元文科省幹部・佐野太による受託収賄裏口入学事件…10月19日第5回刑事公判傍聴記  【出張!オンブズマン】長野高専の闇

○10月5日の第4回公判傍聴記(前回記事)はこちら
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10月19日9時半ごろ、厚く垂れ込める雲の下に立つ東京高等地方簡易裁判所合同庁舎

■ようやく当会担当者による傍聴が実現した10月5日の第4回公判に引き続き、次は10月19日に第5回公判が開かれることがわかりました。ちょうど関係者による都合が付いたため、これも引き続いて傍聴に向かうことにしました。


 起床し身支度を済ませて出発した後、東京地裁最寄りの地下鉄駅に着きました。出入り口から外に出ると、ちょうど日比谷公園の脇でした。案内板を見ると、そこから東京地裁の正門まではちょうど一区画分離れているようでした。

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日比谷公園脇の霞が関エリアの案内板。東京地裁はもちろん、名だたる官公庁が目白押し

 天気予報では昼から雨模様になることが確実となっている重い曇天の下を歩き、9時半少し前に東京地裁の正門前に着きました。正門前には、いつもの不当判決への抗議者と抗議看板が立っていました。それに並んで、パトカーが数台停車し、歩道に警官が塊になってたむろしているのが目を引きました。

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■一度正門の中に入って、傍聴整理券配布場所の張り紙を見ると、先ほどの物々しい警備態勢の理由がすぐにわかりました。今をときめく河井案里議員の公判が、佐野太の公判に30分ほど先だって始まろうとしていたのでした。前回も、河井議員の公判と佐野太の公判は同日に行われていたので、裁判所として警備や報道対応を集約させるためなのか、ビッグな汚職公判イベントの日程をあえて被せているようすがうかがえました。

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【傍聴券交付所】
開廷日時 10月19日 午前10時00分
法廷 102号法廷(1階)
事件名 公選法違反
被告人 河井案里
傍聴券 26枚 橙色
担当 東京地裁刑事第4部

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 張り紙を書き写していると、河井議員の公判傍聴抽選に当選したであろうかたがたがゾロゾロと筆者の後ろを通り、裁判所内へと入っていきました。すぐさま傍聴券配布所の裁判所職員が動き始め、河井議員の公判情報と撮影禁止の旨が貼られた看板を横にどかし、佐野太ら4名の公判情報が貼られた看板が出てきました。ちなみに裁判所の建物内だけでなく、構内すべてが撮影禁止になっているので、正門の中に踏み入った瞬間からカメラを封印して万事メモをせねばなりません。

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【傍聴券交付所】
開廷日時 10月19日 午前10時30分
法廷 104号法廷(1階)
事件名 受託収賄,贈賄,受託収賄幇助
被告人 佐野太,臼井正彦,鈴木衞,谷口浩司
傍聴券 28枚 青色
担当 東京地裁刑事第16部

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■特に傍聴希望者が来ている風情でもなかったので、いったん正門から外に出ると、警官とパトカーは消えていました。ふとヘリコプターの轟音がして、見上げると、桜田通りを隔てた向かいにある中央合同庁舎第2号館の屋上に、ヘリが降り立っていくところでした。

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総務省や警察庁、国家公安委員会などが入る中央合同庁舎第2号館へと轟音を上げながら降り立っていくヘリコプター

 再度傍聴整理券の配布所に戻り、職員から「No.01002」の番号券を受け取って、待機場所に並びました。先ほどのヘリに気を取られている間に、フリーの記者と思しき雰囲気の茶色のジャケットを着た女性が一番乗りしており、しゃがんだ格好で膝の上のノートPCのキーボードを打っていました。その後、数分ごとに数名ずつがやってきては、傍聴整理券を貰って待機場所に加わってきましたが、増え方は緩慢でした。結局、ラスト3分で2、3人が来たのを最後に、10時ちょうどで傍聴整理券の配布が締め切られました。その時点で待機場所にいたのは24、5名程度で、28枚の傍聴券に対して定員割れを起こしており、抽選不実施は明らかでした。その場にいた傍聴希望者をざっと見回すと、カジュアルな恰好で一般人と思しき方が多く、近隣官公庁による職員の傍聴派遣が落ち着いたことがうかがえました。

 「みなさん傍聴できることになります。お荷物を法廷前で預かりますので、スマートホン等電子機器類は電源を切ってカバン等に入れてください」と裁判所職員がアナウンスし、次々に青色の傍聴券が手渡されました。そのまま自動ドアを抜けて、アルコール消毒液を手に揉み込んだあと、空港の保安検査場を彷彿とさせる入口の手荷物検査と門型金属探知機を抜け、裁判所庁舎内に入りました。

 そして104号法廷前まで歩き、手荷物預かりの列に並びました。その間にバッジを付けた弁護士の集団がスーツケースの車輪の音を響かせながらやってきて、筆者らの脇を抜け、廷内へと次々入っていきました。番号札と引き換えに手荷物のカバンを預けて、手持ち式の金属探知機によるボディチェックを抜け、104号法廷前にある木の長椅子に座りました。長椅子の向かいにある壁の開廷表には、周知である事件番号・担当部署・被告人4名の氏名のほか、本件を担当する西野吾一裁判長と飯野喜久夫書記官の氏名が記されていました。

■長椅子に座っていると、腕章を付けた裁判所職員の先導で、やや長身で眼鏡をかけた白髪の男性がやってきました。マスクを付けてこそいましたが、ニュースで散々見慣れた顔と背格好そのままなので、佐野太に間違いありません。佐野は、筆者の目の前を通り過ぎ、制服を着た裁判所係官数名を後に続けて、奥に入っていきました。

 開廷の10分ほど前になり、「傍聴者の皆様、座っているかたから廷内にお入りください」と声が掛けられました。青色の傍聴券を職員の持つ箱に入れ、104号法廷内に入り、傍聴席に座りました。傍聴席のうち、裁判長に向かっていちばん左側の3列シートの前3列は、「報道記者席」として背もたれに白いカバーがかけられていました。その報道記者席には、報道関係者が5人ほど座っていました。第4回公判とは違い、報道用の写真撮影などもなく、今回公判の話題性・重要性はさほどでもないのだと察しました。

 傍聴席を見回すと、傍聴券待機には25人近く集まっていたのに、なぜか筆者を含めて11人しか一般の傍聴者がいませんでした。法廷はシンと静まり返っていました。

■柵の向こう側に目をやると、裁判長に向かって左側(検察官席)に検察官2名が、右側(被告人・弁護人席)には被告人とその弁護士が勢ぞろいで座っていましたが、肝心の佐野太本人が見えませんでした。どうやら開廷直前まで控え室かどこかに詰めているようです。開廷1分前の10時29分になって佐野太が入廷し、裁判官の方と傍聴席の方に続けて一礼しながら、被告人席に座りました。

 被告人・弁護人席は、机を使う最前列席に4人が座っており、その傍聴席から一番奥の席に佐野太が座りました。佐野太の隣には弁護士らが座っており、佐野側から順にナガシマ弁護士、透明なフェイスシールドを付けた老人(氏名不詳)、下田弁護士でした。2列目以降にも被告人と弁護士がズラリ座っていました。その並び方は、初公判や第2回公判でのテレビ報道における開廷前撮影や法廷絵のとおりでした。2列目のいちばん傍聴席側(下田弁護士のすぐ後ろ)に座っていた、赤ネクタイに赤いポケットチーフの壮健そうな老人の男性が目を引きました。

■開廷時刻である10時半になり、裁判長が静寂を破って開廷を宣言しました。その日は前回とはまた別の証人の尋問を行うようでした。法廷に召喚されてきたのは、文部科学省職員の一色潤貴氏でした。

 一色証人が中央の証言台に座ると、西野裁判長が、「コロナ対策でマスクは着用したままで構わないものの、声がこもりすぎるようなら取外しを命ずる可能性がある」という旨を最初に伝えました。一色証人が証言に嘘偽りない旨の宣誓を読み上げると、裁判長は「虚偽があれば偽証罪になります」と念押しをしました。

 傍聴席から見て奥側の、短髪で眼鏡をかけた検察官が立ち上がり、「検察官の加藤です」と言って、検察による主尋問を始めました。まず証人である一色氏の簡単な経歴確認として、おおむね「証人は、平成18年に文部科学省に入省し……、平成28年から翌年にかけ同省の高等教育局私学部私学助成課の課長補佐として勤務し……、そののち地方自治体(帰宅後に筆者が調べた所によると福岡県)に異動し……、今年度からまた文部科学省に復帰している。間違いありませんね」といったことを読み上げました。一色証人は「間違いありません」と認めました。今回の事件との接点は、私学助成課の課長補佐であった当時、佐野太からの電話を受けたことに始まるようです。

○参考:一色証人が文部科学省高等教育局私学部私学助成課課長補佐であった当時のインタビュー記事
「私学助成における大学と高等学校への支援とは」(CHIeru WEBマガジン、2017年8月16日)
http://www.chieru-magazine.net/magazine/2017-high-magazine/entry-19574.html

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第5回公判の証人として召喚された一色潤貴氏。上記インタビュー記事より

■加藤検察官が「証人は(被告人らの受託収賄が行われたとみられるH29年)当時、私立大学研究ブランディング事業に関与していましたね」と言うと、一色証人は「はい」と答えました。

 まずは、私立大学研究ブランディング事業の実施に関する一般的な事項の確認から始まりました。多くは加藤検察官が事実を読み上げ、一色証人が一言「はい」とだけ答えて次に進む形でしたが、しばしば一色証人が端的に説明を行いました。

 同事業は私学助成課の中でも助成第二係の担当であるとのこと。応募の流れとしては、応募校から調査回答票と事業計画書の二つの書類を提出してもらい、外部の有識者等からなる委員会において選考する流れとのこと。選考は大まかに二段階に分かれており、提出書類等をもとに「審査委員会」が点数を付けて、「事業委員会」に回し、そこで決定するとのこと。審査委員会が点数を付けた段階でいわゆる「足切り」を行うことがあり、基準は40点未満で、H28に1校、H29に2校について行われたとのこと。

■このあたりの説明と確認が済み、加藤検察官が「事業計画書についてですが……」と喋り始めた瞬間、いきなり、佐野被告人の隣のナガシマ弁護士が「先ほどから誘導尋問が続いています」と声を張り上げながらスックと立ち上がりました。加藤検察官は「争いのない事実の確認をしているだけです」と顔色ひとつ変えず説明し、裁判長は異議を却下しました。

 話が事業部会委員の構成に移り、私立大学の運営・専門分野・専門分野の整備状況に知見を有する者に委員を依頼している……と一色証人が説明し終わったところで、またすぐに、今度は一番傍聴席側に座る下田弁護士が「同意済みの書証とかけ離れています」と異議を発しながら立ち上がりました。裁判長はこの異議も却下しました。

 私立大学研究ブランディング事業の運用についてのごく一般的な話が、被告人の不利に働くとは到底思われません。どうも弁護人側としては、とりあえず話の腰を折って、検察側のペースを乱そうとしているようでした。

■次に話は各委員会の内容に移りました。まず審査部会委員(ペーパーレフェリー)については、任期が2年で名簿は非公表、応募校にどの委員を割り振るかは番号順で機械的に決めているとのこと。そこまで説明が終わったところで、検察と弁護側双方から、「証人はもう少し声を大きくしていただけませんか」と要請が飛びました。一色証人は続けて、H29から理工系は2人の委員を、人文系は審査対象校が多いこともあり1人の委員を割り振っていると説明しました。

 そこで加藤検察官は「では、甲72の資料4-2の22〜24頁をご覧ください」と裁判官・弁護人側に声をかけました。それは三分野にわかれた審査部会委員の割当一覧表で、その一覧表を見ればすぐに、東京医大についても誰が担当委員かわかるようでした。続く一色証人の説明によれば、私立大学研究ブランディング事業の応募枠は、タイプAとBに分かれており、タイプAは、学生数八千人以上であったり、三大都市圏に所在するような大学は応募不可とのこと。

 そして、事業委員会以降のプロセスに話が移りました。事業委員は審査委員同様の有識者で構成されており、審査委員会から採点結果を伝えられて選考するとのこと。その際、審査委員会からは素点でなく偏差値で伝えることになっており、理由は審査委員間でのばらつきを避けるためとのこと。審査委員会ないし審査部会委員は、審査対象校を第1候補から第3候補までの3段階に分けた審査をして事業委員会に伝えるが、第2、第3候補であっても、事業委員会の裁量で選定することができ、その際は各校について事業部会委員による投票をして決めるとのこと。

 東京医大はどうだったかというと、当然タイプBで応募しており、H28年度は選定に落ちたものの、(佐野太による関与が疑われる)H29年度は第2次候補の状態から投票対象になり、晴れて選定されたとのこと。

 そこでまた、加藤検察官が「甲72の資料3をご覧ください」と廷内に声をかけました。それはかかる投票結果の一覧表で、タイプA・Bの別なく記載されており、東京医大は委員10人中7人が票を入れたとのこと。一覧表にはボーダーラインの記載があり、一覧表には74校、ボーダーライン以上には36校とのこと。

■ここまでは私立大学研究ブランディング事業の実施要項に関する一般的な説明でしたが、いよいよ加藤検察官が本題(当時、佐野太から私学助成課に接触があったこと)に入りました。やり取りは大まかに以下のとおりです。

加藤検察官:H29年度、当時の佐野官房長から私学助成課に対し、同事業について電話がかかってきたことがありますね。
一色証人:はい。
加藤検察官:それはいつ頃でしたか。
一色証人:募集を開始してから公募を締め切る前、H29年の4月下旬から5月頃であったと記憶しています。
加藤検察官:電話はどのような内容でしたか。
一色証人:事業の選定プロセスを含め質問がありました。
加藤検察官:その電話は、誰にかかってきましたか。
一色証人:最初、私学助成課の課長にかかってきましたが、当時不在でしたので、補佐である私が担当しました。
加藤検察官:なぜ、電話の主が当時の佐野官房長だとわかりましたか。
一色証人:その時期、いわゆる再就職斡旋が問題になり、大臣答弁など関わる機会が多かったことから声を覚えていたためです。
加藤検察官:当時の佐野官房長の電話に対し、どのようなことを話しましたか。
一色証人:事業の概要や趣旨、先ほどお話ししたように枠としてタイプA・Bがあり外部有識委員において審査選定することなど、一般的な説明をいたしました。

 次に、加藤検察官が「電話があったことやその内容をどうして覚えていましたか」と聞くと、またナガシマ弁護士が「誘導尋問です」と異議を挟みながら立ち上がりました。加藤検察官は「では質問を変えます。電話を受けて、当時の佐野官房長への説明のためどうしましたか」と言いました。一色証人は、「電話の際にも事業の趣旨や時期等をご説明しましたが、電話後改めて、事業の仕組みを説明した一枚絵、いわゆるポンチ絵などの資料を用意しました」と答えました。

■加藤検察官が「なぜ当時の佐野官房長はそのような電話をかけてきたのだと思いましたか」と聞くと、ナガシマ弁護士はまた立ち上がって異議を挟みました。裁判長が陪席の裁判官とヒソヒソなにか話し合い、「異議を却下します」と言いました。一色証人は、広い範囲に関わる官房長の業務性質上、なにかの必要が生じたのだろうと、特に疑問に思わなかった旨の説明をしました。

 加藤検察官が「何を用意しましたか」と聞くと、「先ほどお話ししたポンチ絵のほか、事業の狙い、スケジュール、公募通知資料一式、また事業選定校の事業計画書です」と答えました。「用意したその資料はどのように当時の佐野官房長に渡しましたか」と聞くと、一色証人は「メールで送ったと思いますが、紙でも渡したかは記憶しておりません」と答えました。

 加藤検察官から、資料を渡した方法について更に詳しく突っ込まれると、「公表資料ばかりなこともあり、メールでは掲載URLをお送りしたと思います。当時、私学助成課第二係の係長から、『資料が膨大なこともあり紙で送ったほうがよいのでは』と進言があったことは覚えておりますが、係長との話し合いがどう決着したかは明確な記憶が無く、また係長の方で別途に資料を手渡しにいったかは定かでありません」と答えました。ナガシマ弁護士はそこに食いつき、「検察は証人の経験していない事実について聞こうとしています」と異議を挟みましたが、却下されました。

 紙での手渡しにこだわった係長と意見が合致しなかった理由として、旧文部省出身者は礼儀にこだわり資料の手渡しと対面での説明を求める傾向が強いのに対し、旧科技庁出身者は理系出身が多く合理性と迅速さを求める傾向が強いという内部文化的な背景を説明し、佐野太は旧科技庁出身なことからメールが良いと考えた、としました。加藤検察官が「係長というのは、第二係の係長ですか」と聞くと、一色証人は「そうです」と答えました。

■そこで検察による証人尋問が終わり、午前の部が終了しました。時刻にして11時半頃でした。近くで昼食をとっていると、正午頃から事前の予報どおりパラパラと雨が降ってきました。傘をさして13時頃に裁判所に戻ると、雨に降られたせいか、正門前の抗議立て看板は引き上げていました。

 鍵付きの傘入れに傘を入れ、1階中央のエレベーターホールに出ると、ちょうど佐野太が弁護士や裁判所職員らと一緒にホールを横切って104号法廷の方に歩いていくところでした。腕時計を見ると13時12分頃でした。

 ここで、佐野太を実際に間近で見た筆者の印象としては、前代未聞の破廉恥事件の被告人だという先入観を一切排除すれば、まさに洗練された初老のエリート紳士といった風情でした。歩く姿は真っ直ぐで、元からの痩せた長身も相まって堂々としていました。髪や服装もナチュラルに整っていて清潔感を出していました。スーツも身体にピッタリ合っており、袖口からシャツが少し覗いている理想的な丈で、仕立て服を着こなしていることがうかがえました。

 筆者がまた手荷物を預けてボディチェックを抜け、傍聴席に入ると、報道席の記者は3人に減っており、傍聴人は13人になっていました。13時28分頃、佐野太が入廷してきて、午前の時と同じく裁判官席と傍聴席に向けてそれぞれ一礼しながら着席しました。その所作も丁寧で、洗練されていました。ちなみに佐野太は、午前午後の尋問を通じて、机の隣の弁護人らと一緒になってメモを取り続けていました。

■13時半になり、裁判長が午後の開廷を宣言しました。午後は弁護人側による証人尋問でした。

 まずは佐野太お付きの弁護士であるナガシマ弁護士が口火を切りました。「当時の佐野官房長から私学助成課の課長に電話があった当時、証人と課長席の距離はどれくらいでしたか」と聞かれると、一色証人は「2〜3mくらいだったと思います」と答えました。「では、証人は課長席の電話を取りに行って応対したということですか」と聞かれると、「そうではなく、課長の不在が明らかだったので、ボタンを押して自席の電話に回しました」と答えました。

 続いて一色証人は、佐野に資料を渡した当時のことについて詳しく聞かれると、「資料一式は基本的に文科省のサーバーにあるもので、事業計画書もURLがあり、とにかく自分としては紙で渡したという明確な記憶はない」と答えました。一色証人がより正確な表現として言い直したところによれば、「メールで送っているから重ねて紙で送る必要はないと考えるのが妥当。当時、係長との話し合いを経て、課長補佐である自分から部下である係長にどのように指示したか、記憶にない」とのこと。

 そこでナガシマ弁護士が、「2018年当時の検察の取調べ調書によれば、証人は『ホリノウチ係長(くだんの第二係係長(当時)のこと)に自ら指示したことはなかったと思います』と明確に否定していますが」と若干の食い違いを指摘しました。一色証人は、「取り調べ当時はそう思っていたのかもしれませんが、現時点では明確な記憶がないというのが正直なところです」と答えました。

■ナガシマ弁護士は、そこから一気に畳みかけに入りました。

ナガシマ弁護士:佐野被告人から当時、私立大学研究ブランディング事業の選考業務実施にあたり働きかけを受けましたか。
一色証人:そうした働きかけはありませんでした。
ナガシマ弁護士:事業委員会のメンバーや進捗等の内部情報を教えてくれと頼まれましたか。
一色証人:事業委員会のそうした内容を教えてくれと言われたことはありません。
ナガシマ弁護士:東京医大の関係で何かしらの便宜を図るよう言われたことはありますか。
一色証人:東京医大の関係で便宜を図るよう言われたことはありません。
ナガシマ弁護士:(大まかな要望ではなく)具体的にどの文書が欲しいといったことを指定されましたか。
一色証人:採択例については聞かれましたが、具体的にどの文書がほしいとは言われていません。

 ナガシマ弁護士は、佐野太にとって特段に不利な情報がないのを確認して満足したのか、「もう結構です。私からは以上です」と締めくくり、席に着きました。

■次に、下田弁護士からの尋問が始まりました。大まかなやり取りは以下のとおりです。

下田弁護士:佐野被告人から受けた電話はどれくらいの長さでしたか。
一色証人:5分くらいだったと思います。
下田弁護士:証人はその電話を受けた時、佐野被告人が私立大学研究ブランディング事業のことについてどれほど知っていると感じましたか。
一色証人:事業の趣旨から説明しなければならなかったので、私立大学研究ブランディング事業についてはほぼまったく知識がないのでは、と当時感じたと思います。
下田弁護士:佐野被告人の逮捕後、この件について、当時のホリノウチ係長と何か話し合いましたか。
一色証人:特段、本件について当時の係長と話し合ったことはありません。
下田弁護士:資料をメールで送ったといいますが、それはよくあることなのですか。
一色証人:先ほども申し上げたとおり、省内文化というものもあり、メールで資料を送るのは一般的というほどではありません。たまたま当時の佐野官房長が旧科技庁出身だったのでメールを選択しました。

■次に、下田弁護士のすぐ後ろにいた赤ネクタイに赤いポケットチーフの壮健そうな老人の男性が立ち上がり、一言自己紹介して尋問に入りました。突然だったので、その名前と、誰の担当弁護士なのかをついメモに取りそびれてしまいました。

 赤ネクタイの弁護士は、佐野の電話の件のみならず、私大研究ブランディング事業の沿革や文科省の風土といった周辺事項に関してもどうやら興味があるようでした。

 赤ネクタイの弁護士からタイプAの制約の件について聞かれると、一色証人は「先ほどもご説明したとおり」と前置きしたうえで、そうした縛りが無い場合、規模や立地の面でアドバンテージのあるような「力のある」私大がどうしても有利になってしまうため、タイプAでは在学者数や所在地による区別をしている旨を改めて説明しました。

 次に私大研究ブランディング事業の前身について聞かれると、前身となる事業はあったと思うがその名前は承知していないと答えました。赤ネクタイの弁護士が「では、その前身となる事業で何かしらの問題意識があり、結果そのような制約が設けられたということでしょうかね」と聞くと、一色証人は「そうかもしれません」と答えました。筆者としては、赤ネクタイの弁護士がこの質問でいったい何を明らかにしたいのか、よく分かりませんでした。

■次に佐野への資料受け渡しについて話が移り、一色証人は「記憶では、メールで証人が直接渡したと思いますが、係長から何かしら紙で直接渡した可能性はあります」と改めて説明しました。大まかなやり取りは以下のとおりです。

赤ネクタイの弁護士:証人が佐野被告人に送ったというメールの件についてですが、検察の取り調べ時に、証拠としてそのメールを示されたのですか。
一色証人:検察官から取り調べ時にメールを示されたことはありません。
赤ネクタイの弁護士:取り調べを受け、メールというのが本当にあったのか、証人として確認しましたか。
一色証人:取り調べ時にはすでに地方自治体に異動しており、文科省でのメールを確認する権限を失っておりましたので、できませんでした。
赤ネクタイの弁護士:それでは、「メール」が本当にあるのか、取り調べ時に検察から確認されませんでしたか。
一色証人:されました。

(筆者はこのやり取りを聞き、「電子メールといえど公文書の一種として保存されているはずであり、仮に特に理由なく削除されたなら問題なのに、メールの実物の存在にはちっとも言及されない一連の尋問はどうにもおかしい」と感じましたが、検察も弁護人側も、なぜかその点について気にしているようすはなさそうでした)

 その後、赤ネクタイの弁護士の質問はまた脇道に逸れ、午前中の尋問で言及された旧文部省系と旧科技庁系の文化の違いについて確認しました。一色証人は改めて同様の説明をし、「そうした文化、というか傾向は、本当にあるものと認識しております」と回答しました。赤ネクタイの弁護士は、そこまで聞いて着席しました。

■次に、タカオカ弁護士(担当被告人はメモを取りそびれて不詳)が立ち上がり、一色証人が私大研究ブランディング事業を説明したインタビュー記事が掲載されているリーフレットが公表されている事実に言及しました。帰ってからその記事を確認すると、確かに趣旨や予算額、応募枠、配点区分や事業選定校などといった情報が全部掲載されていました。

○参考:「INTERVIEW 私立大学研究ブランディング事業が目指すものとは」(リクルート『カレッジマネジメント』Vol.209(2018/3-4)、pp.44-48)
http://souken.shingakunet.com/college_m/2018_RCM209_44.pdf

 タカオカ弁護士がこの掲載事実に触れた理由はわかりませんでした。佐野太に送られた情報が公開情報ばかりであることを強調したかったのかもしれませんし、あるいは一色証人が同事業の広報担当者として名の知れていたことを指摘したかったのかもしれません。筆者としては、ここまでバンバン広報されているような情報について、なぜわざわざ法廷で時間を使って一からプレゼンし、検察や弁護人と長々質疑応答しているのか、わからなくなりました。

 そしてタカオカ弁護士が、くだんの佐野からの電話質問について「部局違いの幹部からそうした質問があったら、答えるのが普通なのか」と聞くと、「官房長から直々に問い合わせがあれば、それは対応するのが普通であると認識しております」と答えました。

 次に、タカオカ弁護士が「結局のところ証人は、(部外秘として)教えてはいけないような内部情報まで教えたわけではありませんよね」と聞くと、「はい。教えてはいけないことまで教えたわけではありません」と答え、あくまで一般的な公開情報を伝えただけであることを強調しました。

■次に、谷口被告人の担当である山内弁護士が立ち上がりました。山内弁護士が、「先ほど話題に上がった、紙で送るかメールで送るかという係長とのやり取りのことについて、検察の取り調べ時に聞かれましたか」と聞くと、一色証人は「聞かれたと思います」と答えました。山内弁護士が「しかし、検察の調書にはそのやり取りに関する記載はありませんね」と指摘すると、「言ったことが全て書き写されているかは気にしておらず、検察に調書を示された際に、そこで書かれている内容には誤った記載がなかったので、これで間違いないと調書にサインしたものと認識しております」と釈明しました。ここに関して、一色証人は「係長に対応を指示した明確な記憶はありません」と改めて説明しました。

 すると、入れ替わりにまたナガシマ弁護士が立ち上がり、検察の調書では「自ら指示したことはなかったと思う」とされていることとの矛盾を再度指摘しました。一色証人は「先ほど説明したとおり」と前置きして、同じ説明を繰り返しました。

 ナガシマ弁護士から「メールに添付したデータの出所を覚えているか」と聞かれると、一色証人は「データの出所については、正確には覚えていない」と言いました。次に、「メールに添付したファイルはバラで送ったのか、それともまとめて送ったのか」と聞かれると、「あくまで証人の推測として、PDFならまとめて一括で送ったものと認識している」と答えました。

■そこで弁護人による尋問は終わり、再度、加藤検察官による補足的な尋問が始まりました。

 加藤検察官は、少し前にタカオカ弁護士が言及した「一色証人が私大研究ブランディング事業を説明したリーフレット」である「カレッジマネジメント」に触れ、「これは業界内ではよく知られたものなのですか」と聞きました。一色証人は、「大学経営者や幹部、また行政担当者など、業界内では有名なものであると認識しております」と説明しました。あわせて加藤検察官は、「H30年7月に行われた検察の取り調べによる調書は、供述したことのうちでも限定的な内容が記載されたものですか」と確認し、一色証人は「限定的なものであると認識しております」と説明しました。そこで検察の尋問も終わりました。

■すると、先ほどの赤ネクタイの弁護士がまた立ち上がり、「最後にもう少しだけ質問よろしいですか」と聞きました。裁判長は「えーと、まずそのご質問の趣旨をお聞きしてよろしいですか」と聞き返しました。赤ネクタイの弁護士は「その、メールで送信したものの特定に関することです」と返しました。裁判長は最後に質問することを許可しました。

 赤ネクタイの弁護士は、「佐野被告人に資料を送ったというそのメールにおいて、具体的に何を送ったのかというのは、正確には特定されていないということですか」と聞きました。一色証人は、「正確に何を送ったのかについては、『だろう』ということです」と言いました。筆者はそれを聞いて、やはり焦点の「メール」の現物がなぜか残されていないことを確信しました。

 それを最後に、裁判長が証人尋問の終了を宣言し、「お疲れさまでした。気を付けてお帰り下さい」と声を掛けて、一色証人が退廷しました。

 裁判長は、次の2回の公判については従前のとおりであることを確認し、新しく12/11(金) 10:00〜に公判期日を設定しました。そうして14時13分に閉廷し、一同立ち上がって裁判官らに礼をしました。こうして第5回公判は終わりました。

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我が国中枢・千代田界隈の憩いの場、日比谷公園。東京地裁で扱う有名事件で公判傍聴希望者の殺到が予想される場合、傍聴席の抽選はここで実施されることも

■第5回公判を傍聴した筆者の感想としては、特にそれほど事件の核心に迫るものではありませんでした。私立大学研究ブランディング事業の実施過程についての説明は、ほとんどの情報がインターネットで調べればそのまま出てくるような公開情報でした。しかし逆に考えると、調べれば一般人でもすぐに入手できるような「公開情報」のために、佐野太はなぜわざわざ省内担当部署に電話を掛けて資料を用意させたのでしょう。そう捉えると、やはりなにかが隠されているような不自然さを感じなくもありません。

 また、佐野被告人らの悪事に関わる事実関係の面でも、一色証人によってわかるのは、佐野が当時なぜか同事業について担当部署に電話を寄こしてきた不思議な経緯があったという事実のみでした。佐野太と東京医大の間で受託収賄があったことの事実関係は、また別に固められていく必要があります。

 第4回公判で呼ばれていたのは、H29の選定校決定前の夏に私学助成課課長になったノンキャリの星である丸山洋司氏で、第5回公判では同年春の公募実施中に同課課長補佐であった一色潤貴氏でした。そうなると当然、より深く事情を知っている可能性があるのは、H29春に同課課長であった淵上孝氏です。丸山氏は淵上氏の後釜であり、一色氏が受け取ったという電話は当初淵上氏にかかってきていました。そう考えても、「私立大学研究ブランディング事業」を利用した今回の汚職について、淵上氏が文科省内のキーパーソンであることに間違いはありません。

 淵上孝氏といえば、2018年3月、自民党の赤池議員らに使われて、名古屋市教委に対し前川喜平の講演の経緯や内容の報告、招いたことへの見解説明などを要求したことで、国による地方教育現場への不当な干渉をおこなったとして問題にされた人物です。しかも淵上氏は、当初政治家がバックにいることを隠し、文科省の独自判断だとしていました。

○参考:「文科省「異例の要請」が物議 教育の独立揺るがす恐れ」(日経、2018/3/22)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28410170S8A320C1CC1000/

 すると淵上氏は、政治家に気に入られた「優秀」な官僚として、キャリアを歩んでいることがうかがえます。そうした事情が本件にどれほど絡んでいるのかは定かではありませんが、仮に氏が事件に何かしら関与していても、追及を免れている可能性が指摘されます。淵上氏がすでに第3回公判で呼ばれたのか、それとも今後の公判で呼ばれることになるのか、それとも証人として呼ばれずじまいになるのかは不明です。
(各回公判での証人の名前については、裁判内でも明かされているので、電話での問い合わせでも確認できる可能性があり、今後担当者に余裕があれば確認を試みる所存です)

■また話は変わりますが、公判中、全国を騒然とさせた重大事件の主犯というインパクトになかなか結びつかない佐野の洗練された外見と立ち振る舞いを目の当たりにして、ふと佐野の生い立ちに思いを巡らせました。

 山梨県に生まれて地元の公立高校を出たのち上京し、少数の早稲田閥ながら、文科省の最高級幹部まで登り詰めた佐野は、ある意味、自力で身を立ててきた人物としての側面もあります。逮捕直後の報道記事による同省職員へのインタビューでは、「淡々と実務をこなす有能な役人」「寡黙な面もあるが仕事はスマートにこなす」といった評判でした。出世欲こそ強かったようですが、やたら横柄で高圧的だったとか公私混同が多かったとかの人格的な不評は見られませんでした。佐野太の近隣住民も、週刊誌の取材に対して、「感じのいい人で素敵な夫婦」と評していました。

 すると佐野太本人自体は、腹黒い本性を秘めていたにしても、その優秀な能力について疑いようはなく、また対外的にも、人格面で疑われるような言動はしていなかったことがうかがえます。すなわち単体であれば、表面上は文句なしに有能であり、人格的な破綻もみられないエリートであって、「ボロ」を出すことも恐らくなかったでしょう。

 ところが佐野太は周りの「身内」に恵まれず、有り得ないほどに底抜けの大馬鹿揃いで囲まれていました。唯一の同学同期であった横浜出身ボンボンの石原祐志は言わずと知れた無能の中の無能であり、一方でセレブ私立の成蹊高校にまで通わせて大事に育てたバカ息子は、センター試験直前のセブ島旅行をTwitterで自慢する文字通りの愚息でした。

 そして、そんな常識外れのパッパラパーである身内の面倒を見て、公私混同で色々と手配してやるのが佐野太という男であり、その人生の一面だったのでしょう。恐らくは、身内が一人救われるなら、他人がいくら犠牲になっても知ったこっちゃないと考えながら、常習的にそうしたことに手を染めていたのでしょう。そして結果的には、その性が命取りになってしまったというわけです。

■そこまで思いを馳せてみたところで、佐野太による「石原祐志への高専校長プレゼント」と「バカ息子への医学部プレゼント」は、やはり根底でまったく同じ図式と手口を共有していることに改めて気付きました。

 度を超したパッパラパーの身内がいたとして、いい歳したその本人が特段の事情も改善の意思もなく好きでパッパラパーをやっているのなら、「自己責任」として社会から分相応の評価や待遇を受けるのは当たり前です。普通の大人であれば、たとえ身内であっても、それは仕方のないことだと片付けるものです。

 しかし佐野は、身内可愛さのあまり、高級官僚としての権力と肩書きを公私混同で濫用して、分不相応なゴージャス待遇をプレゼントしようとすることに躊躇を覚えませんでした。公務員倫理を弁えないという以前に、そのような身勝手極まる行為の結果として末端の関係者にどう迷惑や被害が及ぶかも頭にありませんでした。石原の件もバカ息子の件も、同じ思考プロセスで行われたといえます。

■ところで第5回公判のやり取りからは、一色証人が資料送付したという「メール」について、なぜか実物が残っていないらしいことがうかがえました。これに関連して、佐野太が石原祐志を高専校長に押し込んだことについて昨年に文書開示請求をしても、「メール」は不存在とされていたことを思い出しました。一流の官僚らしく、こうした悪事をはたらく際、関与を示唆する自分の足跡は徹底的に消すか、口頭やメモの形にして残さないようにしていることがうかがえます。まさに、常習犯のやり口です。

 あわせて、失脚してなお、文科省の保身隠蔽体質にうまく付け込んで身を守っているという共通点も感じられました。第4回公判の丸山証人、第5回公判の一色証人は、ともに自分の行為や判断に瑕疵のないことを強調していました。役人組織に長い間浸かって保身癖が染みついてしまっていることがうかがえました。これでは、アウトな事実を本当は見聞きしていたとしても、佐野や組織を守るためというよりはまず自分のために、隠してしまっているのではないかという疑念も、完全にはらうことはできません。

 一方で、2019年末、佐野太による石原祐志の高専校長押し込みに関する情報開示を文科省で受けた際、担当した官僚らの様子が尋常ではなかったことを思い出しました。年末の挨拶も無視され、あらかじめ書面で送ってあった質問も、こちらから質してようやくごく端的に答える有り様でした。すでに失脚している佐野を慮ったわけではなく、単純にこれ以上の不祥事を出す訳にはいかないと、徹底的に情報を出さないよう「上」が厳命した様子がうかがえました。

■さて、第4回・第5回公判を傍聴したご報告とその感想は以上となります。

 今後の公判については、レポ内でお伝えしたとおり、現状判明している分では11/2、11/19、12/11に予定されています。ただ、長野高専崩壊の元凶となった佐野太の顔を拝んでおくという所定の目的を達成したこともあり、今後の公判の傍聴については担当者の予定と時間がちょうどポッカリ空いている場合にのみ行おうと考えております。それ以外は、報道を追いながら審理の行方を見定めたいと考えております。

 佐野太の公判傍聴は、平日の日中を丸々潰す形になるので負担が大きいものですが、読者の皆様におかれましても、予定が合いましたらぜひチャレンジください。

(※傍聴記録の内容については、録画録音が禁止されている都合上、すべて記憶とメモに基づいたものです。可能な限り克明に描写するよう努めてはおりますが、聞き間違いやメモの取りそびれ、傍聴者の理解度や解釈の問題などにより、人名ややり取りの内容が一部不正確である可能性があります)

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
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