本人を現地に派遣して、50数名のスペイン人の職員の管理を含めて、きちんと立て直す必要があるというのです。

 その後マドリッドには2002年7月まで2年余り滞在し、副社長として経営全般を見直し改善に努力した結果、ようやく会社の経営も安定してきたころ、今度はインドネシアのジャワ島中部で石炭火力発電所の建設要員として、異動を命じられました。インドネシア派遣前にしばらく準備作業のため日本で勤務できましたが、急にアゼルバイジャンの石油産業の品質改善計画に従事することになり、2003年から2005年にかけて、都合6回ほど首都バクーに赴任しました。合計すると現地滞在期間は1年半に及びました。たまたま2003年11月はまだ日本に居たので3度目の市長選に出馬できました、

■一方、市民団体として、タゴ51億事件に絡んで、その後、5つの住民訴訟を提起しました。しかし、全て裁判所から門前払い判決ともいうべき、棄却或いは却下判決を受けました。その殆どは控訴し、上告までトライしましたが、いずれも敗訴に終わりました。

 こうして、次第に年月の経過とともに、タゴ51億事件も風化していきました。1998年12月8日に市・公社と群馬銀行との間の民事訴訟の和解勧告がまとまり、@群銀は返済請求額のうち、9億3600円と10数億円に上る利息と損害遅延金の支払いを免除。A市・公社は連帯して残りの債務24億5千万円のうち、4億円を1998年12月25日に支払い、1999年から10年間は2千万円ずつ分割で返済し、年間支払額が2000万円を下回らない範囲で最長で103年かけて返済、という、いわゆる「103年ローン」が始まりましたが、次第に、この理不尽なやり方に疑問をもつ市民は少なくなっていきました。

 そのため、筆者は、2003年11月の市長選と、2006年4月の松井田町との合併市長選にも出馬しましたが、得票数はどんどん減少していきました。

 そして、2009年9月には、単独犯とされた元職員も14年の勾留期間を終えて、晴れてシャバに戻ったのでした。さらに2010年4月の合併後2回目の市長選で、元公社の理事・監事だった現職市長が再選を決めた直後に、シャバに戻った元職員の配偶者から公社に電話があり「夫の親友の元金融マンが、夫から預かっていた絵画等6点を返却したいと言って来たので、それらを公社に寄付したい」と申入れが有りました。

 元職員の代わりに古物商の免許を持つ親友のこの元金融マンは、元職員がせしめた横領金で、古物商の免許のない元職員に替わって、元金融マンが10億円近い骨董品や美術品を業者から購入していたのでした。1995年6月6日から始まった警察の家宅捜査の前に、押収されないように元職員から頼まれて預かっていたため、押収品の隠匿に加担したわけであり、明らかに共犯です。しかし、警察は何も動きを見せませんでした。その絵画等6点は、未だに市役所の管理下に置いてあるということですが、未だに真贋が不明で、換金して、103年ローンの充当に使う予定はなさそうです。

■このことと前後して、突然、聞き慣れた運輸会社の名前が全国的ニュースとして放送されました。2008年8月3日(日)早朝、首都高5号線熊野町ジャンクション付近で発生した多胡運輸所属の大型タンクローリーによる横転炎上事故です。

 この事故を起こしたタンクローリーはガソリン16キロリットル、灯油4キロリットルを満載していました。数時間にわたり炎上したため、首都高の現場付近の高架道路の鋼製桁はグニャリと変形してしまい、首都圏に甚大な交通渋滞を2か月以上にわたって及ぼしました。

 首都高は突貫工事で復旧工事の終わった2008年10月14日、事故を起こした多胡運輸に損害賠償を請求することを発表しました。賠償金の試算の基になるのは復旧工事費約20億円と、2008年8〜9月の通行止めや渋滞などから発生したと考えられる25億4千万円の減収分で、合計45億4千万円になると試算結果を示しました。ところが、首都高が実際に多胡運輸の提訴に踏み切ったのは、3年後の時効寸前の2011年7月頃でした。

 その際、人々を驚かせたのは、首都高の運営会社が「交通量が著しく減り損害を受けた」と主張して、提訴先として挙げたのが、ガソリンの運搬を委託していた出光興産、委託先であり多胡運輸の元請だったホクブトランスポートだったのです。損害額もなぜか減額されて、約34億5千万あまりとなりました。

 第1回目の審理が2011年10月7日に開かれてから、既に3年半が経過しましたが、今でもまだ訴訟が続いています。その後、首都高は、多胡運輸が会員となっている関東交通共済組合も相手取って、共済金支払いを求める訴訟も提起しました。一審では首都高が勝訴しましたが、現在、関東交通共済組合が控訴しており、まだしばらく決着までに時間がかかるものと見られます。共済金で10億円程度は回収できるものと見られますが、残りの24億5千万円は、原告の首都高と、被告である荷主の出光興産と多胡運輸の元請のホクブトランスポートとの間で、さらに時間をかけて争われる見込みです。

 ところが、驚くべきことに、これらの裁判には既に多胡運輸が関与している風情はありません。高崎市箕郷町上芝の多胡運輸は、2012年末から2013年初にかけて、突然、看板を架け替えて「株正」と名乗り始めました。首都高から提訴された後は、5台程度あったアポロマークのタンクローリーの姿が見えなくなりました。しかし、出光系のアストモスのLPGガスの取扱いは引続き行って、多胡運輸の看板も掛けていました。しかし、2012年末ごろから、突然社名を株正に変えたのです。

 他の会社に買収されたのかもしれないと思い、当会では独自に調査をしました。その結果、株正の実態は多胡運輸そのものであることが分かったのです。通常であれば、首都高から苛烈な資産調査を受けて法律により強制的に財産没収されるはずですが、なぜか年間売上2.3億円、資本器1200万円の多胡運輸は、平然と営業を続けているのです。

 なぜこのようなことが起きるのでしょうか。それは、安中市のタゴ51億事件で、元職員の実弟が経営するこの運送会社が、タゴ一族の存続を担保する組織だからなのです。

 同じことは、出光の石油製品の配送業務を多胡運輸に下請に出してきたホクブトランスポートにも当てはまります。多胡運輸よりは規模が大きいとはいえ、資本金6000万円、売上は不詳(数十億円程度か?)の企業にとって、10億円単位の賠償額は致命的のはずです。地元政治家の大御所である中曽根大勲位の運転手を長年務めていた先代のメンツもあり、簡単に潰すわけにはいきません。だから首都高は、荷主の出光興産に狙いを付けたのでした。

 当会の独自調査によれば、まさに多胡運輸そのものである株正は、神奈川方面の配送に従事しており、土曜及び日曜・祝祭日のみホクブトランスポートに出庫連絡をして、平日は、午前4時から午前8時半までは自社で、午後8時半以降はホクブトランスポートからの指示で配送業務をしています。つまり、社名を変えてもホクブトランスポートの庇護の下で、平然と営業を続けられるのです。

■このように、20年前に安中市役所で発生した巨額横領事件の真相解明は、これまで、事件を隠蔽しようとする人物が首長に就いてきたため、全く埒があきませんでした。岡田義弘・前市長などは、元職員と一緒に土地ころがしの手法を学んでいたと言われており、事件が発覚した直後に、元職員が3回ほど前市長(当時は県議)の自宅を訪れたという情報も当時飛び交いました。

 だから、2014年4月14日に前市長を破って当選し、同4月23日から市長業務についている茂木英子・現市長による103年ローンの解消に向けた活動と、タゴ51億事件の真相解明に向けた姿勢に市民の期待がかかるのも当然です。

 そこで、当会では、これまで公開質問で茂木市長にタゴ51億事件について意向を確認してきました。事件に深くかかわった前市長と異なり、103年ローン解消に向けた安中市民の声に真剣に耳を傾けていただけることは大きな前進でした。
○2014年12月6日:タゴ51億円事件の尻拭い金支払い日まであと20日…当会の公開質問状に茂木安中市長から回答
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/1479.html

■その後、当会では、タゴ51億事件の真相究明についても、茂木市長の意向を確認したいと思いました。そこで、次の内容で2015年3月18日付で安中市長に対して
行政文書開示請求を行いました。

**********行政文書開示請求書**********
<開示を請求する行政文書の内容又は件名>
私は、平成7年5月18日に安中市役所内部で発覚した一公務員による我国史上空前の公金着服事件の真相解明を住民レベルで追及しています。これまでにこの事件に関連して、芝原団地固定資産税の賦課徴収を怠る事実の違法確認請求事件(平成9年(行ウ)第1号、多胡邦夫の市民税の賦課徴収を怠る事実の違法確認請求事件(平成10年(行ウ)第8号)、安中市土地開発公社巨額公金流出追及住民訴訟事件(平成11年(行ウ)第2号)、および安中市長個人を相手取った多胡邦夫の市民祝の賦課徴収懈怠による損害賠償請求事件(平成13年(行ウ)第24号)の4件の住民訴訟を提起してきましたが、市民は市と別法人の土地開発公社を提訴する資格がないとして、いずれも棄却もしくは却下の判決が出されました。 ところで、本件は平成7年5月18日の発覚以来、今年で丁度20年が経過しようとしています。この事件の真相を知るためには、事件にかかる刑事記録が不可欠です。この刑事記録について、私は平成11年5月31日付、平成12年5月16日付、同年12月10日付、平成13年8月2日付、同年11月9日付、平成14年10月23日付けで前橋地検に開示を要請してきました。公社事件の公金着服や使途不明金などの全容解明を私たちの世代で行い、後世の世代に対して説明責任を果たしておく必要性を痛感しており、そのためには納税者の費用で賄われた刑事記録の閲覧無くしては実現できないためです。にもかかわらず、これまで前橋地検では、事件関係者の平穏な生活を脅かす、という理由で、刑事記録を開示しようとしませんでした。すでに刑事罰の時効も到来しており、事件関係者を新たに訴追することは不可能なのですから、平穏な生活は脅かされることはありませんが、私が一住民という立場なので、地検は開示に応じてこなかった可能性があります。どうか、こうした事情と市民感情をご賢察のうえ、多胡邦夫の刑事記録について、市が保有しているもので、別紙に示す情報一覧の中に該当する者があれば、開示をお願い申し上げます。
********************

■ところが、茂木市長は、2015年4月1日付で、次の内容の行政文書不存在通知書を当会宛に送ってきました。

**********行政文書不存在通知書**********
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20150401_annakasicho_gyoseibunsho_fusonzaituchisho.pdf
様式第4号(第4条関係)
                    安企発第2375号
                    平成27年4月1日
          行政文書不存在通知書
 安中市野殿980番地
 小 川  賢   様
               安中市長 茂木 英子
 平成27年3月18日に請求のありました行政文書について、当実施機関において保有してぃないため、安中市情報公開条例第11条第2項の規定により通知します。
<開示請求に係る行政文書の内容又は件名>
別紙行政文書開示請求書の「開示を請求する行政文書の内容又は「件名」のとおり
<行政文書が存在しない理由>
 請求内容に係る情報について、企画課が保有する行政文書は不存在である。

 公社が保有する情報につぃては、安中市情報公開条例第24条第2項により、公社に対し平成27年3月23日付文書にて、上記開示請求内容に係る情報の提出を求めたが、公社から同年3月30日付文書で、『当該申し出のあった情報については、公開することにより事件関係者の平穏な生活を脅かす可能性が想定されること。また、「公社の経営に支障を及ぼすおそれのある情報」と認められたため提出できない』旨の回答がなされた。

 公社が保有する情報については、実施機関(市)からの提出依頼に対して、公社から情報提供があったときに実施機関が保有する情報になるが、本件については、公社から情報の提出がなかったため、実施機関として開示できる行政文書は不存在である。

<事務担当課>
総 務 部 企 画 課
電話番号 027-382-1111 内線(1021)
<備 考>―
********************

 この不存在理由は、岡田義弘・前市長時代と全く同じです。茂木市長は、なぜこのような通知をよこしてきたのでしょうか。

 茂木市長は、2014年4月の市長選で当選後、しばらく安中市土地開発公社の理事長を兼務していました。その後、同8月27日の定例記者会見で、副市長に元県農政部長の茂木一義氏(60)(前橋市)を起用する考えを発表し、同9月1日から始まった平成26年第3回安中市議会定例会に副市長選任について議案を上程し、議会の同意を得たことから、茂木一義・副市長が同9月18日付で4年間の任期で就任しました。

 茂木一義・副市長は、茂木英子・理事長に替わって、さっそく安中市土地開発公社の理事長にも就任し、現在に至っています。岡田義弘・前市長の時は、任期中ずっと市長と公社理事長を併任しており、当会が公社に関する情報開示を市長に求めると、市長は、同一人物である公社理事長に対して、書面で情報開示を求める形をとり、公社理事長の立場で「公社の経営に支障があるので開示を拒否する」という回答文書を同一人物である市長あてに提出していました。

 今回、茂木英子市長が、茂木一義公社理事長に対して、タゴ事件に関する刑事記録情報の開示を3月23日付の文書で求めたことが分かりました。ところが、茂木一義・公社理事長は、上記のとおり、岡田義弘・元公社理事長と同じ理由で情報開示を拒否しました。

 この背景には、公社事件に絡んだ人脈が20年を経過した現在でも、未だに脈々と市役所内にそんざいしていることを伺わせます。

 このように、茂木新体制に替わったとはいえ、公社理事長には群馬県の幹部職員OBが新たに就任したことから、一気にタゴ51億円事件の真相解明と103年ローン解消に向けた動きに水が差されてしまいました。

 このままでは、茂木新体制のもとでも、タゴ51億事件の解決は相当厳しい状況になりそうです。3年後の平成30年(2018年)12月25日に103年ローンの新たな合意書が交わされてしまうかもしれません。
平成10年12月25日付の安中市・公社と群馬銀行との間の103年ローンの初回10年分の支払いに係る合意書
http://newmatsuida.web.fc2.com/tagojikengouisyoh101225.pdf

■子々孫々までタゴ51億事件の影響下に置かれかねないこの状況を、せめて我々の世代のうちに解消させたいものです。そのために当会は、引き続き粘り強くこの前代未聞、史上空前の異常な事件を追及してまいる所存です。

【ひらく会事務局】
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