2018/7/20  21:37

映画「ゲッペルスと私」が現代社会に語り掛けること  国内外からのトピックス

■6月16日(金)から神田神保町の岩波ホール10階で上映されている「ゲッペルスと私」と題する映画を先日鑑賞しました。テーマは第二次大戦およびそれまでに至るナチスドイツの勃興と栄枯盛衰を、かつてゲッペルスの秘書だった女性が。自ら当時の体験を独白する形式で、撮影当時103歳だった語り手の皺に満ちた表情を接写で大写しにしつつ、戦前、戦中の記録映画を交えながらおよそ2時間ちかくひたすら回顧して語り続けます。
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 これを見終わって痛感させられるのは、全体主義の恐ろしさです。意見の多様性が排除された場合、人々は思考の停止を余儀なくされ、やがてそれに慣れきってしまいます。自らの考えを述べるのをやめてしまうと、それはそれで大変楽なのかもしれません。

 全体主義は、「個人は全てを全体に従うべきだ」とする思想・政治体制で、歴史的には、ナチズムのドイツ、ファシズムのイタリア、スターリニズムのソ連、それに、天皇制ファシズムと言われる戦時中の日本が、挙げられています。

 このうち、ドイツ、イタリア、日本は第2次世界大戦による敗戦で全体主義が崩壊しましたが、連合国の一員だったソ連の全体主義は共産党の一党独裁とも相まって、戦後も継続されましたが、40年後の1985年に始まったペレストロイカにより、1991年12月にソ連が崩壊し、スターリニズムと一体だった共産主義も消滅しました。

 いちいち他人の言うことを聞いて、あれこれ考えて自分の意見を示すのは本来あまり得意ではない日本人は、他人との協調性を重んじることから、体質的に全体主義を受入れやすいところがあります。これを「充実した全体主義」と呼ぶことがあり、これは「ある集団の構成員の全員が、全体のために自発的に奉仕して、それを自然に受け入れる状態」を言います。

 外国から日本人を見ると、西欧の個人主義との対比として、「日本の個人主義は、集団の思想との対立をつねに避け、集団と闘うよりは集団に仕えることの方が多い」と感じられるようです。

 確かに戦時中の我が国においては、スローガンとして掲げられた「八紘一宇」、つまり、天下・全世界を一つの家にするという意味の言葉は、まさに国粋主義、民族主義の象徴的な形でした。それを、神格化した天皇とからめて、国民を統制し、協調性を重んじる民族性を支配者が利用し、国民をそれを支持した結果、暴走して、結局、無条件降伏に追い込まれ、それまで多くの犠牲を払って獲得した領土や領海も全部失い、国民が被った莫大な損害は何も弁済されないまま、支配者もその責任を問われないという結果になりました。

 最近の政治や社会の風潮を見るにつけ、こうした日本人の体質が、支配者に利用されているのではないかと気になるのは筆者だけではないはずです。

■この映画の予告講評を見ると次の説明があります。

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●終戦から69年の沈黙を破り、ゲッベルスの秘書が独白する。
 若きポムゼルは、第二次世界大戦中、1942 年から終戦までの3年間、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として働き、近代における最も冷酷な戦争犯罪者のそばにいた人物である。本作は彼女が終戦から69 年の沈黙を破って当時を語った貴重なドキュメントである。“ホロコーストについてはなにも知らなかった”と語るポムゼルの30 時間に及ぶ独白インタビューは、20世紀最大の戦争と全体主義の下で抑圧された人々の人生を浮き彫りにする。
●彼女のあらゆる表情と証言は、ナチスの時代を甦らせる。
 いくつもの高精度カメラは、ポムゼルの深く刻まれた顔の皺や表情だけではなく、瞳の奥に宿す記憶をも鮮明にとらえる。幼少の頃の父親の思い出、初めて出来た恋人の話、ユダヤ人の友人の面影、そして“紳士”ゲッベルスについて、103歳とは思えぬ記憶力でカメラに語りかける。“いわれたことをタイプしていただけ”と語りながらも、時折、表情を強張らせて慎重に言葉を選ぶポムゼル。それは、ハンナ・アーレントにおける“悪の凡庸さ”をふたたび想起させる。
●世界初公開のアーカイヴ映像が戦争の真実を明るみにする。
 本作品には、当時、世界各国で製作された様々なアーカイヴ映像が数多く挿入される。ナチスを滑稽に描くアメリカ軍製作のプロパガンダ映画、ヒトラーを揶揄する人々を捉えたポーランドの映像、ゲッベルスがムッソリーニとヴァカンスを楽しむプライベート映像、そして戦後、ナチスのモニュメントを破壊する人々やホロコーストの実態を記録した映像。それらは、戦争という人間の愚行はいつでも繰り返されることを語り、戦争の続く今日に警鐘を鳴らしている。

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アメリカのオリジナル映像。非ナチ化の編集前素材米軍通信部隊(ケルン1945年)
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イタリアのニュース映画。ゲッベルスのベネチア訪問(イタリア1940年)
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アメリカのオリジナル映像。解放後のエーベンゼー強制収容所米軍通信部隊(オーストリア1945年)
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■他にも次のような講評もあります。

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 ナチス宣伝大臣ゲッベルスの秘書、ブルンヒルデ・ポムゼル103歳。彼女の発言は、20世紀最大の戦争の記憶を呼び起こす。
 同作は、「ヒトラーに継ぐ演説の巧者」と言われたナチス宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスを題材にしたドキュメンタリー。かつてゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが69年の沈黙を破って応えたインタビューや、スティーヴン・スピルバーグ・フィルム&ビデオ・アーカイヴ、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館、アメリカ議会図書館、アメリカ国立公文書記録管理局、DRAドイツ・ラジオ・アーカイヴが所有しているアーカイブで構成されている。
 予告編では、第2次世界大戦で最も重要な演説の1つとされるゲッベルスの「総力戦演説」の肉声や、日常的に指の手入れをさせていたというゲッベルスの秘話、初公開となる戦時中のアーカイブ映像などが映し出されている。

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■岩波ホールでは、この映画を8月3日まで上映予定です。おそらくこの手の映画ですので、テレビ放映やDVDでの頒布などは行われないと思いますので、この機会にぜひ直接鑑賞することをお薦めします。

【ひらく会情報部】

※参考情報1「当事者のプロフィール」
【ブルンヒルデ・ポムゼル】
 1911年1月11日ベルリン生まれ。1942年から1945年までゲッベルスの秘書として働く。1945年、第二次世界大戦終戦後、ソヴィエト軍に捕らえられ1950年までの5年間、強制収容所に抑留される。1950年に解放され、1971年の定年退職までドイツ公共放送連盟ARDで働く。2017年1月27日、ミュンヘンの老人ホームで死去。享年106。
【ヨーゼフ・ゲッベルス】
 1897年10月29日生まれ。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)・国民啓蒙・宣伝大臣としてプロパガンダを管轄し、大衆をナチス支持へと扇動した。1945年5月1日、第二次世界大戦終戦間際、ヒトラーの自殺を追って、総統地下壕で家族とともに自殺する。

※参考情報2「映画講評記事」
*********朝日新聞デジタル2018年6月25日10時09分
ナチス元秘書、103歳が独白 映画「ゲッベルスと私」
 「何も知らなかった。私に罪はない」。ナチス宣伝相ゲッベルスの秘書が、103歳にして沈黙を破り独白する。オーストリアのドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」が公開される。強大な権力に対し、自分を殺し従順に生きるか、声を上げる勇気を持てるか。今日的テーマを持った作品だ。
 ブルンヒルデ・ポムゼルは敗戦までの3年間、秘書を務めた。紳士的な上司の下で指示された仕事を忠実にこなし、ユダヤ人女性の親友の窮状に接しつつもホロコーストについては何も知らなかった、と語る。
 「知ろうとせず、目をそむけた。しっかりした知性の持ち主の彼女がそうしたのは、ある種の自己防衛。戦後、『何も知らなかった』と言い続けたのも自己防衛だろう」と、共同監督の1人、フロリアン・バイゲンザマーは語る。
 反ナチ運動「白バラ」のショル兄妹の処刑について「残酷だった」とポムゼルは言いつつ、「黙っていたら彼らは生きていたのに」。そして金庫にしまった裁判記録に興味があったが、「忠誠心から見なかった」と誇る。
 映像は黒バックにモノクロ。強い照明でポムゼルの深いしわを強調した。「淡々とした彼女の言葉が語らないものを、表情が語る。歴史や歳月の重みがしわに映し出される」と共同監督のクリスティアン・クレーネス。彼女はどこまで真実を語っているのか? それは本心か? 表情を見つめているうちに「しわの迷宮」にはまり込む。
 母国を含む欧州各国で排外主義とポピュリズムが広がる。それに対する危機感が映画を作った動機だ。
 「ナチスのような独裁は今はないが、油断して、声を上げるべき時を逸してはならない」とクレーネス。「ショル兄妹が抵抗した時はもう遅かった。自由と民主主義を脅かすものに、常に敏感であるべきだ。それが歴史の教訓だ」とバイゲンザマー。
 ポムゼルは昨年1月、106歳で亡くなった。生涯独身だったという。
 大阪のシネ・リーブル梅田で30日から。京都シネマとシネ・リーブル神戸でも8月に上映予定。(小原篤)

※参考情報3「単行本の解説」
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 映画上映に合せて、紀伊国屋書店で単行本が2018年6月21日に発売されています。
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「ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白」
作者:ブルンヒルデ・ポムゼル、トーレ・ハンゼン
翻訳:森内薫、赤坂桃子
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2018-06-21
価格:2,052円
監修者解説:次のとおり
●ヒトラーの時代を考える
 ヒトラーと、その右腕ゲッベルス宣伝相が作り出した大衆的熱狂の先には、戦争と破壊、そして未曾有の大量殺戮が待ち受けていた。偏狭な自民族中心主義と極端な反ユダヤ主義、人種差別主義(レイシズム)が第二次世界大戦と結びついて、ヨーロッパを「暗黒の大陸」へと変えたのだ。戦後、世界は解放された各地の強制収容所に累々と積み上げられた犠牲者の屍に絶句し、「二度と繰り返してはならない」と誓ったのである。
 それから73年が経過した今、ドイツ、オーストリアを始め世界各地でポピュリズム、排外主義の動きが不穏な高まりを見せている。人権と民主主義を軽んじる政治的指導者が名乗りをあげるなか、あらためてヒトラーの時代を考えることには大きな意味があるだろう。ヒトラーは大衆民主主義の中で台頭し、その弱点を衝いて独裁者となった。庶民の出で、少なくとも30歳までとくに何者でもなかったヒトラーに、言いようのない空恐ろしさを感じるのは、その卑近さのせいかもしれない。私たちとさほど違わない人間が国民大衆を従え、ドイツを、そして世界を破滅の淵へ追いやったのである。
 本書は、ヒトラーの時代を知る最後の生き証人、2017年に106歳で亡くなったドイツ人女性ブルンヒルデ・ポムゼルの物語である。ポムゼルは、本書刊行と同時に公開された稀代のドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」の制作にあたり30時間に及ぶインタビューに臨んだ。その記録を編集し、ドイツの著名なジャーナリスト、トーレ・ハンゼンが長文の解説を付して出版したのが、本書の原著Ein Deutsches Leben. Was uns die Geschichte von Goebbels’ Sekretärin für die Gegenwart lehrt, Europa Verlag 2017(『あるドイツ人の一生――ゲッベルスの秘書の語りは現代に何を教えているか』)である。
 ポムゼルは、ゲッベルス宣伝相の秘書を務め、ナチ党員でもあったことから、戦後は散々非難されたのであろう。ポムゼルの語りはすべて言い訳のように読める。納得の行くところもあるが、首をかしげる箇所もある。だがその語りに真摯に向き合うことで、あの忌まわしい独裁がいかなる人びとによって支えられていたのか、私たちは推し量ることができるだろう。
●アイヒマンとポムゼル
 ポムゼルの独白を読んで、アドルフ・アイヒマン(1906〜1962)のことを思い浮かべた人も少なくないのではないだろうか。アイヒマンはヒムラー配下の親衛隊中佐で、戦時中は国家公安本部第四局B4課長として、ユダヤ人移送計画の立案と執行に深く関わった人物だ。戦後、亡命先のブエノスアイレスでイスラエルの情報機関モサドに捕らえられ、イェルサレムの裁判所で裁かれて絞首刑に処せられた。
 公判で、被告アイヒマンはナチ・ドイツによるユダヤ人の絶滅を「人類史上、最も重大な犯罪のひとつ」と認め、自らを「人道的な観点からみれば有罪だ」としながらも、「忠誠の誓いに縛られ」ており、「命令に従って義務を果たす」より他なかった。「心の底では責任があるとは感じていない」と述べた。
 そのアイヒマンに「凡庸な悪」という表現を与えたのは、哲学者のハンナ・アーレント(1906〜1975)である。悪魔のような恐ろしい人間、剥き出しの反ユダヤ主義者ではなく、ただ命令と法に従って上位に服従したというこの男の姿に、アーレントは誰もが「アイヒマン」になりうると考えた。だが公判での印象に反して、アイヒマンは首尾一貫した冷徹な反ユダヤ主義者であったことが近年の研究で明らかになっている。アイヒマンはヒトラー同様、当初から突撃隊が用いたような直接的暴力によってではなく、法律に則って粛々と「ユダヤ人問題の最終解決」、つまり「ユダヤ人なきドイツ」、ひいては「ユダヤ人なきヨーロッパ」を実現しようとした親衛隊の意思を体現していた。その意味でアイヒマンは、「凡庸」でも「陳腐」でもなく、「アーリア人種至上主義」の立場からヨーロッパの民族秩序を一変しようとしたナチ体制にとって、不可欠の存在であった。
 一方、ポムゼルは、世の中の動き、政治にまったく関心のない、むしろ身の回りの事柄にばかり意識が向かう、ごく普通の市民だった。プロイセン的な躾の厳しい家庭で育ち、頭はよかったが、長女として負わされた重荷は相当なものだった。知人のつてで憧れの国営放送局への就職が決まり、そこに10年ほど勤めた後、宣伝省大臣官房への異動を命じられた。つましい庶民の出であることを考えれば、シンデレラガールのような出世だ。
●ゲッベルスの国民啓蒙宣伝省
 宣伝省は、ヒトラー政権の誕生から二か月余りたった1933年3月、直前に起きたベルリンの国会議事堂炎上事件で世情が騒然とする中、授権法(全権委任法)案の国会での議決を目前にして新設された。同時期の国会選挙で悲願のナチ党単独過半数を果たせなかったヒトラーは、国営放送局の人事に介入し、政権に批判的なジャーナリスト、メディア関係者を追放してこの官庁をつくった。
 宣伝省が設置されて、政府宣伝のあり方は一変した。
 「宣伝の秘訣は、いかにも宣伝らしくではなく、相手にそうと気づかれないうちに宣伝にどっぷりと浸らせてしまうことだ」――宣伝相就任直後の演説(1933年3月25日)でそう述べたゲッベルスは、ヒトラーが掲げる「民族共同体」の理想を実現すべく、ナチ党が野党時代に培った宣伝技術を、国費を投じてさらに発展させて、国民大衆の精神的動員を主導した。何より重視したのがラジオと映画だが、新聞・出版メディアも駆使して幅広い政府宣伝を展開した。
 夥しい映画がゲッベルスの下で制作され、何千万もの人が映画館でそれを観た。娯楽映画が多数を占めたが、反ユダヤ主義を煽る「ユダヤ人ジュース」や、不治の患者に対する安楽死政策を正当化する「私は告発する」など、ゲッベルス肝煎りの宣伝映画には、弱者に対して憐憫の情を抱くことを戒め、「価値なき者」の抹殺を肯定する規範意識、ジェノサイド・メンタリティを育む作品が少なくなかった。ナチ体制下の国家的メガ犯罪に向けて国民の心理的・精神的障壁を取り除くことに寄与したのが、ゲッベルスの宣伝省だったと言えるだろう。
 そのような宣伝省にポムゼルは仕えた。アイヒマンのように政策立案にタッチする立場ではなく、上司の口述筆記を主な業務としたポムゼルは、巨大な行政機構を支える歯車の一つに過ぎなかった。
●ポムゼルの語り
 ポムゼルの語りは正直だ。思い違いや主観的に過ぎる話が多々あるにせよ、意図的な虚構はないだろう。大臣官房秘書の給料はよく、同僚にはよい人が多かった。すべてが快適で、居心地がよかった。職業婦人として中央官庁で働くことで自分が少しだけエリートになった気分だった、とも述べている。そして何よりも誇らしく思えたのは、上司の命令、与えられた職務を忠実に遂行し、見てはいけないものは見ない、してはいけないことはしない。その点で上司の信頼を得ていたことである。
 ポムゼルの語りには、ナチ時代を生きたドイツ人の多数派が見聞きし、感じたことがストレートに表現されている。強制収容所を、「政府に逆らった人や殴り合いの喧嘩をした人たちを矯正する」ための施設だと思っていたり、ユダヤ人の女友だちエヴァは「強制収容所にいる方が身は安全なのではないか」と考えたり、東方へ移送されたユダヤ人は、ドイツ人が移住して空になった農園などで働けると信じていたりした。
 ポムゼルは、ヒトラーについて他愛のないジョークを言っただけで逮捕され、処刑された人がいたと述べている。しかし不法国家に仕えているという自覚はなかった。ひょっとして犯罪者の下で働いているのではないかという疑念も抱かなかった。
 映画「ゲッベルスと私」には、ポムゼルの語りと語りの間にゲッベルスの意味深長な言葉とともに、当時の資料映像が数多く挟み込まれている。そこにはポムゼルの独白と真っ向から対立する世界が映し出される。それは、職務に忠実なポムゼルが見ようとも、知ろうともしなかったヒトラー時代の過酷な現実に他ならない。
●見どころ
 ナチスの主要人物ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦後長きにわたる沈黙を破って当時の様子を語るドキュメンタリー。撮影当時103歳の彼女が、全体主義に染まる第2次世界大戦下のドイツで生きた人々の姿を生々しく証言する。クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンサマーら4人が監督を務める。
●あらすじ
 若きブルンヒルデ・ポムゼルは、アドルフ・ヒトラーが信頼を寄せるヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として採用される。彼女は、第2次世界大戦中の1942年から終戦までの間、非人間的行為に手を染めてきたゲッベルスの側で、言われたことを粛々とタイプライターで打ち続けていたという。やがて戦況は悪化し、1945年にはベルリンでの戦いが始まり……。
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