2019/6/12  23:28

警察と検察の癒着・・・捜査協力者「S」の冤罪事件で証拠隠し・捏造・違法捜査テンコ盛りの実態  警察裏金問題

■警察用語で「S(エス)」と呼ばれるのが捜査協力者です。「S」は組織犯罪などの捜査に欠かせない存在で、「スパイ」あるいは「捜査協力者」の頭文字をとった通称名です。ただし、捜査協力者は「スパイ」いうより、捜査を助ける役目をしているため、警察組織内の人間ではなく、あくまで一般人として、捜査に協力してくれる人々のことを指しています。Sの必要性について、暴力団や密売グループなど組織犯罪のような場合、どうしても刑事だけでは捜査が難しい場面があるためだと言われています。しっかりとした犯罪の確証があれば、正式にその組織を取り調べることは可能ですが、捜査段階では、まずはその組織に近い人間から情報を仕入れて、犯罪に関する証拠を収集することが欠かせないためです。
 そうした「S」だった人が警察に利用された挙句、冤罪を掛けられるケースが跡を絶ちません。冤罪で人生を狂わされたひとりの「S」の方は、無罪を主張し裁判を提起したところ、今度は検察が警察に加担して証拠隠し・捏造、そして違法捜査を正当化する始末です。この事件を6月5日に東京新聞が報じたので、早速見てみましょう。
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**********東京新聞2019年6月5日
ZIP ⇒ 201906051ve.zip
【こちら特報部】
私は「S」−捜査協力者だった
「求められ白紙の調書に署名」
実名で告白の男性 国相手取り提訴

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警察への「協力」について語る盛一克雄さん=大阪市北区で
覚せい剤事件 刑事と連絡
 「私は警察の協力者だった」−。盛一(もりいち)克雄(48)は実名で告白する。協力の一つが「白紙の調書に署名、押印すること」。その調書に何か書き込まれ、捜査に使われたようだという。信じ難いが、過去には似たケースが問題になっている。盛一さんは五年前に逮捕され、有罪が確定。無実を訴えて国賠訴訟を戦う。告白は真実か、それとも…。
(榊原崇仁、佐藤直子)
 盛一さんの脳裏に焼き付いている光景がある。二〇一四年三月、 金沢市にある金沢中署の取調室。覚せい剤取締法違反(譲り渡し)の容疑者として連れてこられた。入り口に見覚えのある男性刑事。かつて「協力」した相手だった。
 「確か『アホ』とか、そんなことを言っていた」と振り返る盛一さん。「こっちは何のことか分からず逮捕された身。アイツにはめられたと思った」と語る。
 盛一さんの記憶に従えば、「アイツ」との付き合いは二十歳すぎからだった。当時、石川県加賀市の湿泉街にある風俗店で働いていた。「従業員に薬物中毒者がいて、私も手を染めてしまった」。クスリの入手先は従業員の知人男性。不思議と捜査情報に通じていた。「どこそこの店に内偵が入ったとか、誰それがもうすぐ逮捕されるとか知っていた」
 この男性が「会わせたい人がいる」と、盛一さんを地元の大聖寺署に連れて行ったという。「生活安全課の係長クラスと会った。その時は『売人になったりするなよ』と世間話をしておしまい、という感じ」
 部下とおぼしき二十代半ばの刑事と連絡先を交換し、週一回ほど連絡を取り合うようになった。それが「アイツ」だった。「最初のころは向こうから『あそこのグループと付き合うな』と教えてくれた。こっちにメリットのある情報を流して、信頼を得ようとし ていたんだと思う」
 しばらくして「協力」を求められた。「電話で署に呼び出され、取調室に入った。白紙の調書に私の氏名を署名するよう求められた。指印も押した記憶がある。頼まれた枚数は覚えていないくらい」。何のため使うのかは聞いていなかった。「警察に協力すれば覚醒剤をやっていても捕まらないと思った」とためらいはなかった。一緒に飲み食いすることもあった。「『 誰それは覚醒剤を持っているか 』という探りを入れてきた」
 盛一さんが電話に出ないと、昼夜を問わず、自宅や交際相手の女性宅へ来た。「電話に出ないのは覚醒剤をやっている時。心配でおびえがち。捕まる恐怖もある。こっちは口を割りやすく、向こうは良いタイミング。車に乗せられ、山奥で話した」
 徐々に協力はエスカレート。刑事の指示で知人に覚醒剤を買いに行かせ、「それを警察が逮捕することもあった」と振り返る。
 十年ほどが過ぎ、「警察側の求めが強引になってきたから」と距離を取るようになった。 結婚の時期も重なり、刑事と緑を切った。盛一さんは同県小松市で木材会社を始め、二人の子どもに恵まれた。そんな人生が暗転したのが、一四年三月。冒頭で触れたように逮捕されたのだ。

ZIP ⇒ 201906052v.zip
「要求エスカレート」距離置いた後に逮捕
刑事事件判決「協力の供述信用できず」

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捜査協力について書かれた盛一さんの訴状
識者「不正捜査あり得ない話ではない」
 盛一さんは二、三年ほど前、やめたはずの覚醒剤に手を出した。ただ「クスリ絡みで多くの逮捕者が出る事件があって、それをきっかけにやめた」。逮捕される数力月前のことだった。
 逮捕容疑のうち、譲り渡しは起訴されなかった。そして使用の容疑で再逮捕された。尿検査で陽性だった。「警察の捏造」と否認したが、起訴された。
 尿に覚醒剤が混ぜられたか、結果が書きかえられたか―。盛一さんは納得がいかず、公判前整理手続きで証拠を一つ―つ確認した。手続き期間は長引き、勾留は約四百日に上った。この閻、妻と離婚し、会社経営から身を引いた。一審で執行猶予付きの有罪判決。控訴審で確定した。
 その裁判の過程で、捜査の端緒になった知人女性の調書が事実と異なるほか、関係調書を検察側が隠した疑いが浮上した。盛一さんは一七年、「防御権の行使が妨げられた」などと慰謝料百万円を求める国家賠償請求訴訟を金沢地裁に起こした。判決は七日に言い渡される。
 地元にいづらくなって大阪市に移り、介護関係の仕事に就いている。「一審の願いは真相究明。再審請求も考えている。似た経験をした人がいれば力になりたい」。その一方、この事件でもう五年も争っている。穏やかな生活を送りたい思いもある」と述べた。
★石川県警「確認できず」★
 盛一さんの告白について、石川県警広報室の横田知樹補佐は「確認しようがないのでコメントできない」と述べただけだった。
 刑事事件の判決は、告白を否定している。「そもそも警察が被告人に内容虚偽の供述調書の作成を求める理由や、被告人がそれに協力する理由が判然とせず、警察の違法捜査に協力したという被告人の供述は信用できない」
 しかし、驚察事情に詳しいジャーナリストの大谷昭宏氏は「一般的にいえば、盛一さんがかつて『S(エス)(協力者)』だったのなら、あってもおかしくないトラブルと思う」と語る。
 大谷氏によると、覚醒剤と拳銃の摘発は、ほとんどが「協力者」からの情報が端緒になる。暴力団が絡み、内部に通じた人しか情報を知り得ないからだ。「警察がいきなり暴力団のところに行って、『ブツはあるか?』と聞くわけにいかないから。S から惰報がもたらされてはじめて押収できる」
 その捜査が時に一線を越えてしまう。代表格が〇二年に愛知県警で発覚した。
 大阪府で発見した拳銃を愛知県岡崎市の神社へ違法に運び、岡崎署に押収させるなどした。上司の指示で現場の警官が「神社の境内にタオルでくるんだ道具(拳銃)とマメ(実弾)がある」と情報提供していた。
 このほか拳銃押収に絡んだ違法捜査は九〇年代から二〇〇〇年代にかけ、愛媛県警、群馬県警、北海道警などで明らかになった。協力した暴力団貴に金を渡したケースもあった。
 大谷氏は「ひところの銃器の摘発数は年間一千丁だった。今は三百丁ほどに減った。所有者の分からない『首なし』は摘発として認めないという警察庁の方針が出されたので、この偽装手法は使われなくなったのだろう」と語る。
 だが、協力者に頼る捜査は変わらない。薬物では一六年に北海道警で、協力者を巻き込んだ違法捜査が発覚した。
 警官と協力者の覚醒剤密売人が、供述調書を捏造。その調書を使って裁判所から令状を取り、別の人の家を捜索した。さらに、協力者には、捜索日などの捜査情報を漏らした。大谷氏は「薬物については、協力者の名で調書をでっち上げ、摘発する手法は今も十分にありえる 」と話した。
【デスクメモ】
 熊本県警の警察官が咋年三月、捜査資料を偽造したと有罪判決を受けた。動機は「実績を上げるため」。ノルマに追われるのは警察も民間と同じ。各地の「協力者」を使った捜査からも同じにおいがする。そんな事情があるから、名前と顔を出した盛一さんの話を無視できなかった。(裕)
2019・6・5
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■この記事の中で、「拳銃押収に絡む違法捜査が1990年代から2000年代にかけて群馬県警で行われていたことが明らかになった」との記載があります。

 このことについて群馬県警に長年奉職しその内部事情に精通し、また、県警の裏金づくりの実態を現職警察官として告発した結果、報復として冤罪を掛けられ、この事件と同じく冤罪を晴らすため提訴したところ、警察と検察と裁判所によるデタラメ裁判の被害に遭った経験を持つ当会副代表から次の説明がありましたのでご紹介します。

 当会副代表によれば、当時、「首無し拳銃押収(押収数のノルマ)」競争が都道府県単位で行われており、群馬県警でも大失態事件がバレたということです。

■群馬県警の事例は「前橋警察署の扱い」で、「長野県かどこかの神社の鳥居の根っこ」に拳銃を隠させて、「これを押収した事件(?)」だったというものです。

 上記の東京新聞記事にも、愛媛県警・群馬県警・道警の名前が挙げられていますが、群馬県警では当時現職の警察官3人が責任を取らされました。このうち、警部補が依願退職することで最悪の責任を取り、残り2人は残ったと思われます。

 確かな事実は、「阿久沢」という当時巡査部長だったと思われますが、この人物だけが「追従しただけ」という理由で比較的軽微な処分で県警に残りました。そして「阿久沢」の名前を隠すために、「女房の名前」から苗字を名乗り(副代表によれば、残念ながらその苗字を記憶から呼び覚ませない、とのこと)、その新しい苗字を変えてもなお、それでも刑事課に所属していたとのことです。

 当会の副代表によれば、「自分より2年くらい後輩だった」ことから、今から2年くらい前に退職していると思われます。最後の勤務地は「藤岡警察署」だったようで、昼の12時前に、公用車で藤岡のうどん屋に入っていくのを副代表も目撃しています。

 また、この「阿久沢」の兄も警察官で、副代表の1年先輩として、警察学校で教官をしていたことがあり、当時、副代表と一緒に組んで仕事をしていたそうです。

 このように東京新聞で報じられた今回の警察の違法捜査の実態と、その背後で行われている捜査協力者の使い捨ては、群馬県警はもとより、どうやら全国各地でいまだに日常的に行われていることが窺えます。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
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